第20回『このミス』大賞 1次通過作品 奈落の空

パニック小説の歴史に新たな1ページを付け加える、かも

『奈落の空』角張智紀

 これをパニック小説と呼んでいいものか、とにかく変なことがいっぱい起きます。
 学士2年の月岡紗良が住む町に、ある日異変が生じる。高さ約60メートル、直径3キロメートルほどの壁が周囲に出現していたのである。大学の赤倉教授と共に紗良は壁を調べ始める。やがてさらに驚嘆すべき事態が出来する。重力が消失し、世界が反転したのである。住民たちは次々に空へと呑み込まれていった。これだけでも仰天すべきことだ。だが、さらに不思議なことが起きる。動乱の一夜が明けると、街の様子は元に戻っていたのである。紗良は、時間逆行現象が起きたのではないかと考える。
 てんこもり。分類するとしたらSFに入る小説だろうか。ここに過去の殺人事件が絡んでくる。紗良が子供のとき、チサトという少女が刺殺される事件が起きた。そのチサトが手作りしたものと同じレインコートを着た人物が紗良の前に現れる。この事件と現在起きている現象との間になんらかの因果関係があるのか、というのがミステリーとしての謎になる。とにかくいろいろ盛り込まれていてあらすじ紹介も整理がたいへんだ。だが、読んでも混乱はしない。紗良と赤倉が仮説を組み立てては放棄していく対話を核にして物語が進んでいくためで、非常にわかりやすい。これだけのことが起きているのだから街は混乱しているはずで、それが描かれない点が私には不満に感じられた。パニック小説とはやはり呼びがたい。すべてがさくさく進みすぎるのである。作者の考えたとおりに物事は運び、破綻は生じないし、叛旗を翻す登場人物も現れない。いくらフィクションとはいえ、世界とはそんな都合のいいものではないだろう。
 そうした不満はある。SFは門外漢なので、これがジャンル小説として成立しているかどうかにも自信はない。ただ、作者が本作に籠めたアイデア量とサービス精神は大いに評価したいと思うのである。

(杉江松恋)

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