第18回『このミス』大賞 次回作に期待 宇田川拓也
『クロッシング・タイム』堀川拓海
今回もたくさんの力作を拝読させていただいた。気になった点をいくつか挙げておきたい。
従来ある作風に寄せる、あるいは型に嵌めることを一義的に考えているのか? そう思わせる作品が昨年同様、多かったのは残念だった。
こちらが求めているものは、従来にないもの、型を破ったものである。そのことを、どうかご理解いただきたい。
考えついた時点で安心してしまうのか、登場してからラストまで、どのキャラクターも大した挫折や成長もしない、動きはあるが厚みのない作品も多く見受けられた。それまで経験したことのない大事件に遭遇し、巻き込まれた人間が果たして、人生観、死生観、価値観を少しも揺さぶられずにいられるだろうか。登場人物たちと人生をともに過ごすような、血の通った熱の在る作品をお願いしたい。
作中でユーモアを盛り込み、扱ったすべての方へ。ユーモアとは、センスと技量どちらもが求められる大変に難易度の高い試みであり、軽々に手を出すべきではないと念を押しておく。嬉々として勢いのまま書いたものほど、読んでいるこちらは大いに鼻白んでいると思っていただきたい。
昨年の繰り返しになるが、暴力団、調査機関、宗教団体、殺し屋といったものは一見格好がつくように見えるが、使い方を間違えるとたちまち物語が陳腐に堕する。とくに都合よく使い回そうなどと考えることは絶対にしてはならない。
次回作に期待は、一作品。
『クロッシング・タイム』堀川拓海は、連続殺人事件を引き起こして自殺した一か月間しか記憶が保てない男について、被害者の娘が調べを進める長編サスペンス。
文章力とストーリーテリングは、一次選考を突破してもおかしくないレベルだ。しかし、内容に関しては、長い時間記憶が保てない「前向性健忘症」の登場人物が複数登場したり、人間が人間をいとも容易く操り、殺害と自殺がスイッチを押すような軽さで描かれるなど、「いささか乱暴では?」と引っ掛かる箇所が散見された。とくに終盤で明らかにされる、ある人物が自ら一年かけて五分しか記憶が保てない人間になる、という真相はいかがなものか。これで読者を納得させることはさすがに無理だろう。アイデアをただつぎつぎと盛り込むのではなく精査すること、時間を掛けてプロットをより練り込むこと、このふたつを心掛けるだけでも作品の完成度は格段に上がるはずだ。まだお若く、力のある方だ。ぜひ再挑戦をお待ちしている。
最後は毎度毎度の、いつもの言葉で。
「書店員が頭を下げてでも売りたくなるような渾身の傑作を待っています!」
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