第15回『このミス』大賞 次回作に期待 杉江松恋

『火の粉』池理政道
『日本語なら教えられるだろうと思いまして』小松知佳
『超常現象捜査官パウリさんと僕の奇妙な日常』桜日旬
『人を殺していい理由』星生志狼
『だれがオ~ラを殺したのか』早池峰遥

 

 今回の応募原稿について一様に感じたことは、ここには読書家が一人もいない、ということでした。よき読み手であることはよく書き手であることの必要条件ではありません。そして、書き手は自分の書きたいものを好きなだけ書く権利を有しています。そう断った上で言うのですが、現代のエンターテインメントがたいへんな高水準にあるという事実を、書き手はもっと真摯に受け止めるべきではないかと思うのです。総じて言えば、アイデア勝負の作品は量が不足していました。あなたのそのアイデア、すでに書かれていると思ったほうがいいです。対抗するには別のアイデアを加えて物量作戦で行くしかありません。また、ロジックで魅せようとしている作品には脆弱さを感じました。論理の筋道が細く、それを補おうとしたためか手がかりが少なくて読者に不親切です。先人がいかに構造物を築いてきたか、今一度分析してみてはいかがでしょうか。同じようなことがキャラクター、プロット、文体など、さまざまな要素について言えます。「これだけ考えたんだからもういいだろう」ではなく「後は何をしたらいいんだろう」「どれだけ磨き抜けば自分だけのオリジナルになるんだろう」と考えていかないと、新人賞の壁は高いままでしょう。
 残念だった作品について一言ずつ。『火の粉』は未成年者の違法行為を扱うというアイデアが良かった作品ですが、現実の犯罪捜査を無視したプロットに難がありました。『日本語なら教えられるだろうと思いまして』も特異な知識を用いたアイデアと、それをキャラクターに結晶化させて書いた点は大変おもしろいと感じました。しかしこの長さを読ませるにはいささか弱い着想です。柱になるものを作らなければ長篇としては難しいと感じます。『超常現象捜査官パウリさんと僕の奇妙な日常』は、キャラクターに味のある作品でした。しかし超常現象が当たり前に存在するという世界観に納得がしがたい点など、小説の大前提を読者に納得させるだけの努力が尽くされていないと私は感じました。プロットも、まだ長篇のものにはなっていません。『人を殺していい理由』は殺し屋の主人公たちに魅力がありました。しかし倫理に反した行動をとる主人公を書くのであれば、彼らが存在してもいい理由が十分に考えられているべきでしょう(少なくともエンターテインメントにおいては)。それを欠けば自然と物語は薄いものになります。『だれがオ~ラを殺したのか』も少年犯罪をテーマとして興味深い内容でしたが、アイデア量と論理が不足しています。最後のどんでん返しが唐突に見えるのもそのためでしょう。骨太ではありますが、注意力散漫な読者を惹きつけるには構造柱となる骨だけでは足りないのだと銘記していただきたいと思います。
 ではまた次年度。力作をお待ちしています。
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