第11回『このミス』大賞 1次通過作品 下弦の刻印
北海道を巡回中の護衛艦に乗った職員全員が
未知の伝染病により、無残な死体となって発見された。
爆発的な感染拡大は食い止められるのか!?
『下弦の刻印』 安生正
壮大な規模のスリラーで、一読し、これは絶対に残すべき作品であると確信した。
短い悲劇の一幕を描いたプロローグのあと、本編が始まる。最初の舞台になるのは北海道根室沖合25海里の位置にある石油採掘プラットフォームだ。近くを巡航中の第2護衛艦《くらま》の乗組員に指令が下る。プラットフォームからの連絡が途絶えたため、何者かによってテロ攻撃が行われた可能性があるとみなされたのだ。悪天候の中ヘリコプターを飛ばしてプラットフォームに着艦した廻田三佐他の自衛隊員は、信じられないものを目撃する。職員たちは全員、全身の皮膚が溶解し、自らの血液に塗れた無惨な姿の死体となっていたのだ。なんらかの悪性の伝染病がプラットフォームを襲ったものと思われた。
出だしのインパクトは完璧。ここから作者は、「来るべき恐怖」を積み上げていく。国立感染研究所は検出された未知の細菌に対抗するワクチンを開発しようとするが、ある失策が元で防疫対策には致命的なミスが生じる。そして、ついに北海道で爆発的な感染拡大、パンデミックが発生してしまうのだ。ここで読者のアドレナリンは一挙に噴出するはずだ。これからどうなるの? 果たして拡大は食い止められるの? 最初から事件に関わっていた二人の人物の視点から、作者はこの絶望的な状況を描いていく。パニック小説としては、過去にあまり類例のない手が使われている。1970年代から1980年代にかけて内外でショッキングな人類破滅映画が製作されたが、あれに似た味わいもある。人命が虫けらのように粗末にされるあたりの書き方もいい。最初から最後まで、まったく無駄なところのないスリラーだ。作者は即戦力として第一線に立てる才能の持ち主である。
とにかく新人賞応募作品としては極めて珍しいほど、ケチのつけどころのない小説だ。自分ひとりでこれを楽しむのは実にもったいない。ぜひとも公刊し、読者のみなさんにも味わっていただきたいと思うのである。
(杉江松恋)