第3回『このミス』大賞 最終審査講評
大森望
D・フランシスとJ・エルロイの代理戦争
第1回受賞作の浅倉卓弥『四日間の奇蹟』がベストセラー街道を突っ走っているおかげか、今回は(他のミステリ系公募新人賞と比べても)ハイレベルな候補作が集まり、選考会も予想通りの激戦となった。
小説はべつに採点競技じゃないんだけど、新人賞の選考は採点競技の審判に近い。テクニカルメリット(技術点)とアーティスティックインプレッション(芸術点)を総合して判定を下すわけですね。評価の目安になる項目は、おおまかに言って、文章、キャラクター、ストーリー、アイデア(独創性)の四つ。平均してポイントを稼ぐ作品もあれば、得意項目で一点突破をめざす作品もあるが、落第科目がひとつでもあると受賞可能性は著しく低くなる。
『オセロゲーム』は、無味乾燥な文章と平板なキャラクターのおかげで、小説を読む楽しみがあらかじめほとんど奪われている。ホワイダニットのアイデアは秀逸だが(伏線の張り方もうまい)、他の欠陥を埋め合わせるには至らなかった。
『パウロの後継』は、キャラクターとストーリーが高得点。『レオン』風の設定から、さらに派手なエンターテインメント方向に話が転がってゆく。リアリティに難はあるものの、リベリア料理をはじめとするディテールが劇画的なプロットをなんとか小説につなぎとめ、潜在的には大きなベストセラー力を秘めている。しかし、そうしたメリットを帳消しにするほど文章に粗が目立った。冒頭の一行目からすでにへんだし(いくら急勾配でも、本郷通りを「険しい坂道」とはふつう言わない)、二行目にはテニヲハのまちがいがある。そういうガチャ文がずっと続くのに最後までぐいぐい読ませるんだから大した剛腕だ――という見方もできるわけで、文章を全面的に改めることを前提にすれば授賞もアリかなと思ったんだけど、他の三氏の賛同は得られませんでした。捲土重来に期待したい。
『血液魚雷』はアイデア賞。『ミクロの決死圏』の楽しさと、持ち前のグロテスク趣味を合体させ、一気に読めるユニークな娯楽作に仕上げている。しかしどう見てもB級で、誤字脱字が山をなす文章はとても真剣に書いたとは思えない。ホワイトハート大賞優秀賞の『電脳のイヴ』、小松左京賞受賞作の『今池電波聖ゴミマリア』など、町井氏自身の旧作と比較しても、これで勝負しようという強い意気込みが感じられず、香山氏の強力推薦にもかかかわらず脱落することになった。とはいえ、公募新人賞の枠組をとっぱらえばじゅうぶんに魅力的な作品だし、読者の支持も獲得できそうなので、加筆修正のうえ、いずれどこかで単行本化されることを祈る。
水原秀策『スロウ・カーヴ』は、ほとんど時代錯誤的にオーソドックスなハードボイルド。(タイトルに反して)ひねりのない直球のプロ野球ミステリで、笑っちゃうほどそのまんまな臆面のなさが今は逆に新鮮だとも言える。こんなの昔いっぱいあったじゃん! と思うけど、よく考えると最近のミステリでは意外と穴場なんですね。ぬけぬけとした書きっぷりが嫌味になってないのは人徳か。真犯人の犯行動機とか、「いくらなんでもちょっとそれは……」と思う部分もあるが、致命傷は免れている。
古川敦史『果てなき渇きに眼を覚まし』は、候補作の中でもっとも文章のパワーを感じさせてくれた作品。話の発端は、これまでに百回読んだような古典的ハードボイルドのパターンだが(元刑事の主人公が失踪した娘の行方を追う)、そこから破滅型ノワールへと転調し、やがて不在の娘・加奈子の影がしだいに大きくクローズアップされてくる。既成のフレームを使いながら微妙にずらしてゆく語り口は堂に入ったもの。随所に見られる破壊的なエネルギーの過剰な迸りも好ましく、個人的に好きなタイプの作品ではないにもかかわらず(こんな小説読みたくないと何度思ったことか)これに最高点をつけた。
というわけで、最後は『スロウ・カーヴ』と『果てなき…』の一騎打ち。万人受けするライトなエンターテインメントと、一部読者の熱狂的な支持を集める(かもしれない)ダークな重量級の対決は両者譲らず(ディック・フランシスとジェイムズ・エルロイの代理戦争という声もありました)、二作受賞の結果になった。
香山ニ三郎
『血液魚雷』を落としたら席を立つ!
今回は接戦になりました。五作中四作が有力候補で、そのうち三作はどれが取ってもおかしくない、というのが選考前の個人的予想。
選考会も、概ねその流れで展開しました。
順を追って説明していくと、まず最初に落ちたのはサワダゴロウ『オセロゲーム』です。高名な現代美術作家の夫人とそのかつての恋人の屈折した関係を軸にした愛憎サスペンスで、表題通り、駒を動かすたびに優劣が目まぐるしく反転する展開の妙を期待しましたが意外にあっさり片がついてしまう。主人公男女も魅力に乏しく、犯人の動機付けに心を動かせられたという声もあったものの、流れを覆すまでには至りませんでした。枚数規定の上限までまだだいぶゆとりがあるし、謎解き趣向にしろ、キャラ描写にしろ、もっと枚数を費やして凝りまくってもよいのでは。
次に脱落したのは、深野カイム『パウロの後継』。この作品の最大の欠点は粗雑な文章でした。文章にはあまりうるさいほうではない筆者でも、冒頭から何ヶ所も直しを入れたくなるほど。これは明らかに推敲不足が原因でしょう。リベリアというアフリカの小国での悲劇を端に発した異色の国際謀略活劇で、着想――設定もユニークだし、歪んだ少年少女のキャラも魅力的。ちょっともったいない気もしますが、これを本にするには全面改稿が必要ということで候補からは外されました。筆力の点では全員及第とみたはずです。ぜひ再チャレンジしてください。
熾烈なサバイバル戦から次に落ちたのは、残念ながら筆者イチオシの町井登志夫『血液魚雷』でした。
心筋梗塞患者の血管内で飛び回る謎の異物というアイデアにまず驚嘆。最新医療機器を駆使したその探索描写は、まさに現代版『ミクロの決死圏』、彼らの正体をめぐる推理とサスペンスは息をもつかせぬ面白さでした。ただ推薦者としても、体内活劇の素晴らしさに比べ、登場人物のキャラ造型にしろ、彼らが織りなす愛憎劇にしろ、今ひとつ平板であることは否めなかった。他の委員もそこがネックになったのでは。また『パウロの後継』同様、こちらも推敲不足との声もあり、筆者以外に高得点をつけた人はいませんでした。
一瞬、これを落としたら席立っちゃうもんね、と思ったけど、欠点は欠点として認めざるを得ない。それに書き手はすでに著書もあるプロ作家、ここで賞を逃しても、作品を本にする機会はありましょう。町井さん、最後まで押し通せず申し訳ありません。体外ドラマに手を入れて刊行されたあかつきには、各方面で推薦させていただきます。これでめげずに、ぜひとも近々に実現させてください。
残る二作は作風も対照的だし、完成度の点でも甲乙付けがたい。個人的には、古川敦史『果てなき渇きに眼を覚まし』のほうが贔屓でしたが、1次の膳所善造評でも指摘されていた通り、読者を選ぶ内容なので、これ一作のみの受賞というのはちょいとキツいかと。
さいたま市近郊のコンビニで複数の客が惨殺される事件が発生、時を同じくして主人公の警備員も女子高生の娘が失踪したことを知らされる。物語は元刑事である彼の娘の捜索行と三年前に彼女の同級生男子の身に起きた出来事が交互に展開していきますが、もともとアブない人だった主人公は話が進むにつれてどんどん壊れていき、娘にまつわる邪悪な真相も明らかになっていく。ジェイムズ・エルロイや馳星周の影響下に描かれた鬼畜系の暗黒活劇で、女子供をいたぶるサディスティックな描写もてんこ盛り。女性読者の中には反感を抱く人も少なくないでしょう。
私的には、ギリシア悲劇も真っ青の因果応報家庭内悲劇に転じていくその力業に感服した次第ですが、さすがに胸を張って万人向けのエンタテインメントという勇気はない。
いっぽう、水原秀策『スロウ・カーヴ』のほうはディック・フランシス・タッチの野球ミステリーで、作風的にはオーソドックスなハードボイルド系。主人公のピッチャーもストイックというか、クールな頭脳派で、旧弊な体質が抜けない人気ピカイチチームの中で孤軍奮闘する彼が奇妙な脅迫事件に巻き込まれていくというのがメインストーリーです。
一人称語りはちょいと老成し過ぎですが、主人公のキャラは好感度高いし、激動する今年のプロ野球界を髣髴させるプラスアルファの魅力が付加されたこともラッキーでした。その反面、古川作品的な破天荒な魅力には欠けるわけですが、ミステリーファンならずともこれを支持する読者は少なくないでしょう。
いずれも受賞にはやぶさかではないが、古川作品は読者を選ぶし、水原作品は型破りな面白さに欠ける。どちらか一作に絞るとなると苦渋の決断を迫られることになる……。
結果、選考は自ずと二作受賞に傾きました。しかも第1回のときのように金賞銀賞として差別化しない、あくまで平等なる同時受賞。『血液魚雷』の落選は痛かったけど、まずは納得の結論といっておきましょう。
茶木則雄
明暗を分けたのは文章力
大方の予想通り、最終選考会ではかつてないほど、白熱した議論が交わされた。
本賞の場合、候補作はA,B,Cの三段階評価で絞り込まれる。Aは大賞の有力候補、Bは優秀賞ならびに大賞候補として議論に値する作品、Cは賞の対象外、というのが評価の基準だ。過去二回の選考会では、AとB、もしくはBとCが混在することはあっても、AとCが混在することは一度もなかった。こと絞込みの段階においてはこれまで、比較的スムーズに議論は進行していたのである。対象外となる作品の検証は徹底して行われるにせよだ。
ところが今回、評価が真っ二つに分かれる事態がはじめて出来した。古川敦史氏『果てなき渇きに眼を覚まし』である。
ノワールとしてのみ評価するならなるほど、この作品に大いなる可能性を感じ取ることはできない。「お約束」を散りばめただけの典型的な似非ノワールとの指摘は、言われてみれば確かに的を射ている。闇はあっても、そこに闇の深さがないのだ。眼を凝らせばそれが人為的に作り出された闇でしかないのは、歴然と映る。エルロイやトンプスンの作中に迸る暗黒の情念や内なる狂気は、この作品には残念ながら存在し得ない。
しかしノワールの枠組みを単なる一フレームとして捉えれば、この作品は俄かに輝きを放ちはじめる。作中に挿入される少年の独白は、いじめと虐待に焦点を当てた少年小説的興趣に富んでおり、ロレンゾ・カルカテラ『スリーパーズ』や重松清『エイジ』を彷彿とさせるものがある。物語の流れの中で、過去と現在を交錯させながら、本人は一度も登場しない少女の意外な内面を炙りだしていく手法は東野圭吾『白夜行』にも通じる、との意見も出た。様々なフレームを巧みに組み合わせて全体的なミステリーとしての結構を構築する技量は、捨て置くには余りにも惜しい。何よりも、評価すべきはその確かな文章力だ。これが文句なくプロの水準に到達しているのは、万人の認めるところだろう。
安定した文章力という意味では、水原秀策氏『スロウ・カーヴ』も負けていない。ディック・フランシスを思わせる主人公の設定と語り口の上手さは、それだけで充分、何らかの賞に値するものだった。素晴らしいのは陰影に富んだ人物描写である。登場人物ひとりひとりの造形が際立っており、それぞれが負けず劣らず生彩を放っている。とりわけ見事なのは敵役の元刑事だ。主人公と相対時するラストシーンは、読後、鮮やかな印象を残した。
惜しむらくは、ワイズ・クラックや洒落た言い回しが、全体の中で若干浮き上がっているところだろう。作品に無理なくこれらを溶け込ませるには、さらなる精進が必要かと思う。さらに言えば、クライマックスのプレー・シーンにも、個人的にはいささか不満が残った。圧巻、白眉というには、明らかに枚数が物足りない。ここはあざといまでに徹底的して物語を膨らませ、書き込みを加えて欲しかった。それでこその野球ミステリーだ。
この二作は、それぞれに長所もあれば欠点もある。作品の完成度と書き手の才能――いずれをとっても甲乙つけ難い。ディック・フランシスとジェイムズ・ エルロイを比較するようなもので、あとは単純に好みの問題だろう。議論を積み重ねた結果、両者互角のダブル受賞、と相成った次第だ。
残りの三作にもそれぞれ、捨て難い部分があった。個人的に最も未練が残ったのはサワダゴロウ氏『オセロゲーム』である。ホワイダニットのキレがとにかく抜群で、伏線の巧みさと相俟ってその非凡さは、強く印象付けられた。印象深いと言えば、町井登志夫氏『血液魚雷』のアイデアもまた然りである。平成版『ミクロの決死圏』とも言うべき《体内》活劇シーンは、まさに秀逸の一語に尽きる。タイトルのインパクトも申し分なしだ。深野カムイ氏『パウロの後継』は、舞台設定とキャラクターに魅力を感じた。展開もユニークで荒削りながら読ませる。
明暗を分けた最大の要因は文章力にある。受賞作とは、この点で大きな開きがあった。
公募新人賞の作品を評価するポイントはいくつかあるが、最も重要視されるのはどこでも文章の力だろう。文章力は、競馬にたとえれば《持ち時計》のようなものである。混戦模様ではこれが、最後にモノをいう。
文章は力だ。その力の差が、如実に出た選考会であった。
吉野仁
最後まで受賞に反対しようと思ったが……
今回は、初の二作受賞となった。個人的には、一作で決まりと思っていたのだが、ふたを開けてみるまでは分からないものだ。
まず、水原秀策『スロウ・カーブ』は、「ディック・フランシス」タイプの作品で、プロ野球界を舞台にした小説である。
明らかに某在京プロ球団をモデルにした設定だけに、もっぱら野球に関するリアリティが問われることになった。だが、たしかに疑問を感じる部分がいくつかあったものの、発表する際、おかしな部分を訂正したり、フィクション性を少し強めて処理したりすればよいだけのことである。どう直しても、文句をつける人はでてくるに違いない。
わたしが感心したのは、自然と物語世界に感情移入できる語り口であり、登場人物に存在感があるということだ。いわゆるへらず口を多用する、気どったハードボイルド小説が大の苦手ながら、本作の科白まわしはけっして嫌味に感じられなかった。キャラクターもみな個性的に描かれて魅力がある。
また、脅迫という地味な事件のわりに読みごたえを感じたのは、それぞれの場面の描き方がしっかりしているからだろう。次にどうなっていくのかという興味を読み手に感じさせる。すなわちサスペンスの運びも悪くない。ヒロインの登場とその後の展開など、緩急のつけかたも堂に入っている。
野球小説としての目新しさや現実にありうる物語かどうかを問うのではなく、あくまでフィクションとしての読みごたえという意味で、候補作中、この小説がもっともすぐれていると評価した。すなわち、題材にたよっておらず、ドラマとしてよく出来ている。今後も文句なしに「書ける」作家だ。
一方の古川敦史『果てなき渇きに眼を覚まし』は、選考委員のなかで、わたしだけが低い評価だった。読んでいてなんら感じるものがなかったのである。
狂った元警官だのシャブだのレイプだのと、数々の「お約束ごと」を話のなかに混ぜて一丁あがりといった感じで、肝心の暗黒はどこにもない。勧善懲悪ものの「善」と「悪」を単純にひっくり返してみせただけ。これぞ似非ノワールの典型である(もっとも世間では、トンプスンやエルロイに何の興味もない方々が、こういうものこそ「本物だ」ともてはやす。何をか言わんやなのだが)。
せめて犯罪サスペンスとしてストーリーが面白いのならばいいのだが、現在と過去をめぐる展開も、やはり「お約束ごと」めいた意外性へと運んでいくためにつくられたとしか思えなかった。最後まで受賞に反対しようと思ったが、なにしろ三対一では勝ち目はない。たしかに候補作のなかで比較すると文章力は抜きんでており、小説として完成している。結局、二作受賞という結果におさまった。
できれば今後は「エルロイもどき」から脱却してほしい。物事は、いつも矛盾していて、いろいろな意味にとれるし、そんな現実を生きる人間もまた不確かな存在だ。トンプスンやエルロイらの作品に漂う、その感覚をつかんで物語にする。頭のうわべで考え、一面的な世界でこしらえるのではなく、血と肉と骨を感じさせる小説である。それが無理なら、せめて構成に力を注ぐなど、娯楽小説としての面白さを打ち出すべきだろう。
さて、残りの三作のうち、もっとも評価の低かったのは、サワダゴロウ『オセロゲーム』だった。おそらく最終選考に残ったのは、作中のあるアイデアが秀逸だったからだろう。だが、タイトルから期待される、黒と白が次々に反転していく物語でもなく、長編小説としての内容にも乏しかった。説明ではなくドラマを描写すべきなのだ。それが書けていれば、もうすこし高い評価になっただろう。
深野カイム『パウロの後継』は、とくに文章力が問われた作品だ。個人的に興味のある題材や要素がもっとも多く含まれていただけに、とても残念。既成作をこえるほどの迫力はないが、設定や展開はユニークなのだ。しかし文章は心がけ次第でいくらでも上達する。そのあたりを見直し、ぜひとも新たな作品に挑んでいただきたい。
最後に、町井登志夫『血液魚雷』は、今回の候補作のなかで、もっとも娯楽性の高い作品で、途中まで面白く読んだことは確かである。医学的にはハチャメチャでも、奇想サスペンス小説としてわるくない。だが、体内の場面をのぞくと、登場人物にせよ展開にせよ、あまりに都合のよい部分が目立ちすぎ無理がある。結末もあっけない。さらに、こちらも「けれど」という言葉が頻繁に使われているなど、文章に対する配慮がまったくなかった。すでにプロデビューしているとはとても思えない原稿である。したがって落選となった。というわけで、個人的には不満な部分もあるのだが、すべてはデビュー後の活躍にある。期待にこたえる次作をまっている。