第2回『このミス』大賞 1次通過作品

『夜の河にすべてを流せ』 柳原慧

 誘拐ミステリーで書き手が最も腐心するのは身代金の受け渡し方法だろう。金を受け取る時点で、いかに捜査側の目を眩まし、警察との接触を排除することできるか。誘拐ミステリーの成否はそこにかかっていると言っても過言ではない。その意味で本書は、このジャンルに新機軸を打ち出した、まさに画期的な作品である。

 犯人グループが標榜するのは、「身代金ゼロ! せしめる金は五億円!」。被害者との接触は──少なくとも生の接触は、一切ない。連絡方法は海外のサーバーを幾重にも経由したメールの遣り取りのみだ。現金の受け渡しは存在せず、警察と現場での接触も、当然ない。にもかかわらず、せしめる金は五億円なのである。

 犯人グループは、いかなる方法でそんな大金をせしめるのか。これが本書の最大の読ませどころだろう

 ネット・トレーディング、代理母、胎児細胞、引きこもり、ディスレキシア(発達性読み書き障害)、瞬間像記憶――作者は、アクチュアリティに富んだ今日的アイテムをふんだんに使いこなし、誘拐であって誘拐でない、犯罪であって犯罪でないこの物語に、間然するところのない説得力を構築している。普通であれば、それぞれ一冊書けるほどの興味深いテーマを惜しげもなく投入することによって、抜群のリーダビリティを生み出しているのだ。

 さらに特筆すべきは、犯人グループをはじめとする登場人物の濃厚な存在感だろう。過去に闇を抱え、煮詰まった現実から脱出しようとする男たち、情念の流れに身を任せ、運命に翻弄される女たち。クライマックスで、警視庁特殊犯の女刑事と対決するハッカーの存在は言わずもがな、登場人物の書き分けは、新人のレベルをはるかに凌駕している。

 手応えを感じさせる一冊である。堂々の大賞候補だ。少なくとも、2次、最終と、読者があと二回選評を読めることは間違いない。

(膳所善造)

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