第20回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み 残照の海

捜査本部は当然のことながら事件担当メンバーから私を外した。
初七日明けの翌日、夜遅く、私は元木警部補の自宅を訪ねた。
形だけのマントルが設置され、反対側にはサイドボードの上に人形や花瓶がごてごてと飾られた応接室で元木と迎え合わせに座っていた。
私は担当直入に話を切り出した。
「尚子の事件の件でで伺いました。警察が持っている情報のうち新聞に公表していない情報があるはずです。無理は承知していますが、是非教えてください。お願いします」
 私は両手を膝の上に置き、深々と頭を下げた。
 元木は腕を組み、沈痛な表情を浮かべたまま口を開かなかった。
 私は応接台に頭をぶつける勢いでもう一度、深く頭を下げた。
「君の心情は察するが、守秘義務を破る訳にはいかん」
 元木と対面して三十分が過ぎていた。その間、二人の間で交わされた言葉はそれだけだった。長い沈黙が照明の明るさにも関わらず室内を暗くしていた。影は部屋の隅に逃げ込んでいた。
 無駄だと思っても足を運ぶ。それは職業として身に着けた習性だった。元木を訪ねたのは、家人にかこまれた環境の中で、警察官とは別の私人としての顔を見せてくれるかもしれないというはかない期待を抱いたからである。
 しかし、それは私のエコイスティクな淡い期待に過ぎなかった。
「米田、個人プレイはよせ。俺たちに任せろ」
 元木は玄関先で私を見送りながら声を掛けた。
 警察ファミリーとしての同胞意識か、上司としての戒めか私には理解できなかった。
 私の気持ちはすでに決まっている。
出勤すると同僚は寡黙になった私を腫れものに触るように接した。
事件に関する話題は全て会議室でなされた。
徹底した情報管理の中、漏れ聞こえる情報はなかった。私は疎外感すら感じていた。
しかし、尚子の苦しみと比較すればなんとか耐えられた。尚子の悲鳴、すすり泣きが自宅に居ても絶えず聞こえてくる。
事件発生から一月後、私は突然、交番勤務への異動を命じられた。尚子の事件が解決し、ほとぼりが覚めるまでの一時的な交番勤務という、刑事が交番に異動になっても特段する仕事があるけではなかった。露骨な現場はずしという意味で訳の分からない人事だった。そして異動を命じられた直後に、夫という立場から取調室に呼ばれて尚子に関する聞き取りを受けた。事情聴取には素直に従った。何を探ろうとしているか意図を推し測るためだった。
長年、私も彼らの中にいたのである。
僅かな湧水は集まれば細い水の流れとなる。石の間を流れるうちにいくつかの流れが合流し、いつか本流にたどりつくことになる。
その日、私を呼び出したのは、二つ年上の市崎と同期の茂木だった。
「尚子さんはお気の毒だった・・・。辛いことは重々わかっている」
 ふたりとは、尚子との交際が始まったときから、結婚までたどり着いた一年間の出来事をのろけ、婚約したことを署内で真っ先に報告した間柄だった。茂木は離婚したばかりだったので結婚式への出席を拒んだが、尚子を囲んで四人で飲んだ屋台で尚子から説得されて出席した。
市崎が黒田節を黒い和服姿で吟じ、茂木がダンボールで作った鎧を身に着け、物干竿を槍にみたてた舞いで会場を盛り上げた。
「・・・」
 黙したまま返す言葉はなかった。
机を挟んでふたりと向かい合っていたが、私は視線を合わせることはなく、鉄格子がはめられ、埃で汚れた窓や灰色のモノトーンの壁についた赤黒い小さなシミを見ていた。
犯人を捕まえる役どころから降り、私にあるのは復讐だった。
「犯人は俺たちがきっとあげる」
 茂木は首を左右に振りながら言った。そして右手で作った拳を左手で包んだ。
「尚子さんがマンションを出たのは、車が炎上する四日前だということだったな。法律事務所長の下浦からは、尚子さんが担当した尊属殺人をめぐる裁判で犯人と目された男の無罪を勝ち取り、骨休めの休暇とったという話を聞いている。休暇中の過ごし方やどこに向ったのか尚子さんから具体的な話を聞いていなかったか?普段と違った様子でもなんでもいい」
 市崎たちは尚子の勤めていた事務所を訪ねてある程度のことは把握しているはずだった。
休暇ということであれば夫婦でどのように過ごすか話があったはずだと考えて当然だっ
た。
尚子が何かふと漏らした気になる言葉や気になる態度がなかったか尋ねているのだった。
捜査の突破口を個人的な話題か偶発的なトラブルかと確認することで、事件解決のため
の突破口としているのだった。
「尚子が出張に行く三か月ぐらい前、何軒もの家具店を回って、ようやく探し求めていたソファが届いた。尚子はその日を祝うためにシャトー・マルゴを買っていた。俺たちは届いたばかりのソファに並んで夕陽が海を焦がすのを飽きずに見つめて過ごした」
 息の合った二人だから、残照の海の話をした。
 出発の前日、尚子はトランクに荷物を詰め込みながら不安な表情を浮かべていたことは話さなかった。
「尚子は家で仕事のことは話題にしなかった。その日、尚子に変わった様子もなかった。俺たち夫婦は刑事と弁護士という立場から、家では仕事に関することは一切話さなかった。その意味では、皮肉なほどの職業人同士だった」
「職業的な宿命と言えばそれまでだが、それ程、職務に徹底できるものなのか俺に自信がない。夫婦がそれぞれ仕事をしていれば、職場の愚痴をこぼすだとか、互いに甘える部分があっても許される部分だと思う。夫婦はいろんなところを補い合って生活するものだ。離婚した俺が言うのはお門違いかもしれないが・・・」
 茂木は自戒を込めて言った。
 裁判では弁護側と検察側で対立する立場にある。
私が取り調べをして検察が起訴した事件の被害者側の弁護を尚子が担当することもあった。
夫婦の職業的相性としては誰が考えても最悪な組み合わせである。
 私は結婚を機に転職しようか尚子に相談したこともある。具体的な職業のあてはなかった。
私には警察ほど自分に向いている職業はないこともわかっていた。パソコンに向かって一日中デスクワークをするほど辛抱強くなかったし、営業職について、口上手にお客をもてなすなど到底できる業ではなかった。
大きな体躯をして、ぎらついた目と柔道でつぶれた耳をした私の容貌を見ると、顧客は逃げ腰になるだろう。反社会的な組織に属する人間ではないかと警戒するだろう。
その結果、私の精一杯の努力は空回りして、成績を上げられず、上司から叱責の毎日を送ることは目に見えていた。
早々に上司をぶん殴り、辞職願を叩きつけていただろう。
 私は犯人を追いかけ、手錠をかける恍惚とした瞬間が好きだった。正義感とは別の狩猟本能が満たされ、陶酔感をもたらすのだった。
 警察以外に本能を満たしてくれる職業はないのである。警備会社や探偵社には警察勤めの経験者からは、どちらも狩猟の喜びを満たしてくれそうな話は聞かなかった。
それらの職業の実態は、推理小説や映画とは大違いであった。
週刊誌に掲載されるゴシップネタを扱う仕事が性に合わないことは、私自身が一番よく知っている。
「あなたには我々の仕事は無理だ」
と、辞表を求められるのは目に見えていた。
「俺を専属のボディガードとして雇ってくれないか?」
 私は散々考えた挙句、尚子に提案した。
「ボディガードが必要な弁護士はいないわ」
「本人からの証言や机上に並べた証拠だけで裁判で争うわけではないだろう。自分の脚で集める証人や証拠もあるだろう。そんな役割の男がいてもいいだろう」
「それはそうだけど、必要であれば調査員もいるわ。テレビのように身の危険を感じるようなことはないわ。でも私のことを心配してくれる貴方は好きよ」
尚子は私と組んで仕事をするつもりはなさそうだった。
「それに私は刑事事件ばかり担当しているわけではないの。東京みたいに弁護依頼が多ければその方面専門の弁護士とかいるけど、福岡では専門分野を売りにするわけにはいかないの。地方の弁護士は『何でも屋さん』でなければやっていけないわ」
『何でも屋さん』という言葉が、せっかく思いついたボディガードという職をあきらめさせた。
「ところで、私、明日から、二、三日の予定でA市に行ってくる」
「事務所の慰安旅行というわけか?」
「だったらいいけど、残念ながらプライベートなお仕事なの。でも、やらなくてはならない・・・私は海から登る朝日より、海に沈む夕陽が好き」
尚子は職業柄、理屈を積み上げるような思考過程をたどる。それは面倒臭く、鼻持ちならないときもある。だが、それを差し引いても余りある愛嬌が尚子にはあった。尚子は知的だが、妙にコケティシュな部分を私にはみせた。私はその仕草をみるとつい頬を緩めてしまう。
「プライベートな仕事の中身は尋ねなかったのか?」
 市崎は謎めいた言葉に当然のことながら確認してきた。
「尚子があえて説明しない内容については聞き流すことにしている」
言いたければ自発的に口にするはずだった。
私達夫婦の出発点からそうして信頼を築いてきた。
だから聞き流す言葉もある。
私は尚子が出かける前の夜のことを改めて思い返してみたが、『プライベートな仕事』という言葉以外、思い出すものはなかった。
ただ一言・・・。
『海から登る朝日より、海に沈む夕陽が好き』
尚子はその中に暗示的な思いがあったのかもしれない。
しかし、それはあまりに漠然として、感傷的な言葉だった。
私は茂木に尚子が好きと言っていた太陽の話もしなかった。
「プライベートな仕事ね?」
 市崎はもう一度同じ言葉を繰り返した。
「で、尚子さんが出かけてから一度も連絡を取り合わなかったのか?」
 言われてみれば、成程、普通の夫婦はそんなものかと思ったが、連絡をとりあわなかったのは事実である。
 あえて反論するなら、互いの仕事を尊重しているからと応えただろう。
 しかし、市崎は私の返答を待ってはいなかった。
「米田、敢えて言うが、個人プレイを考えているならやめておけ。警察の権力を使わなければ事件解決にはたどり着けない。お前がやるべきことは、どんな些細なことでもいいから、まず俺たちに連絡を入れることだ。いいな。約束してくれ」
市崎は元木と同様に、私の暴走にブレーキを掛ける言葉を忘れていなかった。

つづく

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