第20回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み 坊っちゃんのご依頼

 再就職が上手くいかず、とりあえず取得したのが日本語教師の資格である。中年のおばさんでも退職後のおじいさんでも、非常勤なら勤め先があると友人に聞かされたのだ。
 4大卒なら誰でもなれるという敷居の低さと、非常勤ならば働く曜日と時間に融通が利くという条件も悪くない。手に職を増やすのは悪くないし、老後の収入源にもなるのならと半年ほど養成講座に通ったのである。
 週4日、午後のみの勤務という職を得て、1年ほどが過ぎていた。
 準備が大変なわりに薄給なのはこたえたが、教室で好きに喋っていればいいという職場は予想よりは心地よかった。
 なぜ日本を留学先に選んだのですか。
 新学期にはそんな質問をするわけだが、ゲームやアニメを理由にする返答が多かった。そんなオタクな学生は熱心に授業を聞いてくれるのだが、そうではない学生は近場で安いから来たと正直に言う。
 本国での受験戦争に負けて、仕方ないから日本へ行けと親に送り出されたご子息たちである。彼らは外国語習得には全然興味がなく、親元を離れた自由な生活を謳歌していた。
 趙季立もその一人である。
 近所にはたくさんの中国人が住んでいるし、美容院もケータリングも中国人経営者の店を選べば、日本語を話さなくても生活できると教えてくれたのも彼だった。
 教科書の日本語は全然ダメだが、おしゃべりは大好きで、自分がいかに楽しく異国で過ごしているかを自慢げに語ってくる。
「今日の夜は何を食べますか?」
「家で食べます。配達です。チャーハンにします」
「ああ、ウーバーですね」
「違う。これです。こっちが便利。私たち中国人のための店」
 そう言いながら、画面に向けてスマホを見せつけてくる。漢字だらけのアイコンが並んでいるが、ほぼすべてが日本在住の中国人向けサービスとのこと。なんとなく想像がつく漢字とアイコンとを眺め、すごいなと夕香子は素直に感心した。
 異国で好き勝手するんじゃねえと思わないでもないが、もはや外国籍の人々のバイタリティーには勝てない気がしている。外国人の在住者が増えているのは知っていたが、彼らだけをターゲットにしたマーケットのほうが景気がいいのかもしれない。
 もちろん、そんな金満家向けのサービスを利用できず、ギリギリの学生生活を送る留学生もたくさんいる。半額の惣菜がうれしいとか、百円均一の店でしか買い物をしていないと、恥ずかしそうに覚えた日本語で話してくれる。 
 しかしイベントや話題の多いお金持ちのほうが、どうしても声が大きくなる。つつましい生活を送る苦学生たちは、自分の話の内容が単調なことを自覚しはじめ、次第に遠慮がちになってしまうのだ。
 非正規で貧乏な夕香子は彼ら苦学生にシンパシーを感じているのだが、あからさまに表に出すわけにはいかない。
 公平に接しているつもりだが、目新しい話を持ち出してくるのはお金持ちであり、ほとんどの内容は彼らの経済行動である。昨今の国力の差もあり、貧乏な夕香子には驚かされる話も多かった。
「ねえ、200万円をなくしても平気でいられる?」
「おまえ、そんな大金をなくしたのか。どうすんだよ。俺も金はねえぞ」
「私じゃないわよ。私の教え子が現金を持ち歩いて、気がついたらなかったんだって」
「バカじゃねえの。それ、出てこないぞ。何やってんだよ、そいつ」
 同棲相手の大原啓治は、自分の金をなくしたように怒った。
 これが普通の反応だよなと、夕香子は冷蔵庫から取り出した缶ビールを差し出す。
 ふたりとも、ちょうど30歳。
 そしてともに非正規のアルバイトである。
 学生時代の友人だが、2年前の飲み会で再会しなんとなく付き合い始めた。再会当時はふたりとも会社員で、それなりに気取ったデートを繰り返していたが、先に夕香子が女性上司と揉めて退職し、引きづられるように啓治も会社を辞めた。不安定な身分となり、生活費を折半するために同棲することになったのである。
「しかし国力の差が憎たらしいな。200万円なんて、夕香子の年収を超えてるだろ」
「啓治だって似たような金額じゃない」
「今はそうだけど、俺は去年までは年収500万だから」
「去年じゃなくて、一昨年でしょ。会社辞めて、もう1年半が過ぎたんだから」
「そうだっけ。早いな。どうりで貯金の残高が少ないって思ってた」
「昔の年収を語っても仕方ないでしょ。私だって400万円は超えてたし」
「ふたり合わせれば、一千万円に届きそうだったんだよな。いまは半分以下か。ヤバイよなあ」
 三十路同士の会話として情けなく、ふたりは顔を合わせて苦笑した。
 どちらも中流の大学を出て、中堅企業に就職していた。
 二十代はそこそこに華々しい生活を送っていたが、いったん正社員の身分を失うと落ちぶれるのは早い。再就職も思うように行かず、貯金の目減りは勢いを増している。夕香子は300万円ほど残っているが、啓治はもう残高を教えてくれなかった。たぶん数十万というところだろう。
「いいなあ、チャイナ。もう追いつけないっていうか。そいつ、どんな顔してんだ?」
「見せてあげる。オンラインの授業、録画したから」
 アルコールの勢いもあり、ちょっと笑ってやろうと授業冒頭の動画を再生した。お金をなくして悲しい、仕方ないを連呼する趙季立のカメラ目線に、盛り上がりつつも妬みが隠せない。
「このヴィトンのデニムジャケット、本物かな」
「本物で30万円ぐらい。社長の息子だもん、本物よ」
「ニセモノにしか見えないし、なんか似合ってねえよな。俺のほうが着こなせるし、ヴィトンも喜ぶだろうに」
 テレアポのアルバイトにもヴィトンは似合わない、という返事は控えた。それよりも、このジャケットを売ればいくらになるかというセコい考えがつい浮かんでしまう。
「酒の席で脱ぎ忘れても、趙季立クンなら悲しい終わりそうね」
「そっか。このヴィトン、古着屋に売ればいくらになるんだろう」
「追い剥ぎの親分みたいなこと言わないでよ」
「おまえが先に言ったんだろ」
「十万円はいくんじゃないかな」
「センセイ、飲み会セッティングしてください」
「ジャケットを重ね着して、金のネックレスもつけてこいってリクエストしちゃおう。そしてベロベロに酔わせる」
 よっしゃと啓治が気合を入れる。陽気な酒を飲む男であり、缶ビールはすでに3本ほど空になっていた。
「在校中はなにかと問題だから、卒業後にね。って、冗談だから。私の生徒にそんな不埒は許しません」
「卒業って来年の3月か。じゃあそれまでバイトを続けるかな」
「ちゃんと就活してよね。三十路も中盤になると正社員で雇ってもらえないわよ」
「わかってるって。夏休みが終わったらやりますよ」
 このままじゃマズいという自覚はあるのだが、夜型のだらしない生活はやはり心地いい。趙季立がなくした200万円があったら、自分らなら半年は暮らせると貧乏自慢で盛り上がる。
 そこでふと、夕香子は思い出した。
「あ、そうそう、コレ見てよ」
 動画を早送りし、パスワードが映っている場面で一時停止する。
 8個の数字とアルファベットは、しっかりと読み取れた。
「啓治ってパスワードはサイトごとに変えてる? それとも同じ?」
「つい同じにしちゃうかな。数字を足したりすることもあるけど、思い出せなくなるんだよな。あ、ちょっと止めてくれ」
 もう一枚ポストイットが貼られていた。
 名前に絡んだアルファベットに、数字がいくつか続いている。
「IDとパスワードが揃っちゃったんじゃないか」
「ゲームのでしょ。オンラインのかな。私はあまり詳しくないけど」
 授業中にはなんとも思わなかったが、改めて見返すとわざとらしい気もしてきた。
 パソコンでもスマホでも、IDとパスワードは一回保存すれば自動的に入力してくれるものが多い。おじさんおばさんならともかく、ゲーム好きの18歳の青年がこんなことをするものだろうか。
 そう指摘したが、啓治は一時停止した画面に見入っている。
 機械やデジタル関係に弱い啓治は、紙にパスワードを記入してた。かくいう夕香子も人並みの知識しかなく、IDとパスワードの一覧表をクリアファイルに挟み、机の引き出しに入れている。そしてどんどん溜まっていく登録先に閉口し、同じIDとパスワードを使い回していた。
 趙季立も、そうかもしれない。
 ゲームが好きなことと、セキュリティーに関する知識は別物だ。めんどくさがりで普段からぼんやりしている彼なら、無警戒にポストイットを貼り付けているかもしれない。
 でも昭和生まれじゃあるまいしと、中国人に関係のない和暦を当てはめたりして、夕香子は不埒な欲を押さえようとした。
 しかし啓治は、はっきりと欲望を口にする。
「どっかの銀行だったりして」
「ゲームだって。もしくはウーバーとか買い物サイトとか」
「それにしては、きっちり作り込んでるぜ。大文字小文字も混じってるし、途中に数字も入れてる」
「そうだけど、でも違うわよ。最近の子はスマホで注文するから」
「ゲーマーならパソコンでも注文するだろ。それにパスワードはパソコンでもスマホでも同じにするもんだ」
 自分に言い聞かせるように、啓治は主張した。
 エクセルもまともに使えないくせに、欲に駆られた思い込みだけは曲げないのが嘆かわしい。
「ごめん、つまんないモノを見せた私が悪かった。忘れてちょうだい。言っておくけど、ネットの取引は経歴が残るから。落とした現金はそれっきりで追跡不可能だけどね」
「だよなあ。でも彼の口座を覗いてみたいな。いくらぐらい入っているんだろ」
 下手に返事をすると長引きそうなので、夕香子は黙って動画を消した。
 パソコンをシャットダウンしテレビに切り替え、飲み続ける啓治を残して風呂へと向かう。翌日の授業に備えて先にベッドに入ったが、啓治はいつまでもリビングのソファに寝っ転がったままだった。

つづく

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