第20回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み ダイナマイトにつながったまちがい電話

 ようやく面倒ごとを覚悟するしかないと暗殺者は認めた。
 なにしろ彼がこの界わいの営利殺人担当となって、もうじき二十年。請けおった仕事も三ケタにとどく。警視庁には、『マドラー』とかいうふざけたコードネームの暗殺者が、法と秩序を重んじるこの美しい街で、いそいそとシロアリ野郎の違法駆除をおこなっているらしいことを小耳にはさんでいる者がいると聞く。ま、とはいえ、内通者によると、『マドラー』にせよ〈組織〉にせよ、いまのところ都市伝説の域を出てはいないらしいが……。
 レンチもおなじことを懸念していた。「いまさら言うまでもねえが、うちと種野素夫とをつなぐ物的証拠はねえ。いっさいな。けれど、まちがい電話をうけたってやつがおまえの名前をくちにしたが最後、サツどもは種野に対してエース級の取り調べ官を登板させるおそれがある。もちろん、それを未然にふせぐのはうちの内通者の義務だが、万が一ってこともある。そうなったら種野の記憶倉庫から大事な小箱が運び出されない方に賭けるのは、トム・クルーズが八十歳まで生きる方に賭けるくらいの大バクチだな」
 マドラーは首のうしろをなでた。「ところで種野素夫のケータイはいまどうなってる?」
「ああ、それな。じつはあの野郎、今日の朝イチで勝手に解約してやがってよ」レンチは強い舌打ちをした。「おれ、どなりつけてやったんだぜ。阿久にうらみを持っていることをサツに知られてるてめえが、よりにもよって阿久がこの世界からチェック・アウトした翌日にみょうなマネすんな、と。そしたら、あのおっさん、めそめそとさっきのミスをゲロったってわけさ。まったく、信じられるか? この紳士にむかって、すみません、殺さないでください、だとよ。ビジネスマナー講座の経営者だかなんだか知らねえが、とんだヌケサクだぜ、あの種野っておっさんはよ」
 ちなみに、今回、マドラーの手にかかって命をおとした阿久秀康は、ストーカー行為によって執行猶予判決をうけた有名テレビゲーム会社社長の息子で、殺人を依頼した種野素夫は、ストーカー被害者の父親。彼の大事なひとり娘は、しつように追いかけてくるストーカーから逃げようとして階段を転げ落ち、一生歩くことができない身体になってしまったのだ。
 マドラーの基準によると、阿久秀康はシロアリとして駆除されてあたりまえの害虫野郎だった。かたや種野素夫は、自分の娘に害をなした害虫の駆除を業者に依頼したまでのこと。罰せられるいわれはない。実刑? ムショ暮らし? そりゃ、ちょっとばかりかわいそうすぎる。できることなら鉄格子のこちら側にいさせてやりたい。たとえ、目をおおいたくなるようなミスをいくつかしでかしたとしても……。
 マドラーはソファから腰をあげ、ごくちいさな動作で万年筆を投げた。万年筆はびゅっと風を切りさき、レンチが食べかけのままデスクのはしに置いていたリンゴにぐさりと刺さった。レンチはひきつった笑みを浮かべつつ、両手をあげた。
 マドラーは背広のしわをていねいに伸ばし、姿見のまえへいった。グレーの髪をうしろでなでつけた初老の男が、彼を見つめ返している。「すでにおまわりが、まちがい電話をうけた一般人ってのの語録をタイプ打ちしている可能性は?」
「いまんとこ、ねえ」
「たしかか?」
「たしかだ」
 では、たしかなんだろう。マドラーは壁にかけられたカレンダーを見やった。今日は火曜日。阿久秀康の屋敷にハウス・クリーニング・サービスが来るのは、毎週水曜と土曜の昼まえ。つまり豊島区千河の閑静な住宅街で起こった強盗殺人事件を世間が知るのは、はやければ明日の昼すぎとなる。
「なあ、マドラー」と、レンチ。「いっそ死体をかくして、すこしでも時間かせぎするか?」
「あまり意味がない。強盗と家主が一戦交えたよう見せかけるために、いろいろかっぱらってやったし、家具や壁をボコボコにしてやったからな。すくなくとも死体がないのでクリーニング・スタッフもほっとひと安心、なんてあまい夢は見れそうもない。ところで、まちがい電話をうけた一般人とやらの素性は、どこまで調べがついている?」
「ああ。ついさっきカメが第一報をよこしてくれたよ」レンチはひきだしから取りだしたMX調査事務所の封筒を、デスクのはしまで放った。
 マドラーは鏡ごしにそのようすを見てはいたが、しいて封筒を取りにデスクのところまで寄ろうとはしなかった。
「さてと。どれどれ……」気まずい空気が流れ出すまえにレンチはイスから腰を浮かし、封筒をひきもどした。ぎこちない動作だった。強面のこの男がパンチ力を売りにするビジネスから身をひいたのは、十年まえ、仕事ちゅうに一生ものの傷をアキレス腱に負ったからだ。「じゃあ発表するぜ。不幸にも、この国の殺人ビジネスのシェア三十パーセントをほこる、我らが〈組織〉の秘密を知りすぎちまったのは……」
 封筒を乱暴にやぶき、なかからA4用紙を一枚ぬきだす。「『豪田貴臣(ごうだ たかおみ)、三十二歳』。住所は……お、なんと東京だ。しかも二十三区。――なになに。『足立区梅ノ塚の一丁目』とある。んでアパート名が、『メゾン古木』。げっ。いかにもボロそうなアパート名だな。でもって、『独身のひとり暮らし。まだフェイスブックも、ツイッターも、インスタグラムもユーチューブのアカウントが見つかっていない』だとさ。……ってことは、すくなくとも本名じゃどれもやってないってことだな、たぶん。それからなになに、『職業はまだ不明だが、平日の午後三時現在、在宅ちゅうであることから、ニートか夜勤の仕事のどちらかだと推測される』だとよ」
 おそらく表情には出なかったろうが、このさなかマドラーの心臓はでんぐり返っていた。なんと、『豪田貴臣』という名前に聞きおぼえがあっただけでなく、自宅アドレスが、丁目のところまで彼のそれと一致しているのだ。

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