第20回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み バーチャリティ・フォール

『バーチャリティ・フォール』

南原詠(なんばら・えい)40歳
1980年、東京都生まれ。東京工業大学大学院修士課程修了。企業内弁理士。


 第一章

 1

 三重県多気町(たきちょう)の経済は、《シャープ》の中小型液晶テレビ工場が牽引している。
《亀井製作所》――《シャープ》に比べたら泡沫のような規模の電機メーカーだが――も、多気町に液晶テレビの工場と倉庫を構えている。
 大鳥(おおとり)小夜(さよ)は、《タイムズ》で調達した軽自動車を飛ばしていた。目的地は、《亀井製作所》の倉庫だった。
 国道四二号線を走りながら、小夜は毒づいた。
「なんで、特許権侵害の警告書が送付された次の日に、特許権者が自ら殴り込んで来るのよ。警告の意味がないっての!」
 バック・ミラーを、ちらっと、眺めた。
 ゆるく波打つ、肩に掛かる髪。ホテルを急いで飛び出したせいで、ぶわっ、と広がっている。前髪の下では、双眸が怒りで血走っている。頬は紅潮している。
 おまけに、特許公報と審査経過、あと、ネットの諸々の情報を、徹夜で読み込んでいたせいで、二十八歳の肌は荒れていた。
 ナビが《亀井製作所・多気町工場》の外観をディスプレイに表示した。小夜はハンドルを切った。
 ぎゃぎゃぎゃ、と、タイヤが悲鳴を上げた。
 倉庫の近く、適当な敷地内に、小夜は自動車を駐めた。
 道路沿いに、先客の車が三台、駐まっている。一台は、バック・シートが作業道具で埋まった、白いバン。一台は、荷台の側面が大きく凹んだ軽トラック。最後に、ぴかぴかの黒塗りのベンツ。
 小夜は、ベンツを睨みつつ、自動車から降りた。倉庫に向き直り、今度は自分の足で、全速力で走る。
 倉庫の広さは、およそ三百坪。スライド式の錆付いた搬入扉が、半開きになっている。
 倉庫の中から、怒号が聞こえた。
 小夜は、扉を、両手で思いっきり開け放った。
 薄暗かった倉庫の内部に、光が差し込んだ。
 平べったい段ボールの箱が、天井まで積み上がっている。液晶テレビの在庫だ。
 倉庫の中央には、白いスーツに赤いシャツを着た、長身で白髪の男性がいた。
 小夜はすぐに、男が《皆川電工》の社長、皆川竜二郎だと気づいた。
 皆川の腕が、小太りの男の首を絞め上げている。《亀井製作所》の社長であり、小夜のクライアント、亀井道弘だ。
 亀井は、皆川の手下たちに囲まれていた。手下は、十人。手下たちの目つきは悪いが、皆、服装は水色の作業着姿だった。《皆川電工》の従業員だ。
 皆川が、わざわざ強面の従業員を選んで連れて来た可能性が高い。
 一方、亀井の背後には、《亀井製作所》の従業員が三人いる。皆、恐怖に顔を戦慄かせていた。
 小夜は、即座に叫んだ。
「亀井さん! 無事ですか! 死ぬなら代理人手数料を支払ってからにして!」
 皆川サイドも、亀井サイドも全員が振り向いた。
 亀井が、半ベソで叫び返した。
「大鳥先生! 助けてください! 皆川さんが、乗り込んで来たんです。姚(よう)愁(しゅう)林(りん)先生にも電話をしたんですが、繋がらなくって」
 どさっ、と、音がした。亀井が地面に崩れ落ちた。
 皆川は、亀井の首を掴んでいた右手を、ゆっくりと下げた。
 小夜を睨みながら、皆川は、じわり、じわりと近付く。
「生意気にも、亀井が代理人を雇った話は聞いている。特許侵害が専門の特許事務所の女だってな。俺らの技術を土足で踏みつけるような真似をしておいて、人を雇って言い訳をさせるとは大したもんだ」
 眼光を飛ばした気なのか知らないが、小夜は、しれっと、挨拶をした。
「《亀井製作所》側の代理人を務めます《ミスルトウ特許法律事務所》の弁理士、大鳥小夜です。《亀井製作所》に特許権侵害の警告書を送付した、《皆川電工》の皆川社長で間違いありませんか」
 小夜は、ハンドバッグから名刺入れを取り出した。
 名刺を、ぴらっ、と、渡した。名刺を一瞥した皆川は、ゆっくりと、視線を小夜の顔に上げた。
「てめえんとこのメタボ社長はな、こっちが特許侵害だってわざわざ書類をこさえて教えてやったってのに、無視しやがんだ。だから仕方なく、俺が出向いてだ、直接、わからせてやろうと思ったんだよ」
 小夜は、「へっ」と、鼻で笑った。
「亀井さんは、昨日の夜、我々に、警告書の対応について電話で相談されました。三重県には、まともに対応できる特許法律事務所がなかった。だから、わざわざ東京の我々に連絡したんでしょう。我々も、夜中に急いでセントレアに到着しました」
 ごほごほ、と、咳込みながら、亀井が床から上体を起こす。
「嫌な予感がしたんです。でも、特許侵害で即日対応、なんてしてくれる法律事務所は、大鳥先生の事務所以外になくって。あと、全国どこでも飛んで行くって――」
 皆川の怒号が響いた。
「亀井、てめえは黙ってろ! 俺はこの嬢ちゃんと話してんだ」
《亀井製作所》の従業員は、皆、声も出せないくらい顔面蒼白になっている。
 小夜は、腕を組み、皆川の長身を、下から見上げた。
「聞けば、皆川社長が警告書を送付なさった日は、昨日。警告書の回答期限は三日だとか。回答期限が三日なんて、初めて聞きましたわ。小学生の喧嘩じゃないんだから。おまけに、警告書を送付した次の日に、特許権者が自ら殴り込み? 前代未聞、失笑噴飯ですわ」
 皆川は、のっぺりとした笑みを浮かべた。
「亀井にはな、再三、口頭で警告をしていたんだ。おい、やれ」

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