第20回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み 大麻村

『大麻村』

新田総一(にった・そういち)21歳
1999年生まれ。大学生。


第一章 より良き人生のために!

 はじまりはいつも、些細なものだ。状況を一変させるような大きな出来事も、きっかけをみれば、笑ってしまうほど小さなものである。例えば台風がそうだ。すべてをなぎ倒す台風も、はじまりをみれば、海原にできた小さな渦にすぎない。その渦が徐々に発達し、巨大な熱帯低気圧となって猛威を振るう。なぎ倒された家屋を前にして、いったい誰が想像できるだろう? これは、ちっぽけな渦からはじまったことだって。
 だがここで、あることに気を付けなくてはいけない。それは、はじまりの前にもまた、はじまりがあるのだ。台風のはじまりは小さな渦だが、渦のはじまりは、太陽が海面を照り付け、海水を蒸発させて作られた上昇気流だ。上昇気流に、風が流れ込んで渦となる。
 前置きが長くなってしまった。要するにこういうことだ。
きっかけは、ある日突然訪れる。しかしそのきっかけの前には、人知れず進んでいた「変化」がある。
 変化はじわじわと進んでゆく。誰にも気づかれず、見られず―しかし確実に。
 その夜も、鳥久保賢斗は孤独だった。大学の卒業式まで、あと2週間。長かった学生生活も、もう終わる。いまごろ大学の同期たちは、幸せな時間を過ごしていることだろう。仲間たちと酒を飲んだり、両親と思い出話をしたり、恋人と過ごしたりしているかもしれない。
 だが鳥久保は違った。彼はいま、アパートの自室で映画を観ている。彼には友達や仲間がいないのだ。せっかく外資系の銀行(初任給が一千万を超える。一千万!)から内定をもらえたのに、褒めてくれる人はいない。喜んでくれる友人もいない。内定をもらえた瞬間は、絶頂のような喜びがあったのだが、しばらくすると、喜びを分かち合う仲間がいない寂しさで、一気に空しくなった。祝いの日に、一人寂しくレストランに行き、誰からも話しかけられず高い酒を飲む。まるで、自分の努力や功績を、見えないなにかに侮辱されている気がして、せっかくの日に、腹立たしい思いさえした。
また鳥久保には、恋人もいなかった。普通、外資のエリート組(初任給一千万!)に入ったなら、どこかから噂を聞きつけて、言い寄ってくる女がいても良いはずだ。金目当てであったとしても、一人くらいはいるだろう。だが鳥久保には、それさえいないのだ。じゃあルックスが絶望的なのかというと、決してそんなことはない。むしろ結構良いほうだ。鼻は高く、目は丸く大きく、名前の通り鳥のような顔をしていて、イケメンに分類されてもおかしくない。髪の毛も生えているし、ファッションもダサくないし、(初任給は一千万だし)それなのに全くモテない。
 おかげさまで、大学に入ってから、鳥久保は映画通になった。いわゆるシネフィルだ。4年間で、合コンや飲み会など、数えるほどしか参加していないので、こうして寂しく映画を観て、空しい夜を過ごした。この習慣により、誰よりも映画に詳しくなってしまったのだ。それは、失明した人間が、聴力を高めるのに似ている。
 スマホが鳴ったのは、観ている映画が、クライマックスに入る寸前のことだ。暗い部屋のパソコンの画面では、ハリウッドのスターが、どこかの山で、逃亡した銀行強盗につかまり、縛られている。強盗はこの山で、主人公を処刑するだろう。これからまさに、最後の台詞のやり取りがあり、そこから激しい戦闘に突入するであろう、まさにその瞬間に、スマホが鳴った。鳥久保はうんざりした気持ちでパソコンを閉じ、机の上のスマホを取った。画面を確認すると、表示された番号は、知らないものである。
「はい……なに? なんだって?」
「モシモシケントクンカ」
 もしもし、賢斗くんか? 脳内で変換されるのに、少しの間が必要だった。
「そうだけど、どなた?」鳥久保に電話をかけて来るなんて、詐欺師か宗教の勧誘か、もしくは番号を間違えた奴くらいだ。
「ぼくや、ぼく。青木」
「……青木?」鳥久保は記憶を辿った。鳥久保の貧しい人脈の中で、青木という名前は、一人しかいない。「もしかして、青木優斗?」
「そうや」
 鳥久保は驚いた。信じられなかった、というほうが正確か。青木は中学の同級生だが、卒業してからはほぼ全く連絡を取っておらず、もう7年間、一度も会っていない。まさかとは思うが、同級生を名乗った新手の詐欺だろうか。疑いが芽生える。だが確かに、電話の相手と同じように、青木は関西弁を喋っていたし、声もよく似ている。よって、なりすましではなさそうだ。
「なぜいまごろ、俺に連絡を?」ほかにも聞きたいことは山ほどあったが、最初に口をついたのはこれだった。
「いますぐ君に会いたいんや」
「いますぐだって? それは無理だ」断ろうとしたが、青木は勝手に話を続けた。
「電話では話せない内容だから、直接会いにきて。君も準備があるだろうから、2時間後に、地元の駅前でな」
「いや、そんなこと言ったって……」
 電話は一方的に切られた。
「嘘だろう」
 鳥久保はスマホを下ろし、呆然と画面をみつめた。狐につままれたような気分だ。いま自分に起きたことを、どう受け止めたらいいのだろう。突然のことだったし、わからないことが多すぎた。なぜ青木は俺の番号を知っていた? 中学の時から、何度も番号を変えたんだぞ。なぜ今頃、連絡をいれた? 
 なにひとつ答えはでないまま、時間だけが過ぎていった。特に気になっていたのは、「電話では話せない内容」という点だ。やばいことに巻き込まれるのではないか。なんせ、あの青木だ。地元でも有名なトラブルメーカーで、お世辞にも賢い人間とはいえない。はっきりいって単細胞だ。おまけに鳥久保の地元は治安が悪く、犯罪と遭遇するのに苦労はしない。せっかく努力して外銀の内定を勝ち取ったいま、過去の人間に付き合って、リスクをとるのは馬鹿げている。犯罪にでも巻き込まれ、それこそ内定取り消しにでもなったら、どうしてくれるんだ。自分はいま孤独だが、だからといって、誰でもいいから会いたいという訳ではないのだ。
 無視しよう。鳥久保は決め、閉じたパソコンを開き映画を再開した。
 もしまた電話がかかってきても聞こえないよう、イヤホンをつけた。
予想通り、主人公と犯人は気の利いたセリフを交わす。すると主人公は、不敵な笑みを浮かべて、顎で空を示した。悪役が空を仰ぐと、主人公の応援に駆け付けたヘリコプターの大群がやってきた。激高した悪役は、撃鉄を引く。主人公はなんとか縄をほどき、二人はそのまま戦闘に突入した。一つでもミスをしたら、そいつは死ぬ。気を抜けない戦いのなか、両者は一歩も譲らない。画面からは、息を呑むような臨場感が溢れる。盛り上がるに決まっている展開だ。が、なぜか全く興奮しない。どうしても、青木のことを思い出してしまう。あいつとふざけていた頃は、楽しかったなと。
画面では、強盗犯が銃を構え、主人公へ向けた。その銃をみて、思い出した。青木とふたりでエアガンを買い、畑を荒らすカラスを撃って、農家から報酬をもらったことを。
画面にバッグに詰まった札束が映った。それを見て、また思い出した。鳥久保は金をもらえて喜んでいたが、青木はあまり嬉しそうではなく、ぽつりと、「金よりも君と遊べたほうが嬉しいんや」なんて、泥臭い台詞をいってくれたことを。
 あの頃は楽しかった……。
「ああ、もう」
 鳥久保はイヤホンを外した。青木のことが気になって、仕方がない。残念ながら、安全よりも好奇心と思い出のほうが強かったようだ。鳥久保はまたもパソコンを閉じた。
 話だけ聞いてやろう。
 ハンガーにかけられたコートを着て、鳥久保は部屋を出た。

 なぎ倒された家屋を前にして、いったい誰が想像できるだろう? これは、ちっぽけな渦からはじまったことだって。
 裏社会の伝説を前にして、いったいだれが想像できるだろう? これは、一本の電話からはじまったことだって。
 鳥久保は知らなかった。これから彼は、とんでもないことに巻き込まれる。そして彼は、激変期の裏社会における、「台風の目」へと成り上がってゆく……。

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