第20回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み 不動の諜者

  第一章『偶像』
  十月十七日(日) インテックス大阪
 時刻は午前十時より少し前。今日という長い一日が始まる。
アイドルにとって握手会とは、ファンと直接交流できる重要な場所だ。ファンの熱を身近に浴びて、アイドルは元気をもらう。それは、ファンがアイドルにもらいに来るものと同じだ。握手会は、決してファンのためだけのイベントではない。アイドルもまた、ファンに救われるための機会なのだ。
 勿論それだけでないことも事実だ。直接誹謗中傷を受けることもある。何時間も立ちっぱなしで何百人、何千人と話し続けることは多くの人が想像しているよりも過酷だ。
 それでも、アイドルはファンの手を握る。
 インテックス大阪内に設けられたマイセレ用の控え室で、鈴代瀬凪は大きく背伸びをする。簡易的に作られたこの狭い控え室では、大きな伸びはそれだけで相対的にとても大きく見える。自分が何だか大きくなったようで、瀬凪は一人で小さく吹いた。こんなことで笑ってしまうのは、久しぶりの握手会に胸を躍らせているからだろう。
「もうすぐだね」
 竹田舞奈が少し緊張したように言う。舞奈は少し人見知りするタイプなので、握手会の時は必ず緊張している。
「そうだね。私は楽しみ」
 瀬凪は舞奈に笑顔を向ける。舞奈がこんな性格でもアイドルを続けているのは、自分の限界への挑戦だと昔聞いた。自分を変えるために、殻を破るためにこの世界に入ったらしい。実際そういう理由でアイドルを目指す女子は多い。瀬凪は違うが。
 舞奈も笑顔を返してくる。
「その笑顔が出来るなら大丈夫だな」
 渡邊玲が鏡の前で髪を整えながら言う。鏡越しにこちらを見ていたようだ。
「そうかな?」
「少なくとも、昔はもっとガチガチだったでしょ。十分成長してる」
 玲は舞奈にとっては頼りになる姉のような存在だ。瀬凪にとっても玲は姉のように頼もしいと思うことがある。歳は瀬凪の方が一つ上だが、やはりボーイッシュでどこか大人っぽい玲には、どうしても頼ってしまう。
 だが、玲からしてみれば、瀬凪の方がよっぽど頼りになるそうだ。確かに、レッスンやライブ、こうしたイベント事では瀬凪が中心となって動くことが多い。
「あれ、私眼鏡何処やったっけ」
 玲が腑抜けた声で言う。
「さっき忘れないようにって言って、上着のポケットに入れてたじゃん。右ポケット」
「あ、ほんとだ。サンキュー」
 こういう抜けたところがあるから、ちゃんとした場面では瀬凪が仕切ることになる。
「瀬凪、今日の服可愛いね」
 舞奈が瀬凪のレザージャケットの袖を引っ張る。
「良いでしょ? この前行ったお店で一目惚れしちゃって。こういうの持ってなかったから買っちゃった」
 瀬凪はその場で回ってみせる。
 全国握手会ではアイドルはグループの制服を着ることが多いが、個別握手会はメンバーが私服を着ることや、コスプレなどをする。よって、ファンはこの服装も楽しみに個別握手会にやって来る。一日に六部ある握手会では、最高で六種類の私服をそれぞれが準備するということだ。正直な話これがかなり大変だったりする。
 瀬凪の今日のコーディネートは、上は白で無地のTシャツに、ベージュのレザージャケット。下は紺のロングスカートにパンプスだ。髪型は触角ありのポニーテールにした。アイドル王道の髪型だ。瀬凪のトレードマークとも言える。
因みに、ここへの行き帰りは別の私服であり、上は同じくレザージャケットだが、下がスキニージーンズにスニーカーだ。移動時はやはりパンツの方が良い。
「うん、瀬凪のスタイルによく似合ってる。いいな、細くて」
「舞奈はもっと良い武器持ってるじゃん」
 瀬凪は舞奈の胸を掴んだ。すぐさま舞奈が後ろに避ける。
「やめてよ!」
 そう言いながらも笑っている。舞奈もこの件は嫌いじゃないらしい。
「瀬凪だって十分あるでしょ」
「まあ一応はね?」
「一応ってなんだよ、私に喧嘩売ってんのか?」
 玲が鏡越しに睨み付けてくる。
「そんなことないよ。玲はイケメンだから良いでしょ」
「別に女にモテたい訳じゃないんだけどな」
「そんなこと言って、私知ってるからね、玲が偶に女子にモテる方法調べてるの」
「なっ」
 玲が顔をみるみる赤くする。
「そうなの?」
 舞奈がとぼけた顔で玲を見る。
「キャラだよ、キャラ。女の子のファンが多いからそのため」
「ふーん。あ、玲また髪乱れたよ」
「もう最悪」
 瀬凪は玲の後ろに立って、玲の髪を整える。玲は髪が短めなので、この三人の中では最もヘアセットが早く終わるはずだが、本人はいつも髪を気にしている。意外にも繊細だと、その姿を見ていつも思う。
 舞奈はいつも通りツインテールの髪型で決まっている。
「玲も可愛いところあるよね」
「そうだね」
「二人ともうるさい!」
「はいはい」
 三人とも笑う。舞奈の緊張もほぐれてきたようだ。
 その様子を見計らったかのように、マネージャーの佐藤(さとう)国(くに)香(か)が控え室に入ってきた。
「三人とも、時間よ。来て」
「わかりました」
「じゃあ、今日も頑張りますか」
 玲が気を取り直して言う。
「そうだね」
 舞奈が頷く。
「よし、行こう! マイセレ~ゴー!」
 瀬凪は玲の髪をさっと整えて、控え室を出た。

つづく

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