第20回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み 或る一日署長の女

『或る一日署長の女』

伊藤丈太郎 (いとう・じょうたろう)55歳
1965年生まれ。アルバイト。服飾店、飲食店、マンション管理人などを経て現在。


それにしても派手な色だ――。
そのバッグを見て、彼はつくづく思った。メッセンジャーバッグと呼ばれるものだ。全体の形はリュックサックに似ているが、肩紐は一本で、それを片方の肩から斜めにかけて背負うタイプのバッグだ。
子供のころにいじめに遭ったせいか、これまで彼はできるだけ目立たないように生きてきた。だから服装も持ち物も、地味な色合いのものばかりだ。こんなカラフルなバッグを持ち歩くことなど、とても考えられない――。
我に返り、雑念を振り払った。ぼやぼやしている時間はない。彼はバッグのファスナーを開いた。そして、持参した紙袋の中から一つの物体を取り出した。自作の時限式爆発装置だ。ネットや専門書を参考にして作り上げたもので、デジタル表示のキッチンタイマーと爆薬を組み合わせたシンプルな構造である。
腕時計で時刻を確認し、爆発予定時刻までの時間を計算した。緊張に震える指でタイーのボタンを繰り返し押し、その分数を設定する。
スタートボタンを押した。デジタル表示が、爆発の瞬間に向かってカウントダウンを刻み始める。額に汗をにじませながら、彼は爆発装置をバッグの中に慎重に押しこんだ。ファスナーを元どおりに閉める。
準備完了。ほっと息をつきながら、彼――沢渡真一は静かにほくそ笑んだ。
これで、あの女は終わりだ。

             ☆

部屋に戻るなり、課員の一人が声をかけてきた。
「課長、皆さんお揃いです」
「お、そうか」
濱田は答え、襟元に手をやりネクタイの結び目を整えた。
東京郊外に位置する北多摩署。四階にある警務課の部屋は、上から見ると縦長の長方形をしている。出入口は右辺の下寄りの位置だ。室内には、手前から奥に伸びたデスクの島が二列に並んでいる。上から見ると〝=〟の形だ。それぞれの島はデスクが向き合った形で並べられ、課員たちがデスクワークに勤しんでいる。さらに、その奥にひときわ大きなデスクが一台。これは警務課長である濱田の席だ。
「到着してどのくらいだ?」
「ついさっきお見えになったばかりです」
 入口に立っていた濱田は、自分のデスクには向かわず、そのまままっすぐ進んだ。突きあたりの壁に応接室のドアがある。長方形の左辺のやや下寄りにあたる位置だ。
濱田はノックし、ノブを引いてドアを開いた。そこでふと思いつき、ドアの端から顔を出し、課員の一人に声をかける。
「あぁちょっと木村君。本庁から言ってきた情報管理システムの件、その後どうなった?」
「すでに先方の担当者に連絡済みです。今週中に具体的な資料を送ってくれるそうです」
「さすが木村君、仕事が早いな。大いに結構」
濱田は満足の顔で頷いた。規律と効率を重んじる濱田にとって部下は宝だ。個人差はあるものの、どの課員も押しなべて優秀。問題はなに一つない。ここでの課長職を大過なく勤め上げれば、数年後には本庁警務部への栄転も夢ではない。そう確信していた。  そう、半年前までは――。
濱田は左に顔を向け、そこに置かれた一台のデスクを見た。応接室の入口の左脇に、側面を壁に接する形で設置されたそのデスクは、今は無人だ。濱田から見て、椅子はデスクの向こう側にある。さらにその向こうは外に面した窓だ。つまりデスクの主は、窓を背にして座る文字どおりの窓際族である。デスクの上には仕事に関係したものはなにも置かれていない。置いてあるのは妙に派手な色づかいのバッグだけだ。濱田はよく知らないが、メッセンジャーバッグとかいう、自転車便などが愛用するバッグらしい。
そのバッグの持ち主が警務課へ異動してきたのは、今から半年前のことだ。以降、平穏だった濱田の日々には、少なからず揺らぎが生じ始めている――。
「課長、どうかされました?」
ドアを開けたまま立ち尽くしていた濱田に、応接室の中から声がかけられた。
はっと我に返り、「いや失礼」と濱田は室内に足を踏み入れた。談笑していたのだろう、和やかな空気の中、四人の男女が笑顔でソファーから立ち上がった。うち二人は署内の人間だ。一人は総務課の四十代の男性課員。もう一人は濱田の部下である二十代の女性課員。そして、彼らと向き合っていた二人の男女が本日の来客である。
男性のほうは濱田より少し上、五十代後半だろうか。隣の女性は若い。プロフィールにはたしか二十七歳とあった。
「本日はご足労いただき恐縮です。私、警務課長の濱田と申します」
「このたびは私どもの遊佐がお世話になります」
 濱田は男性と名刺交換をした。隣の女性が笑顔で一礼する。女性の名は遊佐カオリ子。アイドルとしてデビューし、現在は女優としてドラマや映画などに出演している。男性はマネージャーで、田所という名だった。
 一同はソファーに腰を戻した。濱田は彼らを横から見る形で一人掛けのソファーに座った。庶務担当の女性職員が入室してきて、緑茶の湯呑を置いて退室する。
「ひょっとして、遊佐さんはここまで自転車で?」
彼女は膝の上にサイクリング用のヘルメットを乗せ、そっと手を添えている。
「ええ。私の唯一の趣味なんです」
「ほぅ、私らが若いころのアイドルとちがって、今のお嬢さん方は活動的なんだな」
「やだ、課長。その言い方、いかにもおじさんって感じですよ」

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