第20回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み ぬるま湯にラジオ

『ぬるま湯にラジオ』

秋野三明(あきの・みあけ)38歳
1982年生まれ。2008年医学部卒業、同年医師免許取得。2015年医学博士号取得。現在は非常勤医師を続けながら、小説家を目指し執筆中。


第一章

 事実は小説よりも奇なり、なんて戯言はもう聞きたくない。
 小説の方が並外れて奇妙だし、面白いに決まってんだろ。面白くないのは、作家に問題があるだけだ。
 リサーチ用に買った本にマーカーを引きながら、烏丸は溜め息を吐いた。
「今度はだれの伝記を書くんですか」
 コーヒーのお代わりを注ぎにきたウエィトレスが訊いてくる。ここは執筆の為に毎日通っている喫茶店なので、もうすっかり顔馴染みだ。
「ああ、次のは新渡戸稲造のやつだよ」
「へえ、楽しみ」コーヒーを注ぎ終わり、ウエイトレスは去っていった。どうせ読まないくせに、とは面と向かって言えない。
 彼女のような若者は好かないだろうが、伝記小説というものには、一定のファンがいる。どうせ本を読むなら、だれかの作った妄想より、実在の人物について学びたいと、そういう人間は意外と多いのだ。
 数奇な運命や、困難の克服など、テーマはフィクションもノンフィクションもそう変わらない。じゃあ、何が違うのか。
 分かり易いのは、プロレスと格闘技の比較だろう。
 プロレスで生まれたヒーローを見て、どうせ八百長だろ、と蔑むような輩は烏丸の小説を好む。素直に憧れる人間は、フィクションだって受け入れられる。
 どちらが良いという話ではないが、俺は完全に後者だ。たとえ仕組まれたものであろうと、プロレスのストーリー性は好きだし、新渡戸稲造の秘密結社への入会の経緯を調べるくらいなら、指輪物語やシャイニングを読んでいたい。
 では何故、必死に指を踊らせながら他人のメモワールを書いているのか。端的に答えれば、それは俺に才能が足りないからだ。
 文章を書く才能はある。作品全体の構成を考えるのも得意だ。問題は、アイディアにあった。1を100にする作業は得意だが、0から1を生む出すのが苦手なのだ。
 ハッキリ言って、小説家としては致命的な欠陥だと思う。
 デビュー作は将棋の世界を書いた。無敵の竜王が殺される、殺人ミステリーだ。父親がプロ棋士だったので、烏丸はその分野に詳しかった。そのおかげで賞を勝ち取り、デビュー作はそこそこ売れた。
 久々に現れた鬼才、なんてキャッチコピーを張られ、俺は有頂天になった。間を空けずに書いた次作も将棋関連で、売り上げは前作を越えた。
 箇条書きにすれば、順風満帆な作家生活に聞こえるだろう。でも、烏丸の快進撃はそこで止まった。完全なネタ切れだ。将棋の世界で起こるミステリー小説なんて、そう何本も書けるようなものじゃない。
 じゃあ、他の分野で書けばいいじゃないか。そう、問題はそこだ。
 俺だって別に親父が棋士だっただけで、将棋の世界に生きてきたわけじゃない。小中高大と、いたってノーマルな世界を生きてきたし、短いがサラリーマン生活も経験している。将棋以外は何も知らないと、そんな尖った男じゃないのだ。
 ならば、将棋界以外の舞台でも書けるだろ。ああ、書けるさ。そして、書いたさ。そこで、自分の才能が欠落していることに気が付いたんだ。
 先の二作が面白かったのは、舞台が異質だったからで、俺は鬼才など持ち合わせていなかった。将棋界あるあると、変人ぞろいの棋士たちに助けられていただけだ。
 平凡な舞台からは、平凡な物語しか出てこなかった。
 無難な登場人物に無難な事件、無難な犯人。無難を甘さに変換すれば、ショートケーキに蜂蜜をかけ、餡を上に乗せたような、甘ったるい作品しか生み出せなかった。
 そんな、歯を溶かすだけの糖尿病作成機を好む人間はいない。三作目から、烏丸の不作人生が始まった。
 売り上げはガタ落ちで、出版社にはロングレンジを好むボクサーのように距離を取られはじめる。
 だから俺は足掻いた。これで終わりか、なんて諦めるわけにはいかない。小説家として生きるのは、子供の頃からの夢なのだ。
 芥川竜之介、東野圭吾、スティーブン・キングと憧れる小説家はコロコロ変わったが、ゴールポストの位置は動いていない。
 面白い舞台がないか、面白い人物がいないか、烏丸は血眼になって探した。作り出せないのなら、現実世界に見つければいい。
 その結果、予期せぬ伝記小説が生み出された。それがまあまあ売れてしまったのだ。次も、その次も。計4冊出したが、すべて、まあまあの売り上げだった。
 懐は潤い、距離を取ってこちらを伺っていた出版社も、インファイターの如く距離を詰めてくる。これで一安心、と俺は胸を撫で下ろした。
 爆発的な売り上げはないが、そこそこ売れる伝記小説家、それが今の立ち位置だ。人間というのは景色が変われば考えさせられるもので、伝記小説家という小山の頂から見えた景色に、烏丸は違和感を覚えた。
 俺はこんな小説を書きたかったわけじゃない!
 まさに、山上の咆哮だった。これは比喩じゃない。実際に富士山に登り、その山上から烏丸は叫んだのだ。この気付きには、わざわざ富士山を登る価値があると判断した。
 そう、俺は背筋の凍るようなミステリーやスリラーを書きたくて、小説家になったのだ。松下幸之助の偉業を讃える為じゃない。
 しかし、哀しいかな、文学界は辞めたいと言って辞められるような世界じゃないのだ。伝記小説に味を占めた出版社は伝記以外を烏丸に求めず、オリジナルなんかは見向きもされない。オリジナルの「オ」を発音しただけで、顔を背けられる始末だ。
 だからと言って、駄駄をこねたりはしない。俺も大人だ。

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