第20回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み ネコノベル

『ネコノベル』

クロバマサト 54歳。
1967年生まれ。亜細亜大学卒業。 


     〇 猫たちの潜在(ラテント)

ようこそ。よくここまで来てくれた。まずは自己紹介しよう。おれはもちろん猫だ。名前は貴船。それが猫同士のあいだだけに通じるおれの名前だ。そうはいっても本当はそれも違う。おれの名前は貴船でもない。たかふねでも、タカフネでも、Takafuneでもない。実際猫世界の中でのおれの真の名前は、発音も意味も二本足のそれとは全然違うもの。全く異なるもの。それは、猫にしかわからない概念から生まれた、猫だけの言語で、猫の喉による発声でしか表現できないもの。だから二本足に説明することは不可能だ。おれの真の名前の発音とその意味は、二本足たちにはわからない。理解できない。永遠に。
おれの名前を二本足が使う言語に合わせてやればその発音と意味が一番近いと思われるのが日本語の、漢字で表される、貴船だった。だからここからおれは貴船と名乗ることにする。そしておれがここであえて貴船と名乗るのには理由がある。ある現実を文字として残し、ある想いを君に読んでもらいたいからだ。――おれは最近、ある事件に遭遇した。その事件はおれの猫生感にある変化をもたらした。今思い出してみても、正直、あまり愉快なものだとはいえない。とはいえ起きたことは起きたこと。そう、認めるしかない。

      一 猫たちの夜

始まりは春の夕暮れの神社だった。
そこでおれは少しまずい状況に陥っていた。

「……ねえ、まだァ貴船ェ」
「……ちょっと……待てよ」
おれの足元には灰色をした四角い一枚の石畳がある。表面には、縦に六本、横に六本、直線状の、ひび割れが入っている。四角い石畳の輪郭、外枠を含めれば、縦七横七の升目を持っている石畳製の碁盤だ。その石畳碁盤の上に黒っぽい石と白っぽい石、どれも丸っこい石が黒白七個ずつ置かれている。
その並びが問題だった。
これをこう、あれをこう、といくら考えてみても、あと数手でおれの負けが決まってしまう、それがわかる。どう頭を振りしぼってみてもだ。おれの負けは確定していた。このあと、おれ、才門、おれ、才門の順で石を動かしていけば、いずれ才門が動かす白い石が縦か横、それか斜めに七つ並んでしまう、そんな近い未来が読めてしまう。
思い返せば七手前、黒石を置く場所を間違えたのがまずかった。そう思いながら盤面を見下ろす。前屈みになる。頭を下げて、前のめりになる。その姿勢のままさらに、すうと頭を低く沈めた。顔の向きは盤面の上に、目だけを盤面の右横に向ける。盤面の右横にある別の石畳の上には、薄茶色をした鉋屑に似たものが入っている、透明で四角い、平たい小袋がある。それにもう一つ、赤くて細長いチューブ一本が、それぞれ重石一つで押さえられ、ときおり、さあ、ささあ、ささあと吹く、そよ風から守られていた。
七回戦勝負。先に四回勝てば、おれが口に咥えて持ってきた『カツオブシ フレッシュパック』一袋と、才門が持ってきた『スティックゼリー ビーフ味』一本を総取りできる取り決めになっている。今、三勝三敗での最終戦だ。でもこのままでは負けてしまう。賞品を持っていかれる。ところが打つ手が無い。
あとがないおれは決断した。
もう、アレをやるしかない。
おれは盤面に顔を向けたまま、目線だけを上げた。
目の前にいる対戦相手、才門を見る。
サバトラの名にふさわしい白地に黒の縞模様。いってみればホワイトタイガーの小型版だ。白地の額に黒い縞線が縦に三本入っていて、その下には深い青色をした真ん丸な目玉が二つある。その両目どちらの目尻の横にも黒い縞線が斜め上に向かって入っている。マスカラ効果とでもいうのか、その黒い縁取りのおかげで青い目玉は実際よりも大きく見える。その青い目玉の中にある黒い瞳孔も真ん丸になっていた。真ん丸な瞳は興味津々になっている証しだ。その目がおれをじいっと見つめている。おれを見据えている。
この目玉が邪魔だ。
でもその目が一瞬瞬く、その気配を感じた。
 今だっ。
 おれは動いた。
――はずだった。
ところがだ。動く前に狭い額をピンポイントで、とん、と後ろに軽く突かれてしまう。才門の爪を出していない右前足の肉球でだ。そのために前に傾けたはずのおれの身体が前に倒れていない。むしろ押されて、退がっている。おかげでおれの狙った攻撃は無効となった。六本の指を持つおれの右前足が繰り出す必殺技、『白い閃光』、又の名を『シックス・アタック』は不発した。おれの右前足はなにもない宙を、無意味に、無駄に、すかっ、と空しく、横に掻き切るだけとなる。おれの計画は見事に失敗した。石畳の上に置かれた十四個の石を横から一気になぎ払い、全てを無効にしてから、カツオブシを、あわよくばビーフゼリーも一緒に咥えて、ダッシュで逃げる――その最後の手段は、完全に失敗した。
その不発弾となった右前足を、右から左に振り終えた格好のまま、おれは固まる。
その姿勢で固まったまま才門を見る。
才門も、青い目玉でおれを見ている。
おれも才門もなにも言わない。
ただ静かな時が流れていく。
さあああ、と風が吹いた。
ざざああ、とまわりに立っている、木の枝から生えている緑の葉が静かに鳴いた。
額にあった才門の前足がそっと、離れる。
おれも不発弾となった右の前足を石畳の上にそっと下ろす。
そのおれの右前足を見下ろし、眺めながら、才門が言った。
「……それは、やっちゃだめだよ、貴船。それにそんなことをしようとしても丸わかりだよ。それぐらい貴船だってわかっているでしょ?」「……ふん。いやなやつだよ。おまえは。相手の動きが事前に読めるなんて。さてはおまえ、本当は化け猫だな」「え?」「化け猫め。この真剣勝負にその妖しい目の力を使ったな」「化け猫はひどいなあ」才門の黒い丸い瞳孔が縦長の楕円形になる。「こんなの、猫なら誰もがみんな持っている、ただの動体視力だよ。頭脳勝負の七並べにそんな目の力は関係ないし、使えないし、意味ないよ」
全くそのとおり。
今のはおれの、ただの負け惜しみだ。
「だいたいさ、そういう貴船のほうが二本足から見れば、うわあ化け猫だ、と思われることをしているじゃない」「ん?」「あっちのほうがすごいよ。もしアレを二本足が見たらそれこそ大騒ぎになる」「ふん。バレないように気をつけてるさ」「だったらいいけど」そう言う才門の黒い瞳孔がまた丸くなる。真ん丸になる。それを見たおれはまた身動きできなくなった。知らないうちに左肩でも動いていたのか、左前足のなぎ払いも読まれたらしい。
おれたちは、夕暮れを迎えた神社の境内にいた。二本足たちが崇め奉る、なんとかの命という神さまたちが数柱祀られている場所にだ。

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