第20回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み 少女たちの秒針

 今日も午後四時を回った頃、光がやってきた。
 詠と話しているところに現れたのだ。
 光は不機嫌そうに「どうも」と言った。
 風音は、「わたしの方が先輩だよ」と返してみようかと思ったが、怖くなってやめた。悩んでいる相手が本気で怒ってしまったら収拾がつかなくなる。
 なので、
「大丈夫?」
 と訊いてみた。
 光はムスッとした。
「正常です」
 ――と、返ってきた。独特の返事である。
 姉妹はなにやら会話を交わした。
「決まった?」
「まだ」
 そんなやりとりがあったように見えた。口の動きをできるだけ追いかけたが、わからない部分の方が多かった。わかるのは、光が詠の返事を待っているということだけだ。
 詠と光は、自分たちのスペースに戻って、今日もしばらく話し込んでいた。二人が風音のベッドのカーテンを閉めなかったので、光の帰るところがはっきり見えた。光は見向きもせず、挨拶もなしに帰った。
 失礼な、と思ったが、それだけ心に余裕がないのかもしれない。
 大目に見てあげよう。風音は寛大な心で光を許した。
 その後、入れ替わりに母がやってきた。スーツ姿だった。仕事の帰りにそのまま寄ったようだ。
『場合によっては補聴器が必要になるかも』
 母はメモ帳にそう書いた。もしや、この耳はもう元には戻らないのだろうか。補聴器なしではまともに音が聞こえなくなってしまうのだろうか。
 よほど不安な顔をしていたのか、母は風音を抱きしめてくれた。何度も背中をポンポンと叩いてくれた。母にこうしてもらうのは久しぶりのことだ。やはり、親の腕の中は落ち着く。立ちこめてきた不安があっという間に消えていった。
「普通に、話せるようにしようね」
 母がゆっくりと言った。
 風音はうなずく。たとえ機械の力を借りることになったとしても、自然に会話できることが第一だ。少々の不便は、努力で乗り切ろう。
 励まされたおかげで、強く決意することができた。

 それにしても、クラスメイトが誰も来ないのはやはりさみしい。
 まだ安静が必須とはいえ、会える人が少なすぎて、風音は心細くなっていた。いつも、友達と話すことで元気をもらっていた。今は詠しかいない。
 簡単に連絡を取る手段があればいいのに……。風音は残念に思う。
 世間では携帯電話が普及しつつあるが、まだまだ持っている学生は少ない。風音の両親は、「家の電話で充分」と言っている。所有できるはずもない。
「おーい」
 そして、今日も詠が顔を出す。
 三日目だが、早くもこの流れを風音は楽しみにしていた。ほうじ茶を飲み干して、詠と向き合う。
「耳は?」
「ダメ」
「そっかぁ」
 詠は残念そうに笑う。
 耳も聞こえないし、鼻も利かない。風音は目で、そこにいる詠を感じるしかないのだ。
『私ね、あさって退院するんだ』
 詠はメモ帳に書いた。風音は、がっかりはしなかった。
 見たところ元気そうだし、もうほとんど治っているのだろうな、と予想はしていた。
 それでも、退院すると言われるとさみしい。自分が退院するまで、毎日カーテンを開けてほしいと思っていた。
『遠坂さん、退院したら学校でも話そうね』
「うん、今から楽しみ」
『そう?』
「他のクラスの友達って少ないから。うちの学校ってクラス替えないでしょ? だからなかなか増えないの」
『増えた方がいい?』
「もちろん。いろんな人と話せるのが楽しいから学校に行ってるんだよ」
『うらやましい』
 詠はさみしげに笑った。友達を作るのが苦手なのかもしれない。
 風音は仲良くしてくれる人がたくさんいるから、友達が少ない人の気持ちがわからない。嫌味だろうか? 風音だって、自分から友達を作ろうとしたわけではない。自然に増えていったのだ。休み時間の雑談、体育のグループ、コース別授業。そういったもので、一人また一人と話せる相手ができていった。
 特別仲がいいのは、一人だけ。
 その人以外に優劣はない。誰と話す時も、風音は自分を隠さない。そのままの自分で会話をする。相手が少しでもいやそうにした話題は早々に切り上げる。その判断の速さだけは自信を持っている。むしろそれくらいしか誇れるものがない。
 だから、学校の話はそこまでにした。
「光ちゃんはどう?」
「平気」
 これまたそっけない。詠は再びメモ帳を開いた。
『あの子は強いのか弱いのかわからないや』
 詠はあごに右の親指を当てて考え込む仕草をした。わざとらしくて、風音は小さく笑う。
「でも、つきまといの相手って男なんでしょ?」
『うん。ストーカーっていうんだっけ』
 そういえば、徐々にその呼称がはやりつつあるような気がする。
「男だったら襲われた時、抵抗できないよ。やっぱり誰かに言った方がいいよ」
「うーん」
 詠は煮え切らない。メモ帳に文字を書き込む。
『気がするってだけで具体的にはよくわからないの。私は見た目も知らないし』
 風音は返事に困った。
 いくらなんでも手がかりがなさすぎる。警察も、いるかいないか不明の相手を探して監視してはくれないだろう。事件の少ない長野でも、そこまで警察は暇ではないはずだ。
 ……あれ? 県警にお願いするんだっけ? 中央署?
 それすらも謎である。
 やはり、まだ自力で解決しなければならない程度の問題らしい。
「でも、光ちゃんが攻撃的なのって、そのストーカーってやつのせいなんじゃないの? あ、学校のみんなに手伝ってもらって探してもらうのは?」
「無理かな」
 ばっさり。
『そんな大がかりにやったら向こうもさすがに逃げるでしょ』
「それでいいんじゃないの?」
『そのあと、また一人になったとき戻ってくるよ』
「ああ、そっかぁ」
 風音は頭を抱えようとしたが、点滴のチューブが邪魔で腕が上がらなかった。
『まあ、任せといて』
 悩む風音の横で、詠が胸を叩いた。
『退院したら、二人で通えるから』
 そうしたら、姉が妹を守るのだ。
 ……かっこいいお姉さん!
 風音には、詠の得意げな顔がまぶしく見えた。

 夕方には今日もやはり光がやってきた。
 風音と詠がベッドに並んでいるのを見て、露骨にいやそうな顔をする。首をかしげ、あごを上げて見下す顔つきは、刑事ドラマの犯人役のような圧力がある。
「その人と話してる場合?」
 光が詠に詰め寄る。
「あ、あのさ」
 風音は思わず割り込んだ。光ににらまれる。
「お姉さんもうすぐ退院だし、落ち着いてから家で話し合った方がいいんじゃないかな」
「うるさい」
 姉に続き妹にも切り捨てられた。
「これは、私と姉の問題です」
 光は宣言して、
「か、か、わ、ら、な、い、で」
 風音にはっきり伝わるように、大げさに口を開けて言った。
「ご、ごめんなさい……」
 威圧には弱い風音である。しゅんとして小さくなった。
 詠が深いため息をつく。
『遠坂さん、また明日ね』
 うつむいた風音の視界にメモ帳が差し出された。
 顔を上げると、姉妹はもう隣のスペースへ移動し始めていた。
 余計なことを言ってしまったかと、風音は後悔した。
 光が長時間帰らないのは、ストーカー対策について真剣に話し合っているからではないのか。詠は詠で、何かアイディアを探しているのではないのか。
 もしそうであれば、風音が入り込む隙間などない。そもそも事情をまったく知らない人間だ。知った顔でアドバイスされたら腹も立つだろう。向こうは被害者なのだから。
 今回ばかりは、素直な自分で向き合うことが裏目に出た。光を怒らせてしまった。
 ……早めに寝ようかな。
 夕食もまだなのに、風音は布団をかけて眠る態勢を作った。
 しかし、隣で議論が交わされていると思うとなかなか寝つけなかった。あの二人は、警察を頼らずしてどうやってストーカーを撃退するのか。気になる。
 布団に入ったままじっとしていると、カーテンが揺れた。
 隙間から、光が走るようにして出ていくのが見えた。
 昨日より慌てていたように思えた。
 ……どうしたんだろ?
 隣で言い争いでもあったのだろうか。ますます落ち着かなくなる風音だった。

つづく

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