第20回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み 少女たちの秒針

 山王女学院の制服だ。気温は高いが、ブラウスの上に紺色のカーディガンを着ている。
 女の子は詠によく似ていた。髪は短めだが、眉の薄さや垂れ目がそっくりだった。
 二人は言葉を交わして、表情を変えた。詠は苦笑し、女の子は怒ったような顔に。
 詠がメモ帳に鉛筆を走らせる。
『こっちは妹の光(ひかり)。同じ高校の一個下』
「じゃあ後輩になるんだ」
 うん、と詠が肯定する。
 詠が風音を見ながら、光に説明している。同級生である以外にあまり接点はない。詠の紹介も短かった。
 光は見下すように風音を見てきた。垂れ目でいっけん穏やかそうに思えるのだが、唇をきゅっと結んでいるし、目も細くしているので、どこか威圧的である。風音は胸が締めつけられるような緊張を感じた。
 詠が光の二の腕を叩いた。たぶん「こら」と注意したのだ。
 光は頭を下げて、姉を押す。姉妹は隣のスペースへと消えていった。
 二人が何を話しているかはわからない。耳の中はずっと、番組の見つからないラジオだった。
 風音はいろいろと想像した。
 二人はあまり仲が良さそうには見えなかった。光が強気で、詠は困っている印象を受けた。姉に無茶を言っているのだろうか。それはどんな無茶だろう。
 ……小説のことかな?
 詠は文芸部でも期待されていると北村先生から聞いた。風音は教師からも受けがいいから、いろんな話を聞かせてもらえる。あの子は将来プロ作家になるね、なんて嬉しそうに話してくれたものだ。
 もしかしたら、そのことかもしれない。
 実は小河原家はお金に困っていて、詠のデビューをみんなが望んでいるとか。
 光は誰よりも姉のファンで、早く退院して新作を読ませろ、なんて言っているのではないか。
 当人たちがすぐ横にいるのに、風音の妄想は膨らむ一方だった。
 ……わたしにも特技があればなあ。
 風音はため息をついた。重い重いため息だ。
 喘息持ちなので、あまり息が続かない。運動はできないし、楽器の演奏もさっぱり。歌うことは好きだけれど、カラオケでもすぐに疲れてしまう。テレビゲームにはあまり興味がない。ボードゲームもやらなくなった。
 面白みのないやつだ。風音は自分のことを馬鹿にする。
 好きなこともなく、将来やりたいこともない。なんのために進学するのだろう。風音は本気でわからなくなっていた。
 カーテンが揺れて、影が通り過ぎていった。
 光が帰ったようだ。
 しばらくすると母がやってきて、パジャマに着替えることができた。病院で借りた服はどうも落ち着かなかったのだ。
『二週間くらいは経過を見ることになりそうだよ』
 ――と母がメモ帳で説明してくれた。呼吸困難が引いても、耳の治療もしなければならないからだ。
 今回は大変なことになってしまった。風音は申し訳なく思う。
 家があまり裕福でないことは知っている。なのに、志望していた公立高校に入れなかった。迷った末、滑り止めで受けた山王女学院を選んだ。私立校は学費が高い。これが家庭を圧迫していることはよく理解していた。それでいて病弱ときている。
 ……やっぱり、卒業したらすぐ就職するべきかなあ。
 家にお金を入れた方がいいのかもしれない、と風音は考えた。母に訊こうと思ったが、今はコミュニケーションを取るだけでも一苦労だ。耳がよくなった時でいいだろう。
 母が帰って、夜が来た。
 部屋が暗くなっても静かにはならなかった。
 風音の耳元ではずっと、ボーッ……という音が鳴り続けている。くぐもった音が遠ざかる気配はない。
 小河原詠がもう一度顔を出してくれる、ということもなかった。
 風音は退屈しのぎに、駒崎葵がくれたオカルト雑誌を開いてみた。
 ノストラダムスの大予言。
 一九九九年の七の月に人類は滅亡する、というものだ。
 なんという名前だったか、とある作家がこの予言に関する本を出したところ、かなりの話題になった。大予言は世間の注目を集めるようになった。そして、期日まであと一年。噂はますます広がりを見せている。
〈女子高生の非業の死〉
〈六芒星の円の中で服毒自殺〉
 風音が予言を面白がれないのは、これを本気にして死んだ人が出ているからだった。
 この雑誌には、予言に殉じるように、儀式の形を作って自殺する人までいると書かれている。風音は詳しいことは知らない。けれど記事になっているくらいだから、そうやって死んだ女子高生がいるのだろう。
 クラスメイトには神秘的なものに惹かれる子がいる。多感な十代にこんな噂が立ったら、影響されるものなのかもしれない。
 ――死ぬことなんてないのにな。
 しかし、風音の理解を超える人間はたくさんいる。みんな、自分なりの理論を持って動いているのだろう。
 ――わたしは、予言が当たったとしても最後まで生きることを諦めないけど。
 それが今の、風音の理論。

     †

「耳はどう?」
「聞こえないです」
 翌日、岸倉先生の診察の時に答えた。
 一晩よく眠った。それでも耳は治らなかった。まだぼんやりした音が鳴っている。
「薬で治していこうね」
「はい」
 先生は大きく口を開けて話してくれた。おかげで、筆談でなくとも会話ができた。
 呼吸は比較的落ち着いてきていた。まだ体が熱く、熱は高い。当分は動けないだろう。そうなると、リハビリもしなければならない。寝たままでいると足が衰えるからだ。
 中学の時にも経験しているので、流れは知っている。あの時も岸倉医院にお世話になったから、勝手がわかる。
 岸倉医院は五階建て。長野市でも比較的大きな病院である。ただし建物は古く、病室や廊下もあまり綺麗とは言えない。しかし岸倉先生の腕は確かなので、風音はずっとこの病院にかかっている。
「やっほー」
 午前十時過ぎ。
 詠がカーテンを開けて入ってきた。青色のパジャマを着ていた。
 風音は起きて、ほうじ茶を飲んでいるところだった。
「ここ、いいよ」
 自分の横を右手で叩くと、詠がそこに座ってくれた。
 詠は、もう点滴をしていないところから察するに、数日以内に退院しそうだ。
「昨日のことだけど、妹さん何か怒ってた? わたしの態度がよくなかったとか」
 詠が苦笑いした。
「違うよ」
 詠はそのあと、メモ帳に文字を走らせた。
『なんか、知らない男につけ回されてるかもってピリピリしてて』
「ええっ」
『ケーサツに言うほどでもないけどこわいって』
「そんなことないんじゃないかな。警察に言うべきじゃないの?」
「うーん」
 鉛筆が動く。
『写真とか証拠がないから難しいかも』
 相手の写真があれば間違いないだろう。しかし、つけ回してくる相手を撮影できるほど余裕はなさそうだ。
 都会では物騒な事件が起きているというが、身近にはなかった。無縁だと思っていた。
 案外、そうではないのかもしれない。
 長野市だって地方都市。都市とつくからには凶悪な事件も起きるだろう。平和な街だと思い込むのは危険だ。
「遊び歩いてるわけじゃないんだよね?」
「それは大丈夫」
「病院と小河原さんの家は近いの?」
「まあまあかな」
 口の動きで何を言っているか、だいたいわかるようになってきた。
『ここに来る途中でおそわれるの、心配してくれてる?』
 風音はうなずく。襲撃の可能性があるとすれば、登下校と寄り道の時だろう。
『妹のためにありがとね』
「全然なんの役にも立ってないけど」
『いいの。でもあの子、誇張しすぎるところがあるから、そこまで深刻になってくれなくても大丈夫だよ』
「……そうなの?」
 詠はうなずき、笑ってみせた。

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