第20回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み 12月の僕は、7月の君に会いに行く

『作品名』

夏目璃子(なつめ・りこ)43歳
1977年、愛知県生まれ。税理士事務所勤務。


 2016年。その年は柊輔にとって忘れられない一年になった。大切な人に出会い、大切な人を失った年だ―――。

         十二月、大晦日           

            1

 冷気が肌を刺すような寒い夜だった。窓の外からはほんの少しだけ大晦日の慌ただしさが感じられる。夜の十一時過ぎ、家の前を通る道は近所の氏神を祀る熊野神社へと続いていて、初詣に向かう人たちの足音が時折響いた。
 虎谷柊輔は欠伸を噛み殺しながら、ひとつ大きく伸びをした。鉛筆廻しを数回繰り返し、参考書の上にペンを放り投げる。脇に置いた電気ストーブに向き合うと、冷え切った足先を赤く発光するカーボンにかざした。
 受験を控えた高校三年生の大晦日ほど、無彩色な一日もない。間近にせまったセンター試験へのプレッシャーに背中を押され、どうにか机には向かったものの、白紙のノートを前に悶々と時間だけが過ぎていく。
「あーあ、せめてもう一ヶ月時間に余裕があればなぁ……」
 この冬になって呼吸ほどに繰り返している愚痴を零す。柊輔の通う東高校は、卒業生の九割が大学へ進む進学校だ。バレーボール部に所属する柊輔は高い身長もあって、裏のエースを張っていた。懸命に練習をしたおかげか、最後の大会では三回戦まで突破でき、充実感の中で部活動生活を終えられた。人生で初めてファンレターなるものももらったが、仲間の冷やかしが照れ臭くて、返事も書かないままだった。
 よしやるぞ、といざ受験勉強に向き合ったときには、三年生の夏まで部活動に励んだことが仇となった。柊輔の狙っているR大の模試判定はC判定。いわば、もう少し頑張らないと難しいですよ、とやんわりと志望校変更を勧める判定だった。
 LINEの着信を告げるジングルが鳴った。机の上で小刻みに震えるスマホを手に取り、画面を確認する。高校に入学したときからの悪友、高槻萌太からのLINEだ。
〈ちょっと早いけど、アケオメ~! 0時だと混線しちゃうから、先に送っておきまーす。紅白ってどっちが勝ったの? 暇なら初詣でも行きませんか?〉
 萌太のゆとりが羨ましかった。萌太の成績は学年でもトップクラスだ。けれど、萌太が第一志望にしている大学は柊輔と同じR大だった。本人曰く、「大学なんてどこだって同じだよ、要は本人が大学生活の四年間をいかに有意義に過ごせるかさ。だったら、家から一番近い大学に行った方がいいよ。毎朝の通学が楽じゃん」というふざけた理由だ。
 しかし、柊輔は本当の理由を知っていた。クラスメイトの都丸千爽子が、R大への推薦入学をすでに決めていたからだ。女の子が多いからと、二年生の進学コース分けで文系クラスを選択した男だ。好きな女の子と同じ大学に行くことは、萌太にとって志望校を選ぶ上での十分過ぎる理由だったろう。
〈千爽子でも誘って行けば? 俺はそれほど暇じゃないんでね。勉強、勉強!〉
 乱暴にLINEを送り返す。柊輔は肩を回して気合を入れ直し、再び机に向き直った。
 都丸千爽子は近所に住む幼馴染だ。親たちの思い出話によると、幼稚園児の頃には将来を約束し合うほどに仲が良かったらしい。けれど、友人関係も別々になった近頃では、偶然帰り道が一緒になれば軽く世間話をする程度の仲になっていた。書道の全国大会で入賞するほどの実力の持ち主で、早々とR大の人文学部に推薦入学を取り付けた。中学生の途中から厚い眼鏡を掛け始め、大人しくあまり目立たない存在になっていた。そのとき、再び、スマホが鳴った。今度は通話の着信だ。
「そんな簡単に彼女を誘えてたらお前にLINEなんてしないっつうの! 俺の奥ゆかしいお願いをどうして悟ってくれないわけ? 人の恋路を邪魔するなんて、どうしてお前はそんなに冷たいんだ?」
 一気に話す萌太の声量が大き過ぎて、思わずスマホを耳から離した。
「うっせーなぁ、もっと小さな声で喋れよ。俺はそんなに暇そうに見えますかねぇ?」
「受験生には息抜きも必要だって」
「だいたいなぁ、そんな一方通行を逆走しているような恋路にはまったく興味がないんだよ。それに、前から思ってたんだけどさ、どうして自分で直接声をかけないわけ? 千爽子だってその方がいい印象を持つと思うけど」
「あぁーッ、わかってない! 全然わかってないよ、柊輔君。俺だって出来るものならそうしたいさ。けどさ、あんなに可愛くて、あんなに清楚な女の子がだよ、事実無根ではあるけれど遊び人という不名誉な印象を持たれてしまっているこの俺が真正面からアプローチしたって、相手にしてもらえるわけないだろ? そこで登場するのが、潤滑油としての君じゃないか」
「人を安物のオイルみたいに言うな! だいたい俺は千爽子と大して仲良くなんかないっつぅの。ただ家が近所で幼馴染だってだけじゃないか!」
「自分がどれほどうらやましい環境に生まれたのか、ぜんぜんわかってないな。お前は生まれ落ちてすぐに人生大半の運を使い果たしてしまったんだよ。彼女は光るダイヤの原石なんだ。替われるものなら替わりたかったさ。いや、今からでも遅くはない、替われ!」
「とにかく、俺はお前と違って受験勉強で忙しいんだ。切るぞ!」
「おい、ちょっと待て、まだ話が―――」
 萌太の声がまだ聞こえていたけれど、容赦なく画面をスワイプさせた。
 可愛い? 清楚? 萌太の奴、本当の千爽子を知らないからあんな事が言えるんだ。
 ―――お転婆で意地悪で小生意気。柊輔が抱いている千爽子のイメージだ。
 今でこそ、度のきつい眼鏡に三つ編みな髪型といかにも真面目そうな印象を受けるが、柊輔の知っている千爽子はまるで別人だった。
 小学生のときにこんなことがあった。当時、そろばん教室に通うのが流行っていて、柊輔も千爽子とともに通っていた。そこには、バーナードという大仰な名を持った秋田犬が飼われていた。人懐っこくおとなしい犬で、皆に可愛がられていた。ある日、誰が一番バーナードと仲良く接せられるか、というゲームが行われた。負けず嫌いな千爽子は顔を引き攣らせながらも、首に抱きつき頬ずりまでしてのけた。勝ち誇った顔の千爽子は、超えられるものなら超えてみな、と挑戦的な笑みを投げて寄こした。普段意地悪ばかりする千爽子に、どうしても負けたくなかった。まず、千爽子と同じようにバーナードに抱きつき頬ずりをした。これで同点。さらに皆の視線が集まる中、バーナードの顔を両手で挟み、その鼻先にキスをした。周りの子からは感嘆の声とともに盛大な拍手が起こった。逆転! 勝利を確信した柊輔は、余裕を見せようと、顎の下辺りを擦ってやっていた。よほど気持ちがいいのか、バーナードはとろんとした目でそれに応えていた。しかし、その表情が一変する。突然、目をカッと見開き、バウッと吼えるや、手に咬みついた。

ページ: 1 2 3