第19回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み 放課後は、ジャズ喫茶で謎解きを

 思わず両手に力が入ってしまった。待合室にいたのは、先日、実習棟の裏に俺を呼び出して因縁を付けてきた、三年の先輩たちのグループだった。
 横須賀で空手道場に通っていた俺は同年代の高校生よりも体格がよく、おまけに目つきも悪い。そんな転校生が都会からやってきたという噂を聞いて、先輩たちはどんなものかとふっかけてきたのだ。転校早々に問題なんて起こしたくなかったので、どうにか穏便に済ませたのだが……また絡んでくる可能性はある。
 できるだけ近づかないでおこう。そう思って、慌てて踵を返したのだが──
「……わっ」
 振り向いた瞬間、衝撃とともに小さな悲鳴が聞こえた。一瞬、何が起きたのかわからなかったが、すぐ後ろに来ていた学生とぶつかってしまったらしい。
 運が悪かったのは、相手が女子だったことと、駅に下校中の生徒が大勢いたことだ。
 泉福寺駅は単式のホームなので幅がとても狭い。下校中の生徒が多く待っているホームで大柄な俺と女子がぶつかってしまえば、どうなるかは明白だ。
 ぶつかった女子がバランスを崩し、線路側に倒れこんだ。
 まずい──そう思うより先に、俺の手は彼女の腕に伸びていた。
 横須賀で空手道場に通っていて本当に良かったと思う。半年近く道場から離れているが、培ってきた反射神経はまだ健在だったらしい。
 伸ばした俺の手は彼女の腕を掴んでいた。女性ひとりの体重をささえるくらい、片手でも難はない。だが、彼女自身の握力はどうしようもなかった。
「あ」
 彼女の口から声が漏れたと同時に、かつんと何かが落ちる音が響いた。
「悪い……今、何か落ちた?」
「は、はは、はい。えっと……わ、私の携帯が」
 線路を見下ろす彼女の耳から、ぷらんと片方のイヤホンが垂れ下がっていた。そこで、彼女が知った人間であることに気がついた。黒い髪を後ろでゆるくまとめた、線の細い女子。吹けば消えてしまいそうな儚さを感じるのは彼女の色素の薄い肌のせいだろうか。
 クラスメイトの有栖川ちひろ。はっきりと覚えていないが、確かそんな名前だった。
「今、取るから」
「……え? あ、でも、危ないですよ」
「平気」
 有栖川の忠告を無視して俺は線路に飛び降りた。
 次の列車が来るまで、まだ時間がある。無人駅なので駅員が非常停止ボタンが押すことはないだろうし、この駅に転落を知らせる装置なんてものも無いはずだ。有栖川の携帯は線路の枕木に寄り添うようにあった。携帯を手にとり、ホームを見上げる。不安そうにこちらを見ている有栖川と視線が交差した。
「だ、誰かに手伝ってもらいますから、待っていてください」
 ホームまでは結構な高さがある。有栖川はひとりでは上がれないと思ったのだろう。
「いや、大丈夫」
 だが、これくらいの高さを登るのは造作も無いことだった。ホームに手をかけ、ひょいとホームへとよじ登る。待っていた有栖川は、目を丸くしていた。その表情がどこか滑稽で、つい笑ってしまいそうになった。 
「おい」
 突然、トゲのある声が跳ねる。声のほうを見れば、最も関わりたくない相手がこちらを見ていた。因縁をつけてきたあの先輩グループのひとりだ。
「わが、なんばしょっとや?」
 先輩がニヤケ顔でのたまう。方言がよくわからなかったが、多分、「お前、何をしているのか」という意味なんだと思う。
 面倒なことになったと思った。無視して立ち去ったほうがいいだろうかと考えたが、却下した。俺の代わりに有栖川が絡まれかねない。
「見たぞ? 今、線路に降りてただろ」
「彼女の携帯が線路に落ちてしまったので、それを拾っただけです」
「あ? 彼女?」
 じろりと有栖川の顔を見る。彼女はびくりと身をすくめ、うつむいてしまった。
「へえ、よく見たら可愛いじゃん。お前の知り合い?」
「知り合いっていうか、クラスメイトです」
「じゃあ二年か。名前は?」
「……っ」
 有栖川は先輩の視線から逃れるように一歩さがった。どうやら答えるつもりはないらしい。だったら、俺が教える必要もないだろう。
「……さあ。知りません」
「は?」
 鋭い先輩の目に怒気が籠もった。
「知らんってなんや。お前のクラスやろ」
「人の名前覚えるの苦手なんで、覚えてないです。すみません」
「なんば言いよっとか。覚えてないわけないやろが。のぼすんなよ? くらっすぞお前」
 睨みつけて凄む先輩。雰囲気から察するに、殴るぞとかそういう意味なんだろうが、何を言っているのかわからないのであまり怖くない。
 しかし、こうなったら一発くらい殴られるのを覚悟したほうがいいかもしれない。そうすれば先輩の気も晴れるだろう。
 奥歯にぐっと力を入れ、身構える。さあ来い。胸中でそうつぶやきながら待ったのだが……結局、彼の拳が飛んでくることはなかった。
「おーい、大牟田。なにやってんだ。列車きたぞ」
 先輩の連れらしき生徒が、のんびりとした口調で言った。
 佐世保方面から列車がこちらに向かってきているのが見えた。左石駅方面へ向かう列車だ。どうやら先輩たちはこれに乗るようだ。
「来たみたいですよ先輩」
「やぐらしかぞ」
 大牟田と呼ばれた先輩が答えた。列車のディーゼルエンジンの音が次第に近づき、俺たちの側で停車した。列車のドアが開いて、運転手がちらりとこちらを見る。
「……ちっ」
 流石に大人の前で面倒は起こしたくないのだろう。大牟田先輩は、小さく舌打ちして列車へと乗り込んだ。
 何か捨て台詞を吐いたような気がしたけれど、うまく聞き取れなかった。彼が乗ってすぐ、列車は小さく唸り声を上げ泉福寺駅を出た。残ったのは、半分ほどに減った生徒たちと張り詰めた空気。だが、その空気も踏切の音と一緒に風に乗って消えていった。
「あ、あの」
 耳を撫でるように聞こえたのは、有栖川の声。
 彼女はうつむきがちに俺をちらちらと見ていた。相当怖かったのかもしれない。不良の先輩から絡まれれば、怯えて当然だ。今回は事なきを得たが、また絡まれるかもしれないと、危惧しているのだろう。
「気にするな。前に一度絡まれたことがあって、それから目をつけられているんだ。また因縁をつけられるかもしれないけど、俺だけだと思う」
 だから、有栖川が心配することはない。そう言いたかったのだが──
「え? あ、そう、ですね。あ、いや、ええっと……」
「……?」
 どうにも有栖川の言葉の歯切れが悪い。その理由はすぐにわかった。
「あの、その、携帯……」
「あ」
 かすれるような有栖川の声で、彼女の携帯のことを思い出した。大牟田先輩のことよりも携帯を心配するなんて、もしかすると見た目以上に図太い性格なのかもしれない。
「悪い」
「い、いえ。どうも、ありがとう……ございます」
 携帯を手渡したとき、画面が見えた。彼女が聴いていた音楽のジャケット写真だろう。
 もし、有栖川が聴いていたのがJーPOPアーティストだったら、何も気に留めることはなかっただろう。そういう音楽が好きなんだな、程度に思うだけだったはず。
 だが、有栖川が聴いていたそのアーティストの名前に、俺は驚きを隠せなかった。
 サックス演奏者のジョン・コルトレーン──
 有栖川が聴いていたのは、父がこの世で最も愛し、俺が最も嫌っているジャズだった。

つづく

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