第19回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み 放課後は、ジャズ喫茶で謎解きを

 俺の父は、横須賀で海上自衛隊に勤めていた。
 父は高校を卒業して海上自衛隊の下士官候補生を育成する横須賀の教育隊に入隊したらしい。それから教育隊を出て、地元の横須賀で護衛艦の乗組員になったのだが、問題が起きたのは俺が横須賀の工業高校に入学したときだった。
 父が佐世保に転勤する可能性が出てきたのだ。一般的には、自衛官は階級によって転勤の回数が決まっている。階級が高くなれば十回以上も転勤することがあるのだが、どの自衛官も最低一回は転勤を経験する。つまり、その一回が来てしまったというわけだ。
 転勤先は長崎県の佐世保だった。最初は父ひとりで行くという話も出たが、再び横須賀に戻ってくる保証がなかったため、家族揃って行くことになった。
 今思えば、あのときから母はおかしくなりかけていたのだと思う。母はママ友のグループで板挟みになったときに、軽い不眠症になるくらいストレスに弱い性格だった。
 そんな母にとって見知らぬ土地、佐世保は辛かったはずだ。知人はおらず、頼れる人間もいない。実家に帰ろうにも飛行機を使わなければ行けない距離だ。そんなところで一日中家にいれば、おかしくなって当然だろう。
 そして、「あの事故」が最後の引き金になった。通勤中に起きてしまった父の事故だ。
 俺が住む戸尾町のマンションから基地までは二キロと離れていない。事故が起きたのは、家から数百メートルのところだった。
 対向車がセンターラインを越えてきて、それを避けた父の車は電柱に激突した。即死だった。唯一の救いは、歩行者に被害がでなかったことだろう。あと少しハンドルを切っていれば電柱にぶつからず歩道に突っ込んでいたらしい。そうすれば父の命は助かったかもしれないが、多くの死傷者を出しただろう。もしかすると国を守る自衛官だった父は、無意識で被害者を出すまいと考えたのかもしれない。
 その願いの通り、被害は己の命だけに食い止められた。
 だが、事故の被害者は別の場所にもうひとりいた。それが母だ。
 引っ越してきてすぐに伴侶を失った母は、ショックと見知らぬ土地に取り残されてしまった不安でPTSDを発症してしまった。一歩も外にでることができず、テレビから車の音が流れてくるだけで取り乱すようになった。カウンセラーによる治療を受けて少しづつ回復に向かっているが、それでもひとりで日常生活を送れるほどにはなっていない。
 だから、母に変わって俺が住吉家を支えなくてはならなかった。朝食と昼食を作り、洗い物をして洗濯機を回してから学校に行く。授業が終わったら家に戻り、夕食の準備。週末は一週間分の食材を買って、一週間分の掃除をする。
 部活をする時間や友人を作る暇なんて、ありやしない。
 もしも父が佐世保への転勤を受け入れていなければと思うことがある。転勤がなかったら母は心を病むことはなかっただろう。俺も横須賀の友人たちと普通の高校生活を送っていたはずだ。だから、俺は父が憎かった。父の何もかもが、大嫌いだった。
「でも、あんまり思いつめたらだめだよ」
 井上が言う。
「たまには息抜きもしないと」
「運動する時間すならいのに?」
「それだけが息抜きじゃないよ。四◯三アーケードとか、五番街があるでしょ」
 四◯三アーケードとは、佐世保駅近くにある全長一キロにおよぶアーケード街のことだ。四ヶ町商店街の「四」とデパート佐世保玉屋の「◯」、三ヶ町商店街の「三」をあわせて「さるくシティ四◯三アーケード」というのが正式名称らしい。五番街は佐世保港に隣接するショッピングモールで、レストランやカフェ、ブランドショップに雑貨店など多くの店舗が入っている。数年前に完成して、佐世保の新しい顔とも言える場所だという。
「なに? 興味なさそうな顔」
「わかる?」
「はあ……都会にいたくせにそういうところに興味ないとか、本当に変なひと」
「都会は関係ないだろ。向こうでもショッピングとか、行ってなかったからな」
「ははあ、住吉くんはインドア派か。見かけによらないね。でも、だったら佐世保はぴったりかもしれないよ?」
「……? どういう意味だ?」
「あのね、実は」
 井上はまるで自分のことを話すかのように、胸を張った。
「何を隠そう、佐世保は『ジャズの聖地』なんだよね」
「え?」
 すっと周囲の音が消えたような気がした。
「え?」
 すっと周囲の音が消えたような気がした。
 まさかジャズという名前が出てくるとは思わなかった。前に「佐世保はハンバーガーの発祥の地だ」と井上は語っていたが、もしかしてジャズもそうなのだろうか。
 佐世保とジャズ。なるほど。どうして父が佐世保に転勤しようと決めたかがわかった。
「まあ、聖地って言っても、昭和二十年とか、昔の話しだけど……って、どうしたの?」
「いや。佐世保はハンバーガーとかジャズとか、いろいろあるんだなあって思ってさ」
「そうだね。佐世保はすごい街なんだ」
「すごいすごい。じゃあ、俺はここで」
「え?」
「ほら、自分の靴を取りにいけよ」
 どうやら井上は昇降口に到着していたことに気づいていなかったらしい。彼女はしばらくどうしようか悩んでいるようだったが、小走りで自分の靴を取りに行った。
 俺はこれ幸いと、急いで靴にはきかえ昇降口を出た。背後から井上の声が聞こえた気がしたが、足を止めなかった。ここまで付き合ってやったのだから、もういいだろう。
 校舎の影から透き通るような群青の空が見えた。昔は卓球場だったという資料館の横を過ぎ、グラウンドを右手に校門へと向かう。グラウンドの向こうに、遮断器が降ている踏切が見えた。ややあって、一両編成のレトロな車両が佐世保駅方面へとゆっくりと走っていく。佐世保から平戸を通って有田に繋がっているローカル線、松浦鉄道の列車だ。
 思わず舌打ちしてしまった。どうやら一本列車を逃してしまったらしい。次の電車まで結構時間があるはず。声をかけられていなかったら間に合っていたかもしれない。
 どこかで時間を潰すかと一瞬考えたが、やめた。学校の周りに時間を潰せるところは無いし、ぐずぐずしていたらまた井上に捕まってしまう。
 校門を出て横断歩道を渡り、もうパンを作っていない「手作りパン屋マルセラン」の前を通って泉福寺駅へと向かった。泉福寺駅は単式一面一線で、小さな待合室があるだけの無人駅だ。トイレも何もなく、唯一、高校側の駅の端に自販機があるだけ。
 この自販機ほど、利用客から必要とされている自販機はないと思う。なにせ近隣にはコンビニもなく、飲み物はここで買うしかないのだ。
 自販機の前で談笑している生徒たちの横を通り、ホームへと上がった。日差しから逃れるように待合室に向かったとき、待合室に見覚えのある姿があった。

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