第19回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み 放課後は、ジャズ喫茶で謎解きを

『放課後は、ジャズ喫茶で謎解きを』

邑上主水(むらかみ・もんど)39歳
1980年生まれ。広告制作業


 プロローグ

 まだ十七年しか生きていない俺のような人間が偉そうに人生を語っていいものかわからないが、人生には「転機」というものが存在すると思う。
 転機。ターニングポイント。生き方が変わってしまうようなきっかけ──
 言い方はいろいろあるが、俺こと住吉隆弘の身にその転機が訪れたのは──空の青が濃さを増し、夏の足音が少しづつ近づいてきたころだった。
 俺に転機を与えてくれたのは、高校のクラスメイトだ。
 有栖川ちひろ。それが彼女の名前。
 今でこそ有栖川とは会話を交わすくらいの仲になっているが、それまでは彼女の名前すらすぐに出てこないくらいだった。俺にとって有栖川は、佐世保工業高校建築科に所属する四人の女子のうちのひとりにすぎなかったからだ。
 だから、転校の挨拶をしたときも彼女がどんな目で俺を見ていたのか覚えていない。彼女が何を考え、何を思って俺を見ていたのかは、わからない。
 とはいえ、もし有栖川と俺に接点が出来ていたとしても、親友にはならなかったと思う。俺と有栖川は何から何まで真逆なのだ。
 性格、価値観、考え方。その全てが真逆に位置している人間が一緒にいたところで、心を通わせられるはずがない。
 自転車に轢かれそうになったときに「危ないだろ」と怒るのが俺で、「ごめんなさい」と謝るのが有栖川。自動販売機で違ったジュースが出てきたとき、苛立ちを添えて投げ捨てるのが俺で、困ったように苦笑いを浮かべながら飲むのが有栖川。
 ──ジャズが嫌いだったのが俺で、何よりも大好きだったのが有栖川。
 そう。有栖川は、ジャズが好きだった。
 それも、狂信的で妄信的で──病的に。
 これは、何から何まで共通するものがなかった、俺と有栖川の物語だ。
 そんな俺たちをつなげてくれたのは、かつてジャズの聖地と言われた佐世保に今もひっそりと流れ続けている、ジャズ・ミュージックにほかならない。

 第一章 ジョン・コルトレーン「ブルートレイン」

「住吉くん」
 目がくらんでしまいそうな茜色の日差しが差し込む廊下。うっすらと聞こえる生徒たちの笑い語に乗って、俺の名前を呼ぶ女子の声が聞こえた。
 足を止めて声のほうを見た。肩にかからない程度に切りそろえられた黒髪に、膝が丁度隠れるくらいの長さのスカート。生徒手帳に載っている「身だしなみの規則」をそのまま具現化したような女子──井上優花里がこちらにむかって走ってきていた。
 すぐに呼び止められた理由がわかった。
 井上はクラスメイトで、学級委員長を努めている。男子ばかりの工業高校でよくもまあ、委員長なんかできるなあと関心してしまうが、彼女の性格を考えると納得できる。
 世話焼きで心配性。クラスメイトから「お母さん」なんてあだ名で呼ばれているのを聞いたことがある。そんな彼女の最近の一番の心配事は、転校してきた俺というわけだ。
 遠く離れた横須賀から佐世保に引っ越して半年。普通であればとっくにクラスに友人のひとりやふたりはできている時期。だが、俺はいまだに学校に馴染めないでいる。
 佐世保の方言の壁も少なからずあった。見知らぬ土地という障害もあった。
 だが、一番大きかったのは俺が抱える「家庭の問題」だった。だから、その問題のことを知る学級委員長の井上が、こうして頻繁に声をかけてくるというわけなのだが……実に面倒くさい。本当にその一言に尽きる。頼んでもいないのに、佐世保はどうだとか、クラスには馴染めたのかと、近況を聞いてくるのだ。
 ほっとけよ。俺は胸中でそう吐き捨て、再び昇降口に向かって歩き出した。 
「あっ! 今、こっち見たよね!? なんで無視するの!?」
 リノリウムの床を蹴る足音が近づいてきた。その軽快な足音は俺の隣で速度を落とす。
「ねえ、住吉くん? 最近、どう?」
 ほら来た。予想通りの展開に呆れつつ、俺は無視して歩き続けた。
 しかし、諦める気配はない。時折俺の顔を見つつ、しっかりとついてくる。廊下から階段の踊り場に出で降りていく。階段で土木科の先生とすれ違い、井上が挨拶をした。そこで少し距離ができたのだが、またしても小走りで駆け寄ってくる。
「友達は、出来た?」
「……まあ」
 ついに根負けして答えてしまった。それを好機と見たのか、井上が畳み掛けてくる。
「佐世保は慣れた? 佐世保バーガーは、もう食べた?」
「まあな」
「部活にはまだ入ってないよね? どこに入るか決めてないの?」
「まあな」
「横須賀の高校では空手をやってたって聞いたけど、こっちではやらないの?」
「まあな」
「適当にあしらうの、やめてよ。クラスメイトでしょ、私たち」
 ほんの少し口調が変わった気がした。ちらりと井上を見たら、たれ気味の目尻が少し釣り上がっている。どうやら気分を害したらしい。
「住吉くんは、そうやって周りに壁を作るからクラスに馴染めないんだと思うんだ」
「別に馴染まなくていいだろ。どうせあと一年もしたら卒業なんだから」
「一年しかなかけど、思い出を作るには十分な時間だと思うよ?」
「俺にはそんなことに使える時間はない。井上も知ってるだろ。俺の家の事情」
「そりゃあ、まあ」
 井上が口ごもる。俺の家のことを知っているのは、ごく一部の人間だけだ。担任の植草先生と、植草先生から俺のことを任された学級委員長の井上。ちなみに、井上が俺の事情を知っているのは、植草先生から教えられたわけではない。あれこれと詮索されているなかで、うっかり口を滑らせてしまったのだ。井上は刑事の素質があるのかもしれない。
「お母さんは、どう?」
「回復に向かってる」
「そう。それは良かった。早く治るといいね」
 俺が友人を作らない一番の理由。それは母……というよりも、佐世保に引っ越す理由を作った父にある。

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