第19回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み 赦しのサクラメント

 ストップ。口車に乗ったら後が大変よ。無実と有罪の境界にいる元死刑囚から懺悔を聞いたとあっては、マスコミが押し寄せるわ。赦しのサクラメントは商売どころではなくなる。副業推進部も道連れじゃん。若槻は脳内の副音声でささやいたつもりだったが、娘の美和が怪訝な顔をした。
「ママったら、さっきから変よ。ぶつぶつ文句ばっか、いってる」
「何もいってないわ」
「ばっかやろー、っていった」
 息子の龍太郎が美和に同調した。
「あなたたち、宿題やったの?」
「ママの会社の人が出るからって。一緒に観ようといったの、ママよ」
「そうだ、そうだ」
「わかったわよ。だったら、ママは一人で観ます」
 若槻がいった。
「いじけてないで一緒に観ようよ」
 いじけてる? なんて言い草かしら。美和は年々生意気になっているわ。若槻はスマホを乱暴につかむと寝室へ向かった。歩きながらテレビ放映のアプリを呼び出した。

 レッツ株式会社には奇妙な組織がある。一部上場企業はあまたあれど、「副業推進部」なる部署を有する会社はレッツくらいだ。その他諸々の施策同様、副業推進はオーナー社長の「思いつき」からはじまった。民主的な組織ならこうも強引には進まなかっただろう。
 若槻早苗は副業推進部長として、従業員の副業を推進する任を負う。開始三年目にして、従業員の副業有職率が五割を超えた。中期経営計画では五年で五割をうたっているから、大幅な前倒しといえる。

 ようやく、スマホ画面にテレビ放映のアプリが起動した。最近、とみに遅くなっている。
(そろそろ、不要のアプリを削除しなきゃだわ)
 若槻はつぶやきながら、チャンネルをサクラテレビに合わせた。小さな画面いっぱいに西園寺の顔が映っている。口パクかと思ったが、音声がミュートのままだった。あわててボリュームをマックスにあげた。
――佐藤喜一さん、および家族のみなさん。赦しのサクラメントがあなた方の苦悩を取り除いてくださるそうです。
 あちゃー。そこまでいっちゃったの?
――この番組をご覧になっていたら、今すぐお電話をください。番号は……
 得意げにしゃべる司会者を若槻は憎々しげににらみつけた。そもそも番組のテーマはなんだったのよ。「副業万歳――二足の草鞋を履こう」だったでしょ。だからレッツは、社をあげて西園寺さんのテレビ出演を後押ししたのに。
 広報部長はさぞかし歯ぎしりをしていることだろう。
――片岡さん、それは無理です。赦しのサクラメントは半年先まで予約が入っています。
――存じてますよ。でも、キャンセルが出れば対応してくださるんでしょう?
――それだって、すぐに埋まってしまいます。佐藤さんの順番がまわってくるのはずいぶん先になるかと。
――だったら、わたし。来月の予約をお譲りするわ。
 女衒ビジネスを兼業する証券レディの顔がアップになった。
(どうせ、証券会社の得意客リストを使って私腹を肥やしているくせに)
 子どものいない部屋で、若槻は思う存分に悪態をついた。そこへ、夫の清隆がノックもせずに入ってきた。
「なんだ。ここにいたのか」
「リビングを追い出されちゃって」
「早苗も風呂に入ってこいよ」
「ううん。これを観てからにする」
「じゃあ、おれも」
 夫はベッドの上に寝ころんだ。

「働き方改革」とかいうぎこちない日本語が人口に膾炙するようになり、兼業や副業を解禁する企業が増えた。実際のところはかけ声ばかりで、副業を持つサラリーマンは一握りしかいない。ところがレッツではオーナーの加藤太郎が三年前に発した「鶴の一声」で、副業推進は全社をあげての一大事業となった。
 金曜の午後、すべての社員はオフィスから追放される。副業ビジネスを有する社員は第二のオフィスへ向かう。副業を持たない社員はその時間を使い、職探しに励まねばならない。若槻の仕事は前者に副業のサポート、後者にはマッチング機会の提供である。
 つまり、社員は全就労時間の十二パーセントを副業もしくは求職に充てることになる。副業は今年から「義務化」されたが、今のところ報酬の減額はない。
 副業であげた利益のうち、九割五分が社員の懐に入る。オーナーが一等地に所有する空きビルを格安で借りられる上に、収益が出なければ家賃すら支払う必要はない。いわば、馬券をただでもらったようなもの。当たったときには配当を手にできる。
 当の若槻も副業に手をそめている。多くの同僚が副業を起業すれば、いずれ独りでは手に負えないほど繁盛するケースもあるはず。そう読んだ若槻は、小さな秘書代行業社を二百万円で買い取った。
 彼女の読みは当たり、来年の収入は副業が正業を超すかもしれない。既に他社の社員からも、何件か問い合わせが入っている。
 令和の女衒もいってみれば同じ穴の狢だ。どちらも代行秘書を派遣する。夜の仕事か昼の仕事かのちがいはあるが。女衒のクライアントは小金持ちしかいない。客先を接待するときに、女子大生を秘書として同伴させている。

つづく

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