第19回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み 死語になる

一章 

 頭に受けた強い衝撃で目が覚めた。痛みに思わず声が漏れる。
 私はどこかに倒れているようだ。冷たく硬い床が背中に当たっている。薄目を開けたがまぶしくて、すぐにまたまぶたを閉じた。
 首を浮かせて後頭部に触れると、びりびりと痛みが走った。床に手をつき、なんとか体を起こす。もう一度そっと触れた頭にはこぶができていた。
 ここはどこだろう。ようやく慣れた目であたりを見回す。
 そこはすべてが白い空間だった。床も、壁も、天井も、すべてが光を放っているように真っ白だ。サッカー場ぐらいの大きさがあるように感じたが、白一色のせいで、距離感がつかみづらい。もっと広いような気も、もっと狭いような気もする。
 部屋の中央には、白いステージのようなものがあった。ライブ会場かなにかだろうか。それ以外部屋にはなにもない。ただ床にはぽつりぽつりと、私と同じように倒れている人がいた。みんなおそるおそるというように、部屋の中を見回している。
 私の一番近くに倒れていたのは、五歳ぐらいの少女だった。彼女はゆっくりと体を起こしているところだったが、私と目が合うと動きを止めた。そして心底驚いたように目を見開く。しかしすぐに苦笑ととれるような笑みを浮かべると、「一緒に来ちゃったね」とささやくように言った。
 藤色のワンピースに、黒髪のおさげ、大きくて丸い目に、ぷっくりとした白い頬。子役としてドラマやCMに出ていてもおかしくないと思わせるかわいらしさだったが、私はこんな子に見覚えはない。
 しかしこの子は、私を知り合いだと思っているようだ。目を瞬かせる私に、「どうしたの」と首を傾げる。
「あの、悪いんだけど人違いじゃない?」
 それが礼儀だろうと、私も笑顔を作って言った。表情を変えたことが響いたのか、後頭部がドクンと痛む。
 少女は柔らかそうな眉間に、深い皺を刻んだ。
「私のこと、覚えてないの?」
「覚えてるもなにも」
 しかしそこで、私は話しだした自分の口を閉じることもできずに固まった。
 おかしな感覚だった。密度の高い違和感に、全身支配されているようだ。こんな違和感は今まで経験したことがない。そう考えて、「今まで」とはなんだろうと思う。
 その時、背後から物音が聞こえた。振り向くと、先ほどまで誰もいなかったステージの端に人影があった。スーツを着たサラリーマン風の男性が、よじ登っているようだ。
 ようやく上に立ったスーツ姿の男性は、ステージのこちらと向こう側を交互に見下ろしながら声を張り上げた。
「こんにちは。とりあえずみなさん、集まりませんか」
 知らない男の提案をのむべきか、起き上がった人達は互いに顔を見合ったが、誰からともなく立ち上がり、ステージの周辺に集まっていった。私も痛む頭をかばいつつ立ち上がる。それ以外にするべきことが見つからなかった。
 歩きだすと、ドクンドクンと頭の痛みは増した。どうしてこんな傷ができたのか。誰かに殴られたのか、どこかから落ちたのか。こんなに大勢の人が倒れていたということは、爆発でもあったのだろうか。痛む頭で考えるが、答えは出ない。
 立ち止まりそうになった私の腰を、誰かが後ろから優しく支えてくれた。先ほどの少女だった。彼女にいざなわれ、私達は最後にステージにたどり着いた。
 集合した私達に、スーツ姿の男がステージ上から声をかけた。
「これで全員ですね」
「ちょっとあんたも降りてきたらどう?」
 パーマ頭のおばさんが、不快そうにサラリーマンを見上げた。
 ステージは想像以上に高く、私の胸の位置まであった。そんな場所に立って見下ろされると、確かに高圧的に感じる。サラリーマンは「ここの方が進行しやすいと思うんですが」と反論しつつ、上る時と同じように苦労しながら下りてきた。
 白いステージの前に集まったのは全部で八人だった。年齢も性別もバラバラ。衣装は個性的すぎるほどだ。仮装パーティーの途中なのかもしれないと疑ったが、その表情はピンクの髪のギャルを除いて、皆パーティーというより通夜に参列する人のように沈んでいた。
 サラリーマンが咳払いをしたせいで、一同の注目は再び彼に集まった。
「残念ながら私達は言葉の世界を追い出されて、ここに落ちてきたようです」
 サラリーマンは重大な宣告をするように、他の七人を見回した。
 近くで見るとサラリーマンの鼻の下には、左右の毛先がくるりと丸まった小さな髭が収まっていた。丸い顔に黒縁の眼鏡、きちんと締めたネクタイは真面目なサラリーマンという印象なのに、その髭だけが滑稽で、急にコメディアン色が濃くなる。
「ということは、これも残念ではありますが、ここが長年恐れてきた記憶の図書館、ということで間違いないと思います」
 誰かが分かりやすくため息をついた。他の人達も、見るからに肩を落としている。
 私はまったくサラリーマンの話についていけなかった。
 ここはどこなのか。この人達は誰なのか。
 それだけじゃないと気づいて、手にじわりと汗をかく。先ほどから感じていた違和感の正体に、ようやく気がついたのだ。
 私はなにも思い出せなかった。今朝なにを食べたのか、家族は何人か。どこで生まれたか。
 私が誰なのか。

つづく

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