第19回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み 悪魔の取り分

 第一章

  一月十七日月曜日
「お母さん、修平のことで聞きたいことがあるんですけれど、あいつが最後に掛かった病院は何処でしょうか」
〈ええと、東京賢明大学医学部付属病院だったわ。確か懇意にしているお医者さんがそこの人だからって〉
「やっぱり……。処方された薬はオムナザですか?」
〈そうよ、よくわかったわね。最近出来た薬で、確か修平も開発に関わっていたって本人から聞いたわ〉
 まずいことになった。
「わかりました。急にすみませんでした。有り難うございました。また連絡するかもしれません」
〈いいわよ、いつでも〉
 最後に軽く挨拶をして、電話を切った。
 橋本がこの世を去り、小野から極秘の調査を命令されてから丁度一週間が過ぎた。あの日の翌日から既に医薬食品局で所有していた情報を元に、抗インフルエンザウイルス新薬『オムナザ』の処方医療機関や事故・事件例を探した。
 小野の言ったとおり、オムナザが流通しているのはまだ首都圏が殆どで、他地域ではあまりメジャーではないらしい。
 全部で五十の医療機関などで、患者数で言えば百件近い数でオムナザは処方されていたが、殆ど問題として取り上げる必要のある案件は報告されていなかった。だが、たった三件のみ、重大な事例が発見された。
 成人においてのインフルエンザ脳症による死亡事例だ。
「こんなこと、ありえるわけがない。なんなんだ」
 思わず立ち上がって、そんな独り言を言ってしまうほどには、佐倉は動揺していた。
 五十代男性医師、六十代男性、二十代男性。この三件でインフルエンザ脳症を発症、後に死亡が確認されていた。しかもその三名は全員が千代田区にある、東京賢明大学医学部付属病院においてインフルエンザ脳症の診断を受け、オムナザなどを投与されるが、翌日には死亡していた。
 うち、五十代男性医師は東京賢明大学医学部付属病院の呼吸器内科医師、西森康夫、五十五歳だった。同大学医学部の教授でもある。どうやら医学界ではちょっとした話題になっていたらしい。厚労省にまで話が上がってこなかったあたり、医師たちの厚労省嫌いは顕著だ。
 残りの二人はプライバシーの関係で氏名や職種などまでは確認できていなかった。だが、そのうち一人が一昨日、最後の一人がたった今判明した。
 一昨日判明したのは永野洋一、六十二歳。現在与党である日本民主党党員、衆議院議員。二〇二一年五月に発足し、半年で解散した第一次曽田内閣にて文部科学大臣の職に就いていた。因みに二〇二二年一月現在は第二次曽田内閣が発足している。
――これはこの前聞いた噂だが、数日前に亡くなった日民党の永野議員、病死となっていたが、インフル脳症で死んだらしい。例の件と合わせて、事実関係を確認しろ。
 三日前に小野から伝えられた話だった。色んな伝手を辿って、一日がかりで噂の真偽を確認した。結論から言えば、正しかった。永田町の噂話は案外真実もあるのだと、初めて知った。
 そして最後の一人は、橋本修平、二十九歳。阿笠製薬株式会社社員。これは先日の橋本の葬式で聞いた話だが、橋本は先端技術開発推進課の研究員だったようだ。研究内容は流石に社外秘扱いで誰も知らなかったが、先程の母親の話を聞く限りでは、恐らく本件新薬『オムナザ』の開発に携わっていたと考えられる。
 今回の調査用に小野から提供された小会議室で一人、佐倉は大きな溜息を吐いた。よりによって今回の調査をするに当たって、避けて通れない障害に友人が関わっていた。これだけでも精神的苦痛は計り知れない。先程の電話を橋本の母にするのも、十分以上掛かった。これまでよくしてくれた橋本の母に、刑事のように質問をするのがどうしてもやりにくかった。
 資料と離れたところに置いていたコーヒーに口をつける。近くのコンビニで買ってきたものだったが、とっくに冷めてしまっていた。飲めたものじゃない。
「もしこの事例が新薬のせいだとすれば、早急に使用を止めないと大変なことになるな」
 佐倉は独り言を呟いた。
 インフルエンザ脳症。インフルエンザウイルス感染に伴う発熱後、急速に神経障害・意識障害を伴う症候。一概にインフルエンザ脳症と言っても、大きく分けて三種類ある。
 急性壊死性脳症、ライ症候群、HSE症候群の三つだ。しかし、多くは一つ目の急性壊死性脳症である。今回の三例もこの急性壊死性脳症を発症したようだ。
 インフルエンザ脳症のメカニズムは未だ完全に解明されておらず、研究段階である。しかし、脳症を発症する原因は、ウイルス自体が脳に侵入することによって発症するものではなく、インフルエンザ発症によって引き起こされる高熱などが脳症の原因なのではないかと考えられている。
 急性壊死性脳症はA型インフルエンザが原因で発症することが多いが、発症者は基本的に五歳以下の幼児、少し割合が減って高齢者である。成人、それも働き盛りの人間が発症することなどごく稀。そんな症例は滅多にないとされる。
 ある種の悪い奇跡、こんな非現実的な症例が立て続けに報告されるなど、世界で初めての事例とも言える。
 新薬『オムナザ』を投与された成人三名がインフルエンザ脳症を発症して死亡。ただでさえ確率の低い症例であるにも拘わらず、共通点として同じ薬を処方されていた。これを偶然と片付けるにはあまりにも無理があった。
 それにこの件はもう一つ共通点がある。三名の診察を行った病院が同じ東京賢明大学医学部付属病院だったということだ。場合によっては、病院側の過失という可能性もある。そうなれば、これは厚労省の管轄ではなく、警視庁の管轄になる。
 どちらにせよ、早急にこの三件の調査をする必要がある。
 既に橋本の母に電話をかける前に件の病院には今日の午後にアポイントメントを取っている。
 担当医師や看護師、オムナザ以外の処方薬や診察時の症状等を確認する。
 患者に関する情報開示は、現在病院側から患者の遺族に対して許可を取っているという。不謹慎ではあるが、成人のインフルエンザ脳症事例は研究対象としても魅力的なものだ。恐らく病院側としても情報開示はさせたいだろう。
「亡くなった方や遺族には申し訳ないが、再発防止のために協力してくれれば」
 先程飲むことを諦めたコーヒーを喉に流し込み、印刷しておいた東京賢明大学医学部付属病院の資料に目を落とした。

つづく

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