第19回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み 悪魔の取り分

「もしもし」
〈今何をしている〉
「精進落としの最中ですが」
「終わってからで構わない。君に内密で仕事を頼みたい。要件は直接伝える。今晩登省しろ」
 こういう物言いの際は大体決定権がこちらにない。
「了解しました。ここを出る際事前に連絡します」
 それで通話は切れた。霞が関は何故ああいう上からな物言いしか出来ない人間が上にいるのだろうか。恐らくこの答えは、自分が上に行ったときにわかるのだろう。
 佐倉はスマホを懐にしまい、会席に戻る。視界の片隅に不自然な行動をする女が入った。葬式の時も居たような気がするが、佐倉は知らない人物だった。何か細長いものを右手に持ちながら、会席外に突っ立っていた。
 不審ではあるが、面倒事に関わることは仕事柄良くない。女のことは見なかったことにした。入り口に置いてあるアルコール消毒液を手に拭きかけてから戻る。
「仕事の電話か?」
 一人がそんな質問をしてくる。
「ああ、人使いの荒い上司は困る」
 笑ってみせて受け流した。
「この後また戻らなくちゃいけなくなったから、酒はほどほどにする」
「そうか、まあ仕方ない。今度飲み直そうぜ」
「ああ、いつでも誘ってくれ。いつでもいけるとは限らないけどな」
 再び笑いが起こった。

 十八時、真冬のこの時間はもう日が落ちている。当然霞が関は煌々と輝いている。これを美徳とするのが昔ながらの日本人だが、多くの日本人がその美徳に苦しめられている。
 中央合同庁舎五号館、厚生労働省、環境省などが入居しているここが佐倉の仕事場だ。入館証で入り、エレベーターで上がる。厚生労働省医薬食品局安全対策課のフロアに向かい、課長室の扉を叩く。課長補佐がいれば挨拶すべきだったが、今はいなかった。
 入れ、と声がして入室する。目元を押さえながら椅子に深く座っている男が小野和範課長だ。直属の上司に当たる。
「よく来てくれた」
 一応労うところが憎めない上司でもある。
「いえ、この仕事がそういうものだというのは入省時から覚悟していますので」
「良い心構えだ。大学時代の友人だったな、お悔やみを申し上げる。だが旧友の訃報に感傷している場合ではない。急ぎの件だ。手短に話す。明日からはこの件にかかりきりで良い」
「それで要件は?」
 多少は酒が入っているため出来れば早く話を終わらせて欲しい。
「先月十日に発売された抗インフルエンザウイルス新薬『オムナザ』について、危険性の調査を一人で行って欲しい」
 オムナザは阿笠製薬が開発・販売している抗インフルエンザウイルス薬だ。新薬の安全性を調査することはおかしな事ではないが。
「何故一人で? 通常通り確認作業をすれば良いのでは?」
 小野がばつが悪いというような顔をする。
「この新薬、AI創薬によるものだというのは知っているな?」
「ええ、ニュースでもやっていましたし、今日もその話題が上がりました」
 薬学出身者が集まればこういう話になるのは必然だった。
「やはり霞が関というのは古い人間が多くてな、こういう話をよく思わない輩がいる」
 それが本当なら日本の研究力が低迷する理由がよくわかる。
「とはいえ、大々的にやれば恣意的な印象が大きくなる。だから君を呼んだ」
 そういう思考回路がそもそもだめだとも思うが、こればかりは仕方がない事でもある。
「了解しました。明日から取りかかります」
「時間がかかっても構わない。言ってもオムナザを使用している病院は少ない。使用が拡大するまでに結論は出したいが」
 要するに急げ、そういうことらしい。
「要件はそれだけでしょうか」
「ああ。本件が済めば次の異動先は融通する」
「本当ですか」
 つい声が大きくなってしまった。小野が頷く。
 またとないチャンスだ。祖父のために、必ずこの仕事は全うしなければならない。
「君はやはりあそこに行きたいか」
「勿論です」
「真っ直ぐな男だな、見た目とは違って」
 小野が鼻を鳴らした。
「今日は百八人だったそうだ」
「コントロール下に入りましたか」
「治る病気にはなった。そう信じたいがな」
 佐倉は失礼します、と言って部屋を後にした。

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