第19回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み いびつな垂蛹

 次に意識が戻ったのは、真っ白い部屋の中だった。真っ白い壁に真っ白い天井。うまく自分の首が動かせないので、目だけを必死に動かすと自分が真っ白いベッドに寝かされているのがわかった。そして、自分の体に何本かのチューブが繋がっているのが確認できると、次第に、ここは病院の中なのだということが理解できた。
 わたしが病院にいる。
 じゃあ、父と母と弟はどうなったのだろう。
 わたしは少しずつ自分の現状がわかってくると同時に、家族のことが心配で堪らなくなった。
 なんとか目を動かして部屋中を見回しても一人部屋らしいのか、誰もいない。
 家族に会いたい。心の中に小さな不安が積み重なってやきもきしていたけど、ちょうどその時、部屋の中に看護婦が入ってきてわたしと目が合った。驚いた顔をしながらこちらに近づいてきた看護婦が体の具合を聞いてきたので
 お父さんたちはどこにいるの? ろれつが回らなかったけれど、確かにそう呟いたわたしの質問を看護婦は戸惑ったようにほほ笑んで「今、先生を呼んでくるからね」と、質問には答えずに部屋から出て行き、すぐに医師らしき男と一緒に、母の妹の容子(ようこ)叔母さんが入ってきた。でも容子叔母さんは、私の意識が戻ってよかったと泣いて喜んだだけで、父たちのことはこの時、何も教えてはくれなかった。
 やっと自分の知っている人が現れてくれたのに家族のことを何も教えてくれない。どうしてみんな意地悪をするんだろう。
 このときは医師や看護婦や容子叔母さんたち、みんなの考えが理解できないでいた。

 真っ白い部屋で何日も過ごしていく中で、医師と看護婦がわたしがいる部屋に何度も出入りしてくる。容子叔母さんはずっとわたしに付きっきりで世話をしてくれたけど、やっぱり父たちのことは何も話してはくれなかった。
 それでもみんなとっても優しかった。頭の傷もだんだんとよくなって、食事も点滴から温かいご飯に変わっていったし、コーラでもオレンジジュースでも、なんでも飲んでいいと言われた。
「お家に帰りたい」と、そう何度か容子叔母さんにせがんで困らせたりしながら過ごしたけれど、時間が経つにつれ、父たちがどうなったかは幼い自分でもうすうすと気付き始めていた。
 そんな折、医師と容子叔母さんと一緒に、刑事だと名乗る男が二人ほどわたしに会いに来た。そして初めて、容子叔母さんの口からわたしは自分の家族に二度と会えないことを告げられた。
 頭では理解していたはずなのに、心が受け入れてくれなかったのだろう。自分の目から流れてくる涙が、ずっとずっと止められなかった。
 わたしが一頻り泣き止むまで、容子叔母さんは優しくわたしを抱きしめてくれた。そして、少し離れた場所でずっと黙って様子を見計らっていた刑事たちが、二枚の顔写真を差し出してきた。
「この二人に見覚えはないかい?」
 今でも覚えているその時の写真の顔。
 間違いない。わたしたちの家に入ってきた四人組の内の二人だった。二人の刑事にそのことを伝えると、刑事たちはお互いうなずき合って「お嬢ちゃんのためにも、絶対に捕まえてみせるよ」と約束してくれた。そして残りの二人の顔も声も、わたしが覚えている限りのことは、全て伝えた。
 だけど結果は駄目だった。写真の二人を捕まえようとしたけど、最終的に嫌疑不十分で不起訴処分になったらしい。わたしの家から四人組の証拠となるような物が出てこず、何より事件当日、写真の男二人のアリバイを証言した人がいたと聞かされた。
 絶対にあの二人だったのに! 子どもの証言は信じてくれないのかと、あの刑事たちに何度も訴えたけど駄目だった。
 でも、わたしよりも容子叔母さんの方が食い下がっていた。わたしの前では気丈に振る舞っていたけれど、病院の廊下で、泣きながら刑事たちに犯人を捕まえてくれと頼んでいたのを、偶然見てしまった。姉夫婦を殺した人間を捕まえて欲しい。そう、何度も何度も訴えていた……。

 結局犯人を捕まえた報告を聞かずにわたしは退院することになり、その時に容子叔母さんが
「沙希(さき)ちゃん。これから叔母さんたちと一緒に暮らさない?」
 と、わたしの目を真っすぐに見つめて言ってくれた。
 そして住み慣れた東京を離れ、容子叔母さん夫婦が住む埼玉で暮らすことになった。
 容子叔母さんの旦那さんの眞三((しんぞう)叔父さんも快く受け入れてくれたし、何よりも、叔母さん自身が子どもを望めない体質だったせいもあったのか、わたしのことを自分たちの本当の子どものようにかわいがってくれた。
 病院で見せられた、あの顔写真の男二人の名前は教えてはもらえなかったけど、叔父さんも叔母さんもわたしに事件のことを思い出させたくなかったのだろうと、今でもそう思う。
 埼玉の小学校に転入した後も精神的に不安定だったのでカウンセリングに連れて行かれたこともあったけれど、新しい学校の友達と仲良くやっていけたし、眞三叔父さんは自宅の作業場でオーダーメイドの看板作りの仕事をしており、その作業がとっても新鮮で見ていて飽きなかった。
 叔父さんと叔母さんとわたし。三人で仲良く平穏に暮らしていくことができた。
 だからわたしが大きくなって、東京の高校を受験すると言い出したときには、叔父さんも叔母さんもひどく不安がった。まだ昔のことを引きずって、そんなことを言い出したのではないのかと。
 二人ともわたしがあの四人組を探しにでも行くんじゃないかと不安がっていて「そんなことないよ。昔のことはもう気にしてないよ」と説得するのにかなり時間が掛かった。
 ただ、入学したい学校が偶然東京にあっただけだと伝え、わたしが昔住んでいた場所ともかなり離れた所にあるからと安心させた。
 そして無事、東京の大嶺高等学校に入学してアパートで一人暮らしを始めた後も、定期的に容子叔母さんたちに連絡を入れたり、埼玉まで会いに行ったりして過ごしている。
 それでも実は、容子叔母さんたちに内緒で自分の住んでいた家を見に行ったことがあった。たぶん容子叔母さんたちが心配していたことは少しだけ当たっていたんだと思う。
 自分の中の感情の一部が無意識に、東京に戻って何かをしたがっているように感じていた。
 東京で高校に通い始めてから日に日にその衝動が大きくなり、それに従うしかないと本気で考え始めていた。
 だから学校の休みの日。そんな思いに突き動かされる形で地下鉄に乗り、わたしの住んでいた家を探しに行った。
 何か。そう、何かを求めて。
 でもわたしの目の前に映った光景は何かを与えてはくれなかった。
 自分が子どもの頃住んでいた街は、知らない街に変わっており、父と母と弟と住んでいた家はコインパーキングに姿を変えていた。
――ああ、こんなものだったのか。
 その光景を見た瞬間、何かをしたがっていた思いがぷつっと音を立てて切れるようだった。そうか、これが現実か。
 この程度で折れる思いなどもう忘れてしまえ。そう、誰かに言われた気がした。
 目に涙を溜めながら、じっとコインパーキングを見つめていたら、コインパーキングの利用客の一人と目が合い、ぎょっとされてしまったけど、一切気にならなかった。そして袖で涙を拭い、無理やり歯を食いしばりながらもと来た道を戻りアパートに帰った。
 部屋に戻り、熱いシャワーを頭から浴びると後頭部にズキズキと鈍い痛みが続いていたけれど、きっとこれでよかったんだと、心の中で区切りをつけるために声を上げて泣き続けた。

つづく

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