第19回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み いびつな垂蛹

第一章 怨嗟の声

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 佐久間詩織(さくま・しおり)の告別式はこれ以上ないといってよいほど、よく晴れた日だった。
 七月の照り付ける日差しを一身に受け止め、訪れる弔問客を次々とのみ込んでいく葬儀場からは、怪談を聞いているときに不意に背筋に感じる悪寒のような、そんな、ひやりとする冷気が絶えず外界に放出されている。この冷気が、葬儀場に備え付けられている、空調から吐き出されているただの風だということを、わたしは理解している。
 真っ白い壁。真っ白い天井。その白い空間に点在する黒い色。
 葬儀場を入ってすぐのところで、弔問客の邪魔にならないように立っているわたしの近くを他人が通るたびに、冷たい冷気が足下をなでていく。
 葬儀場の奥に目を向けると、沈痛な面持ちをしている喪主の周りに、喪服を着た大人たちが大勢集まり、みな一様に励ますような言葉を伝えているが、本人には届いているのだろうか。喪主である詩織の父親の顔は、この世の中には、絶望の二文字以外は存在していないのではないかというような感情が貼りついたまま、固まって動かない。
 わたしの近くにも、大嶺(おおみね)高等学校の一年生だろうか。赤いチェックのスカートに、真っ白い半袖のYシャツにスカートと同じ柄のネクタイをした女の子たちが、目を真っ赤に腫らして泣いている。
 当たり前のことだけど、葬儀場全体が悲しみに包まれていた。
 祭壇中央には詩織が入れられた棺が置かれ、詩織の笑っている遺影写真、供え物や飾り、棺の前の経机。娘の突然の死に嘆く父と母。葬儀場に集まってくれた父母の知人たちや、詩織の学友たち。
 その当たり前の光景が、わたしにはひどくうらやましかった。
 わたしはお通夜も、告別式もお葬式も出られなかったからだ。

 わたしの父は、個人経営の輸入雑貨商を営んでおり、駆け出しの頃はかなり余裕のない生活をしていたらしいけど、何年も諦めずに努力した結果、事業を安定した軌道に乗せることに成功して、わたしと弟も、ほかの一般家庭に比べると、多少裕福な生活を送らせてもらうことができた。
 家の横には小さめな倉庫が隣接され、父が販売先に卸す商品が所狭しと置いてあって、そこがわたしと弟の遊び場だった。母には「お客さんに渡す大切な物なんだから、こんなところで遊んじゃ駄目よ」と口酸っぱく言われていたけれども、叱られても叱られても、弟と二人で忍び込んで、海を渡って世界中から集められた一風変わった品々を、傷付けないように眺めたりしながら遊んだ。
 でも一度だけ、まだ小学校にも入っていないぐらい幼かった弟が、とたとたと倉庫の中を歩いていたときに、転んだ拍子にティーポットを一つ割ってしまい、泣きじゃくる弟の代わりにわたしが父にこっぴどく叱られるという失敗をしたことがあった。弟はいつも「おねえちゃん。おねえちゃん」と、わたしの後をくっついていたので、わたしが倉庫に忍び込めば弟が一緒にいるのは必然だった。だから、弟の面倒を見るのはわたしの役目で、弟の失敗はいつもわたしの責任。当時は、毎回、なんで弟の失敗でわたしが叱られなくちゃいけないのかと思っていたけど、いま思い返せば、父や母のお叱りの内容は全て、わたしと弟が怪我をしたらどうするんだという心配からくる内容だった。あの割ったティーポットだって、後で調べたら五万円もする品物だったのに、そのことは、お叱りの内容には一切含まれてはいなかった。
 何度記憶を反すうしてみても、わたしと弟は、両親に人並みに愛されていたと思う。たとえ何度叱られても、わたしは両親と弟がとっても大好きで、とっても幸せだった。

 あの日までは。

 あの日、わたしは小学校の授業で描いた家族の絵を持ち帰って、その絵を早く両親と弟に見せようとはしゃいでいた。わたしが描いた子ども特有の拙い絵を、弟は不思議そうな顔をして見ていたけど、母と、遅くに帰ってきた父はとても上手だと、大きな手でわたしの頭をなでながら褒めてくれた。
 父とわたし。並んでソファに座りながら、褒められたわたしが手足をばたばたとさせながら喜んでいる。そんな父娘のやり取りを見ていた母は、笑いながら夕飯の用意をテーブルに並べていて、弟は母のエプロンの裾を握って母のうしろをとたとたとくっついていた。
 そして父が立ち上がり「せっかくだし、記念に飾るか」と、リビングにあるコルクボードにわたしの絵を貼ろうとしたときだった。
 玄関のチャイムが鳴ったので、母と弟が玄関に向かった後、短い悲鳴が聞こえた。すぐに父とわたしが様子を見にいこうとしたら、母と弟の口を、無理やり抱きかかえるようにふさいだ、恐ろしい形相をした四人組の男たちがリビングに入ってきた。
 その突然の事態に、父とわたしの体は硬直してしまった。
 男の一人に口をふさがれた母の顔の近くで、蛍光灯の光に照らされたナイフが静かに輝いており、もう一人の男に口をふさがれたまま抱えられている弟の瞳からはすでに、大粒の涙がぼろぼろと零れていた。わたしは自分の足下から、すうっと冷たく寒いものが体を這い上ってくるような感覚に捕らわれたけれど、自分の瞳に映っている、恐怖に引きつった母と弟の顔。そして、母と弟を捕らえたまま放そうとしない、手袋を嵌め恐ろしい形相をした四人組の、顔も知らない男たち。普段の生活の中で遭遇する可能性など無いと思っていたそのあり得ない光景を前に、自然と『強盗』という言葉が脳裏に浮かんだ。
 わたしは瞳だけ動かして父の方を見ると、父もわたしと同様、驚いた顔をしたまま動けないでいる。
 男の一人が「金目の物をありったけ出せ」とありきたりな言葉を口にしたと同時に、頭が真っ白になってがたがた震えていたわたしの頭の中で『弟を守らなくちゃ』という単語がとっさに浮かび、必死に自分を奮い立たせて急いで電話に飛びつこうとした。
 だけどその動きを察した男の一人が、わたしの後頭部目掛けて、リビングに飾ってあった置き時計を投げつけてきた。その直後、わたしは自分の頭の後ろからものすごい衝撃と同時に『ごりっ』という音を聞き、リビングの床に転がった。
 頭の中に、ひどく重さを含んだ痛みが広がり、フローリングに投げ出された自分の手足が少しも動かせない。ただ、倒れたときに首の向きが偶然、父や母たちの方に向いていたので、父と母、弟の顔だけは、はっきりと見ることができた。
 わたしの姿を見て、悲痛な表情をした母の顔。
 わたしの姿を見て、さらに激しく暴れるように泣き出した弟の顔。
 わたしの姿を見て、怒りをにじませて四人組に飛びかかっていく父の顔。
 怒号と悲鳴。赤い色。
 わたしの体からひたひたと溢れてフローリングを染めていく赤い水。男の一人と揉み合う父に、もう一人の男がナイフを振り下ろし、父の背中を何度も何度も赤く染め上げる。首を絞められた母の口の端からは赤い糸が引いており、弟は泣いて悲鳴を上げながら、頭と顔を真っ赤に染めて、繰り返し繰り返し床に叩きつけられている。
 ――もうやめて。
 そう何度も叫びたかったのに、自分の口からは何も音が出てきてはくれずに、わたしはただ、意識が無くなるまでずっとこの地獄のような赤い景気を見続けるしかなかった。

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