第19回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み いびつな垂蛹

『いびつな垂蛹』

白紙乃かるた(はくしの・かるた)36歳
1983年生まれ。
専修学校宇都宮ビジネス電子専門学校電子情報処理科卒業。
現在病気療養中。


序章 蝶になれなかった少女

 全てが赤色に染まって見えた。
 赤色回転灯が、闇夜を切り裂くように激しく回転して、パトカーや救急車、集まった野次馬たちの顔を赤く染め上げている。
「ねぇ、誰だったの?」
 野次馬の喧騒の中から、聞き慣れたクラスメイトの声が聞こえてくる。
「一年生だって。ホテルを抜け出して、繁華街に遊びに行こうとしてた男子が見つけたんだって言ってたわよ」
「ほらあそこ。あそこから落ちたらしいんだって!」興奮した生徒の一人が、ホテルの外側に備え付けられている非常階段の五階の辺りを指さすと、その会話に聞き耳を立てていたであろう周りの人間が一斉に、指のさし示す先を見た。野次馬の喧騒がいっそう大きくなり、喧騒の中から「事故なのか?」とか、「どうして五階だってわかったんだよ?」とか、いろいろと具体的な言葉が飛び交い始める。
 一階の、非常階段の近くの一角は、今もブルーシートで覆われていて、中が見えない。パトカーの隣では、私服を着た男子生徒が数人、制服を着た警察官と何か話している。彼らの怯えきった顔を見る限り、おそらくは彼らがホテルを抜け出そうとした生徒たちなのだろう。
 楽しい夜遊びのはずが、こんな惨状の第一発見者に選ばれてしまうなんて、なんて不運なのか。ほんの少しだけ、彼らに同情してしまった。
 しばらくは、野次馬たちの中に混じってことの成り行きを見守っていようとしたら、先生たちが来て「わが校の生徒はホテルの中に戻るように」と、追い立てられてしまった。
 生徒たちがホテルの中に戻るときにも騒ぎは一向に収まらず、ホテルのロビーの中はちょっとしたパニック状態だった。
「ああ、いたいた!」ロビーの人混みの中で、同室のクラスメイトがわたしの顔を見つけるなり、小走りで近寄ってきた。
「もぅ、すっごい騒ぎね。これ、どうなってるの? 私、あとから来たからよくわからないけど、人が落ちたって本当?」
 クラスメイトが、窓の外から入り込んでくる、赤色回転灯の明かりに照らされて眩しそうにしながら、せっついてきた。
「誰だかはわからないけど、一年生らしいよ。ちょっと前に先生が確認したら、五階の非常階段のドアだけ鍵が開いていたから、そこから出たあとに落ちたんじゃないかって」
「ふぅん。あんな所から落ちるもんかねぇ。まぁ、誰かに突き落とされるなんてことはないだろうし、おおかた、夜景でも見ようとして誤って落ちたのかもね。あそこ、海と街の境目がきれいに見えそうだし、穴場っぽかったんだよねぇ。マジな話、私、もうちょっとしたら、あそこに行こうとしてたからさー。行かなくて良かったわ。似たようなことして私も落ちてた可能性もあったわけじゃん」
 クラスメイトが「マジよかったわー」と戯けてみせようとしたけど周りを見回して「不謹慎だったかな……」と、自分の失言に気付き、ばつが悪そうな顔をした。
「仕方ないよ。こんなこと誰も経験したことなんてないんだし」
 わたしがクラスメイトの気持ちをくみ取ってほほ笑みかけると、少し間を置いてから、ありがとうと言ってくれた。
 でも、本当にすごい騒ぎだ。ホテルの出入り口は先生が数人、生徒たちが外に出て行かないように見張っている。そんな状態でも、野次馬に諦め、ロビーから自室に戻ろうとしている生徒がわずかにいるだけで、大多数の生徒はロビーから一向に離れようとしない。ホテルの外にいる一般宿泊客たちも、その場から離れるようなそぶりはみせないでいる。
 赤い色の中、みんなが落ち着きなくそわそわしている。やっぱり赤い色は、人を興奮させる何かがあるのだろうか。
「大丈夫? よく見たら、顔、真っ青じゃない」
 クラスメイトが、赤色回転灯に照らされた赤い顔をわたしに近づけて、わたしの顔をまじまじと見つめてきた。その言葉に、わたしは今までずっと、自分の右拳をぎゅっと握りしめていたことを思い出した。背中も少しばかり、ひんやりとしていて寒い。これはなんの汗だろうか。
「うん。ちょっと気分がよくないみたい」
 わたしは無理に笑おうとしたけど、今度はうまくいかない。
「あんた見た感じ、いかにもか弱そうだしね。それに、この騒ぎじゃしょうがないわよ。その辺に座った方がいいかも。ああ、そうだ。自販機でなんか冷たい物でも買おうか?」
「ううん、大丈夫だよ。部屋に戻って休むから」
 じゃあ部屋まで付き添おうかと言ってくれたクラスメイトに、一人で戻れるからとやんわりと断り、わたしは部屋に戻ることにした。
 クラスメイトが「私はもう少し残ってるけど、なんかあったら携帯に入れて」と、心配してくれたことは嬉しかった。
 ロビーから部屋に戻る途中、人とすれ違うたびに、自分が他人の顔色を、怯えながらうかがっていることに気付き、逃げるように自室に駆け込んだ。
 幸い、部屋には誰もおらず、ここに来るまでに上がってしまった荒い呼吸を人目を気にせずに整えると、わたしは自分にあてがわれたベッドに潜り込み、毛布を頭からすっぽりとかぶって丸まった。
 ベッドの中で握りしめていた拳を解くと、右の手のひらの中に、金色の、小さい蝶のネックレスが顔をのぞかせる。蝶の中心には、蝶よりも小さいルビーがはめ込まれており、暗闇の中、その存在感を静かに放っている。
 今度は先ほどと違い、ゆっくり、優しく右の手のひらを握り、目を瞑った。
 まぶたの裏に、暗闇の中、コンクリートの地面に向かって真っ逆さまに落ちていく少女の姿が浮かぶ。一瞬だけ、本物の蝶が舞い飛ぶように見えたけど、なんてことはなかった。少女は蝶にはなれず、当たり前のように、重力に向かって飛んでいった。
 あの高さから、頭からコンクリートの地面に激突したのだ。生きてはいないだろう。
 わたしは目を開け、もう一度、右手の中のネックレスの存在を確かめると
「ざまあみろ」
 暗闇の中で、呻くように小さく呟いた。

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