第19回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み CVキラー

「はい、OK」
 調整室、守の左隣に座った瀬川が、大きな声を響かせた。
「今日はかなり細かく言いました。各自、今日、指摘されたことをしっかりと振り返って、次の機会に備えてください。それでは、今日はこれで終わりにしましょう」
そう言った瀬川の横顔は満足そうに見えた。締めの言葉に沢樹を称賛する言葉はなかったが、アフレコの中で与える言葉が、瀬川の評価を表していた。他の生徒への言葉は、未熟な者へのアドバイス。沢樹への言葉は実践的な指示に思えた。
「フォーニの中にある、海のような母性をもう少し強く出してみよう」「好戦的な部分を声の大きさでなく、心の芯から自然と出るような感じで、お願いします」
 沢樹が指示に応える度に、瀬川の顔に笑みが浮かんだのを、隣に座っていた守は見逃さなかった。現役声優、そして他の音響監督が共通して言うできる声優というのは、監督の指示にすぐに対応できる即応性、それを可能にする演技の幅だという。まさに、その価値を目の当たりにした印象だった。沢樹はそれに加えて高音から低音まで、どの声も魅力的に響くから圧巻だった。守の隣、養成所の競争を勝ち抜いて、事務所入りを強く望んでいるはずの八木は、迫田の笑みに気づいていただろうか。
 その八木がおもむろに立ち上がった。「では、みなさん、今日は、整列せず、そのままの場所で、お忙しい中、ご指導くださった瀬川先生にごあいさつをしましょう」と、よく通る声を響かすと、「起立」と号令をかけた。さすがクラスリーダー、この辺りは抜かりがない。守も含めて着席していた生徒が立ち上がる。壁際に立っていた生徒も姿勢を正す。
「ありがとうございました」
 快活に響く八木のあいさつに、皆が続く。
「ありがとうごさいました」
「いやいや、お疲れ様。それでは、またね」
それほど年はいっていないのに好好爺の印象を与える痩身の中年は、養成所生たちが空ける道を「お疲れ、お疲れ」と言いながら、出口へ進み、退室した。と、同時に養成所生たちも、荷物を持って一斉に出口へと向かう。守はブースの中、椅子に座ってまだ台本に目を向けている沢樹を一瞥して、感心しながら、列を進んだ。真後ろから「嫌みね」と八木が言ったが、聞こえないふりをした。
 スタジオを出ると、廊下で苗木竜彦が待っていた。中肉中背の守より少し背が高くてスリムな苗木は、ジーンズに水色のポロシャツというありきたりのファッションでも、しゃれて見えるから不思議だ。
苗木はバッグを持っていない方、左手でグラスを持ってぐいと飲むポーズしながら、「付き合えよ」と言った。未成年なので、もちろん酒ではない。レッスン後、いつものように休憩スペースで、缶コーヒーを飲みながら、だべろうという誘いだ。
「ああ、了解」と言いかけた守に「迫田君」と声が聞こえた。振り向くと、八木だった。スタジオに鍵をかけた後なのだろう、右手でカードキーを持っている。左肩には大きめのショルダーバッグをかけている。
「お二人は、ご雑談のようね。私はお先に失礼するわ。これから大学に行かなければいけないから。のんびりする時間があってお二人がうらやましいわ。お時間がある時は、私も混ぜてね。それでは、お先に」
 そう言うと、八木はすらりと、反転して、一階へ降りる階段へとつながる廊下を進んだ。迫田は、その背中に目掛けて、君の方が嫌みだよ、と言いかけて、飲み込んだ。八木は、あらかじめ週三回の養成所通いと大学生活が両立できることを確認した上で、両方を受験し、青写真どおり合格したらしい。行き当たりばったりの性格の守からすると、その計画性と器用さには感心するしかない。バッグが大きいのは、養成所と大学の二つの教材が入っているからだろう。
 振り返って、五メートルほど進み、休憩スペースに着くと、自動販売機で缶コーヒーを買って、二列計六つあるテーブルの左端、いつもの指定席に陣取る。プラスチック製の椅子に腰を降ろしながら、空いた隣の席にバッグを置く。続いて苗木も、白い鉄製のテーブルを挟んで正面に座った。
二人で息を合わせるようにプルタブを引いて、缶コーヒーを口へと運ぶ。苗木は一口飲んでふぅーっと一息つくと、缶コーヒーを見つめた。いつからか、会話がなくても間が持つ関係になった。お互い無理に話を振ろうとはしない。
 苗木とは去年の春、養成所の基礎過程で同じクラスになってからの付き合いだ。高卒ですぐに、入所した同じ年で、何かとウマがあった。知り合ってから1か月後には、こうしてレッスン後に二人で話すようになっていた。
 休憩スペースの壁には、写真立てに収まった声優たちの写真が並んでいる。A4サイズのノートぐらい、木製の洒落た額縁、ガラスの板に収められている。数は十二枚。先輩たちを目指して頑張れという意味なのだろうが、一流と呼べるのは、第一人者の君島恵真ぐらいで、残りの四、五人が知る人ぞ知るぐらいのレベル。この先輩たちも、声優だけでは食べていけていないという噂だ。その他は、作品に出演したことがあるというぐらい。守が入ってからでも2枚が外されている。「預り」という、見習い期間は卒業したものの、仕事がなく退所となった二人だ。養成所生の間では、この写真は励みというより、声優界の厳しさを伝える戒めだ、なんて揶揄されている。
「なあ、どう思うよ。沢樹さん」
 苗木が切り出した。
「すごかったな。本当にすごかった」
 守は素直な思いを伝えた。
「呑気な反応だなあ。嫉妬とか焦りとかないわけ。俺ら選抜クラスから、来年、ここの声優事務所の預りになれるのは多くて三人。二人かもしれないし、一人かもしれないんだぜ」
「ああ、そのことね」
「そのことなって。俺たちに他に何があるんだよ。実力でいったら、沢樹さん。姫も講師たちの評判は高いはずだろ。そうしたら、お前、枠は多くてあと一つなんだぜ」
「まあ、そういうことになるな」
 苗木の言いたいことは、分かっている。守にも嫉妬も焦りもある。
「でも、まあ、苗木よ。俺らは二人とも、奇跡的にギリギリで、選抜クラスに入れたようなもんだからさ。沢樹さんうんぬんでなく、最初から厳しい勝負ではあるよな」
 あまりにすごい、すごいと言っていると、呆れられそうだと感じた守は、苗木が求める生存競争へと少し話題を寄せてみた。
「ある部分は、賛成。でも、ある部分は賛成しかねる」と、つまらなそうな表情で苗木は言った。
「どういう意味? それ」
「まあ、それはいいとして、とにかく厳しい状況だってことよ。養成所から事務所に入るのもそうだし、声優を続けるのだってそうだ。どうしてこう、俺たちは厳しい世界に飛び込んじゃったのかねえ。分かっていたはずなのに」
壁に並ぶ写真に視線を移して苗木が言った。
確かに厳しい世界だ。守は、ある雑誌の記事に書かれていた数字を思い返してみた。声優を目指している人間は日本に三十万人いて、声優と名乗っている人が一万人。その内、ある雑誌社が出版している声優名鑑に記載があるのが千二百人程で、実際に声優だけで生活が成り立つのは、三百人程度だという。では、その三百人が人が羨むような生活をしているかというと、そんなことはなく、年に一千万円以上稼いでいるのは数十人。五千万円以上となると、数えるほどしかいないというのだ。
守はその記事を、養成所に入所する前に読んでいた。それでも、迷いを感じないほど、声優に強く憧れていた。小学生の頃からアニメが好きで、高校に入ってクラスメートにアニメキャラクターの物まねを見せてみるとウケがよく、お前なら声優になれると持て囃されて、完全にその気になった。高校三年になると声優になることしか考えられなくなり、せめて大学だけは進学してくれという親を説得し続けて、入所に漕ぎ着けた。とにかく熱に浮かされていた。声優を目指す自分に酔っていたのかもしれない。
 今はどうだろうか。いつの間にか、優秀なクラスメートについていくのが精一杯で、好きかどうかと、考える余裕がなくなっていた。選抜クラスに入れてほっとしたが、その後はあまり声優になれるかどうかを考えなくなった。心のどこかで諦めているのかもしれない。中学の時に国語の教科書に載っていた、あるノンフィクションの一説がよみがえる。
「ワクワクする方が正解」
 ある大学の運動部を次々と好成績に導いた大学生のメンタルコーチで、その後、日本一のコーチと呼ばれるようになった男の言葉で、守がモットーとしている金言だが、ここ最近、せっかく選んだ声優の道なのに、そのワクワクを感じることが少なくなっていた。
そんな中で、沢樹の演技への感動は新鮮だった。好きなアニメでひいきの声優が発した名ゼリフに心をときめかせていた中学時代のあの日に似た感じが、今の守の胸にはあった。もやもやの中で、新たな風が吹いた感じがしている。なぜ、人の演技にここまで興奮をしているのだろうか。
 守は一番左に飾られた君島恵真の写真を見た。色白で整った顔。クールさを醸し出すロングの黒髪。これだけの美人なのに、いつからかイベントなどには参加しない、いわゆる顔出しNGの声優になったから不思議だ。圧倒的な人気からアニメ、映画、ゲームのキャラクターボイスのオファーは途切れることがなく、テレビ番組のナレーション、CMも複数こなすカリスマ。入所前、いつかは共演したいと思ったものだが現実は厳しそうだ。でも沢樹ならありええそうな気がする。二人が共演するとしたら、どんなアニメになるのだろう。そんなことを考えると、それこそワクワクしてくる。
アラフォーのはずの君島が、沢樹と同じ年の頃、どうだっただろうと、記憶をたどってみる。セイクリッドボイスが始まったのが十年ちょっと前だから、君島がフォーニ役に就いたのは、三十歳くらい。沢樹とちょうど同じ年の頃だ。
 この配役には、有名な逸話がある。週刊ラッキーに連載しているセイクリッドボイスの原作者、漫画家の早川光次郎は、中学三年の時に当時まだ声優事務所の預りだった君島がある朗読劇で美声を駆使し、一人で複数の役を見事に演じ分けるのを見て、心底感動したらしい。この時の体験がベースになって、後に声をテーマにした漫画・セイクリッドボイスが生まれたというのだ。そして、アニメ化が決まった時には、すでに売れっ子だった君島を、早川が当然のようにフォーニ役に指名した。当時の週刊ラッキーの最終ページに載った「フォーニの声優が君島恵真さんに決まりました。夢がかなって幸せです」というコメントは、守は幼かったので覚えてはいないが、原作ファンの間でかなり話題になったようだし、その後、アニメが放送開始になった後で、二人が結婚した際には、テレビのワイドショーなどでも経緯が報じられ、世間に広く知られるようになった。多忙による行き違いで、離婚することになったが、今でもビジネスパートナーとして、認め合っていると伝えられている。まだ声優という仕事を理解していなかった小学生低学年当時の守にとっても、フォーニは特別、魅力的なキャラクターだった。毎週、あの声を聞くのが楽しみだった。やはり君島は当時から声優として圧倒的な存在だったと思える。沢樹がデビューしたとしたら、彼女のようになれるだろうか。

ページ: 1 2 3