第19回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み CVキラー

『CVキラー』

千羽彩広(せんば・あやひろ)49歳
1971年生まれ。兵庫県在住。
慶應義塾大学卒業。新聞社勤務。


◆プロローグ

 喉にかかる力が強くなった。嫌だ。死にたくない。でも、薬が効いているのだろう。体に力が入らない。 

「言ってみろ。お前はなぜ声優になったんだ」

 息のできない苦しさの中で、一度は憧れた男のシャープな声が耳に届いた。

 でも、それももう現実のものとは思えない。思考が段々と曖昧になっていく。

「言ってみろ。お前はなぜ声優になったんだ」

 限界だ。首を締め付けるものをほどこうとする手に、もう力が入らない。

「言ってみろ。お前はなぜ声優になったんだ」

 ああ、本当に、なぜ私は、声優になろうと思ったのだろうか。

 それも、もう、分からなく、なって、きた。

 いや、最初から、分かって、いなかったのかも、しれない。

 女は、そんなことを考えながら、苦しみの向こう側を迎えた。

1(アクターズズサイド)

 衝撃だった。声優事務所プログレスの社屋内にある録音スタジオ。進藤守は十歳年上の同級生の見事なアフレコぶりに圧倒された。
「カイト、今日もたいへんだったわね。お疲れ様」
「姉さん、なんでぼくらは毎日、こんな厳しい修行をしなければ、ならないの」
「戦争、があるから、かな」
「戦争がなくなれば、修行はしなくていいの?」
「そうね。そんな日が来るといいわね。さあ、もう遅いわ。眠りましょう」
「あの歌、歌ってくれる」
「ええ、もちろん」
「夜空の星たちは、見守っている。未来の勇者の静かな眠りを。眠れ、眠れ、甘い夢へと包まれていけ。神との出会い、悪魔との戦いはまだずっと先。今は静かに眠りにつけよ」

 ガラスの向こう側の録音ブース。四本あるマイクの前に四人の養成所生が立っている。調整室、整音機の前に座った守から見て、中央右側で沢樹理恵が声を当てているのは、人気アニメのヒロイン、フォーニ。アニメを映し出す正面のスクリーンを向いているから、おかっぱ頭の黒髪が見えるだけで、沢樹がどんな表情で演じているのかは守からは見えない。相手はヒーローのカイト。フォーニは古代ギリシャ風のキトンをモチーフとした薄いピンク色の衣服をまとった、金色、ロングヘアーの少女。黒髪短髪のカイトもギリシャ風の簡易な水色の布をまとっている。その二人が、木造の家のベッドで眠りにつこうというシーン。「セイクリッドボイス」という大人気アニメのプロローグだ。フォーニはカイトの七つ年上の姉という設定。二十九歳の沢樹は十一歳の少女をまるで違和感なく演じている。不自然さを微塵も感じさせず、セリフの声、歌声ともに魅力的で、そして、何よりも、本当にその少女が実在するかのような演技力が、本家の人気声優・君島恵真と遜色ないように思えた。
 だが、守が驚いたのは、それだけではない。このフォーニという役は、その後、優しい慈愛にあふれた子供の頃からの人格と、攻撃的で勇ましい人格を併せ持つ二重人格の魔法使いとなるのだが、沢樹はこのプロローグの前に、この二つの人格を見事に演じ切っていた。その直後の、少女時代のアフレコだったからなおさら守は演技と声質の幅に驚いた。デビューしていない養成所生の演技とはとても思えない。幼い頃からアニメファンだった守は、沢樹が事務所入りを争う一人のライバルであることを忘れて、何か、歴史的な場面に立ち合ったような興奮を覚えていた。
 はっと我に返った守は、右隣の存在を意識した。八木友梨香が録音ブースに向かって鋭い視線を送っている。髪型はゆるふわのセミロング。白地にピンクと黄色の花柄のワンピースは、「姫」というニックネームにふさわしい華やかな装いだ。普段は、お姫様らしい余裕を漂わせる八木が、これほど険しい顔をするのは、演技以外では見たことがなかった。
この日のレッスンは一クラス三十人を三班に分けて行っていた。守は、八木とともに、沢樹の班の一つ前のアフレコだった。フォーニ役を八木が、カイト役を守が演じた。八木は同期生からの評価は高く、沢樹らが途中入所する以前、事務所入りの筆頭、と目されていた優等生で、この日のアフレコでも危なげのない演技を見せていた。だが、彼女の存在はかすんでしまった。容姿は確かに整っていてアイドル声優ばりの魅力はあるが、沢樹の演技を目の当たりにした今となっては、声の魅力も演技力も物足りなく映ってしまう。
 二月に選抜テストがあって、一年間を基礎クラスで学んだ二つのクラス、計五十人が二十五人に絞られた。そこに、閉鎖となった別の声優養成所から、沢樹ら五人が加わって、選抜クラス三十人のレッスン四月から始まった。これまで、アフレコは、さすがに三十人が同時にスタジオに入るとやや手狭なので、三班別々で行っていたが、現役の音響監督でこの日の講師である瀬川は、見るのも勉強だと言って全員を同時にスタジオに押し込めた。だから、五月で空調が弱めのこの日、人いきれのスタジオで、守も八木も初めて沢樹のアフレコを見ることになった。沢樹は、三班合同で行うレッスンである朗読や演技やエチュードと呼ばれる即興劇でも非凡なものを見せていたし、「彼女は別格」という噂は流れていたから、声の演技も優れているのは承知していたが、この日のアフレコは守の想像の上をいくものだった。きっと八木も、そう感じているはずだ。

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