第19回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み 確かに、燃えている

「同じですね……」
 横から手紙を覗いた康平が鬱々と認める。
「もう五時三分よ……。いったい何がしたいワケ? 犯人は遠くから眺めて楽しんでるのかしら」
 杏菜が巻かれたロングヘアを掻き上げると、男ふたりは橋の中央からきょろきょろと辺りを見渡し始めた。どこかに犯人がいないかを確かめている。
 杏菜もざっと三百六十度を見渡した。
 川と空が広大な眺望を生み出しているわりに、確認できる人の数はごく少なかった。
 橋の南端、四十メートルほど先の同じ歩道には腰の曲がった老婦人と、孫と思われる女児がいる。ふたりとも笑顔で話をしていて、こちらにはまったく興味を示さない。
 橋の下、西の川沿いの芝生には年老いた白髪の男性がひとり、ビデオカメラを掲げていた。何かを撮影している。西の空、杏菜たちとは逆方向を撮っている。時間的にターゲットは、おそらく夕焼け。
 すると振り返った老人が杏菜たちの方向にカメラを向けたあと、片手を大きく振った。橋の上にいる女児がはしゃいで手を振り返している。どうやら女児の祖父だったらしい。
 ほかには釣りをしている者、犬を連れている者、ジョギングをしている者、計五人ほどが川沿いに見えた。怪しいどころか、全員が遠すぎて男か女かも区別できない。
 一分に一台ほどの間隔で通過する車たちは、どれも停車することなく無縁とばかりに去っていく。
「あのう。あの紐は……なんでしょう?」
 康平が橋の欄干に結ばれた白い紐を指さした。先ほどから杏菜も気にはなっていた。
 ゆっくりと近づいた康平が幾重にも結ばれた紐を手でまさぐり、一本の紐を少しずつ手繰り寄せ始めた。どうやら紐の先端は橋より下に垂れているらしい。
 ぼんやりと眺めていた杏菜は、康平の手が止まった瞬間、視線を突き立てた。
 赤。
 康平の手中にあるものが、また赤い。
 紐の先端をつかんだ康平の手には透明なビニール袋があった。杏菜と高橋は康平の元に歩み寄る。
「何、それ……」
 くぐもった声で杏菜は呟いた。ビニールを破いた康平が赤い封筒を取り出す。
「封筒……。たぶん、また手紙です」
 展開が読めない。ここまでが犯人のシナリオどおりで、自分たちが焦らされていることは確か。
 康平が赤い封筒から一枚の紙を取り出す。今度の封筒はシールや糊で口を閉じられていない。
 つまり、赤い蝶がいない。
 四つ折りにされた紙を康平は広げた。破られたビニールは風圧を腹に溜め込むように紐の先ではためいている。
 この手紙、おそらく先ほど読んだ三枚の手紙とは別の内容が書かれている。
 まじまじと手紙を読んでいる康平を、杏菜と高橋は訝しげに静観していた。もはや期待は一滴として湧かない。
 手紙を読み終えたのか、康平が首を垂れた。
「何?」
 杏菜の不安が急騰する。「もう人質は殺しました」とでも書かれていたような失意の色を康平は浮かべていた。
 手紙を無言で康平が手渡す。その挙動に杏菜はさらに取り乱す。杏菜が広げた手紙を、二十センチ上から高橋も一緒に読んでいた。

   返却できる人数は一人です、あとの方へのお返しは永久にできません。
   明後日までに緋の町で「赤い蝶」を捕まえた方だけに、失った人を返却します。
   警察に通報した場合、誰もお返しできません。

 別の恐怖が芽生えた。
「何よ……これ……」
 呟いた杏菜の肩に、高橋から重い吐息が降りてくる。
 たった三行で事態が最悪と化している。人数、期限、通報、すべてに制限が課せられた。
 赤い蝶の意味も分からない。虫ではないはず。文章からして、ひとつしか存在しないもの。仮に捕まえたとして犯人はどうやって蓮を返すつもりなのか。
 誰も、口を開かなかった。太陽だけが気づかれないように町の向こうへ去っていく。乱れのない清流の音が、各々の間に生じる変化を際立たせる。少しずつ三人の間に亀裂が生じ始めていることを杏菜は悟っていた。
 もうこの三人は被害者仲間ではない。犯人から「返却」を受けて、失った者と再会できる唯一の権利を奪い合う競合者。つまり敵であることを認識していた。
 無意識に杏菜はポケットのスタンガンに気を回す。とたんに怖気が走る。犯人ではなく被害者ふたりに使うことを意識した自分に、杏菜は恐れをなした。
「つまり、ゲームということですか、これは」
 高橋が沈黙を破った。平和的な単語が出たことに杏菜はぎょっとなる。
「緋の町というのは、あの商店街のことを指しているんでしょうか?」
 今度は康平が南西の堤防沿いに並ぶ店を指さしている。なぜこのふたりは易々と喋るのか。推理を明かすだけで自らの敗北を誘引しかねない。杏菜はひとり沈黙を守っていた。
「おそらくそうでしょう。緋の町は、この橋とあの通りの呼称ですから」
 高橋が義務的な口調で肯定する。
 緋の橋、緋の川、緋の町、そして犯人が探せと命じている赤い蝶。何から何まで赤。まさか蓮の身体も今、赤く染まっているのではないか。それこそ血の気が引くような光景が杏菜の頭に浮かんだ。
「河井さん……大丈夫ですか?」
「えっ? ええ……」
 気遣わしげに顔を覗き込んだ康平に杏菜は一驚した。この気遣いも信用できない。
「ひとまず、三人で協力しませんか?」
「は?」
 康平の提案に杏菜は耳を疑った。次第に喉が震える。
「な、なんで? 一人しか返さないって言ってるのよ、コイツ。あとの二人は返してもらえないのよ?」
「でも赤い蝶なんて見つからないでしょう。たぶん何かの隠語だと思います。それに緋の町はさほど広くないのに期限が明後日まであるということは、相当見つけることが難しいと犯人が知っているからだと思います」
 一転して饒舌になった康平を、杏菜は白眼視していた。
「それに最悪のパターンは誰かが一人を助け出して、ほかの二人が犠牲になることではなく、三人全員が誰も救出できないことです。今まったく手がかりがないのなら、三人で協力したほうがいいと思いませんか?」
 この口調、この風貌、蓮が好きなアニメに出てくる少年探偵に似ている。杏菜は冷えきった視線を向けていた。気づいた康平が言葉を繋げる。
「若造が出しゃばっているのは分かっています。でも僕も必死なんです。大切な人を助け出すために……」
 失われた語勢から少年が失った存在の大きさを感じる。
 だが杏菜は異を唱えた。
「でも、もし三人で調べて赤い蝶が何か分かった場合どうすんの? その時点で助かる人間は誰か一人になるわけでしょう? もし争いにでもなったら確実に負けるのアタシなんだけど?」
 ふと杏菜はスタンガンの存在を思い出す。
「いや、そうとも限らない」
 高橋が割り込んだ。
「犯人はあとの二人を殺すとは言っていない。永久に返さないと言っているだけだ。誰か一人を助け出せば、あとの二人の居場所、もしくは犯人の素性が分かるかもしれない」
 高橋が敬語を省いた。杏菜と康平を「敵」と見なしたような変化に聞こえる。

つづく

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