第19回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み スタンドアローン

 2

 今年の夏は全国的に雨量が少なく、水不足が危惧されていた。脇坂がアルバイトに来てから半年が経ち、店長としても楽ができるようになってきた。朝食は初日のあの時以来作ってもらっていない。
「五十嵐君、何ボケーっとしてんだい! せっかくこうして集まったんだし、もっと飲もうぜ」
 値段が安くもなく高くもなく、同窓会の一次会としては丁度いい中華料理屋風居酒屋。そこで三十五年ぶりの再会を果たした主催者の間宮の大きな手が、ノブの肩を強めに叩いた。
「いやちょっと色々思い出してさ。三十五年も経てば色々あるわけよ俺だって」
 昔から社交的だった間宮は、ノブの反応を待たずにほかのテーブルに移動していた。相変わらずだな、とノブは懐郷病を患いながらハイボールの入ったジョッキを持ち上げ、中身を喉に流し込んだ。
「そりゃみんなバラバラになってからは色々あったさ俺だって。女運はいつまでたっても悪いままだしな!」
 膨らんだ腹を揺らして豪快に笑う男がいた。ノブの向かい側に座っている為井だ。顔を真っ赤にしにかなり出来上がっている。
 その隣には中河原がいた。昔から毛量の多い天然パーマの頭は今でも健在だった。あの頃のように風が吹いてもなびくことはないだろう。シワが増えたが、細身で眼鏡をかけたその姿は何も変わらない。
「入江水を出てから三十五年だろ? あの時小学校高学年だからな。その後みんなバラバラになってさ。こうやってやっと再会できても集まった十三人。これからも仲良くやろうじゃないか」
「まあねえ」とノブは相槌を打つ。
「今日集まったのって入江水に最後までいた世帯の人たちだよな?」
「そうさ。でも芥川のやつは無理だったみたいだ」
「懐かしい名前だな」ノブは三五年前に想いを馳せた。
 都会から引っ越してきた芥川耕士郎という友達がいた。よくつるんでいたのだがあるとき突然家族ごと村から出て行ってしまったのだ。
「退去勧告も出ていたしあいつの親父さんはダム建設側の人間だったしな。なんか事情があったんだろう」為井はジョッキを豪快にテーブルに置いたを
「それがな」中河原が身を乗り出しテーブルの中央で小声になった。ノブと為井は顔を寄せ合う。「あのあと芥川は引きこもりになって、その少し後に死んだらしい。あくまで噂だけどな」
「ええ! 何であいつが! あんなに賢くて前向きだったのにありえーー」
「みんな!」
 大声で為井が何かを言おうとしたが遮られた。向こうのテーブルとノブ達のテーブルを行ったり来たりしている間宮である。間宮は続けた。
「俺たちは一九七八年の入江水のロストチルドレンさ! ダムによって俺たちの故郷はあの時確かに沈んだ。でもまた戻ってくるかもしれないんだぜ」
 為井や中河原、隣のテーブルの横田や東条も、間宮の大きな声を聞いて頷いた。ノブは彼らの反応の意味が分からなかった。また戻ってくるかもしれない、とは何だ?
 その様子を察してか為井がノブの顔を覗き込む。
「あれれ? ノブ。まさか知らないのか? 入江水ダムが撤去されるってこと」
「え!」ノブは思わず立ち上がった。あぐらをかいていたのに足が痺れ、すぐに尻餅をつく。最近、尻にも腿にも肉がついてきたせいだ。
 それにしても故郷の集落である入江水村はダムの底に沈んだままだと思っていた。そのダムが撤去されるだって? 初耳だった。
「こりゃ本当に知らないみたいだな」
 中河原が、細い眼鏡を指で上げながら、居酒屋の雑踏と店員の声にかき消されそうな声で呟いた。為井が豪快に笑いながら付け加える。
「そもそもこの同窓会は、入江水ダムが撤去されるという情報が端緒となって企画されたんだぞ。当時の四、五、六年生の担任の向島先生が初めは主催者だったんだ。残念だが先生は体調不良で来られなくなったから間宮が代わりに開催したんだ」
 ノブは、ズボンの後ろポケットに入れていた同窓会のお知らせを読み返す。裏面を見ると確かに皆が言ったダム撤去のことやそれを契機として集まろうということが書かれていた。ノブがお知らせを読み直している間、為井や中河原はドリンクメニューと睨めっこしていた。日本酒に溺れた間宮が、おぼつかない足取りでまた別のテーブルに移動しようとした時、隣のテーブルの東条がノブたちのテーブルにやってきた。東条は三五年たった今でも美人のままだった。
「お! 東条ちゃん。相変わらずベッピンさんだね」
「ありがとう。為井君も相変わらずね」
「そうかな!」
 照れる為井をノブと中河原は死んだ魚のような目で見つめていた。
「ベッピンさんといえばやっぱり雪乃先生を思い出すよなぁ」とノブから自然にこぼれた言葉は、十三人の空気を一瞬凍らせた。
「ごめんごめん。気にしないで」ノブは手のひらを合わせて頭を下げた。
「いやいや。別に禁句でもなんでもないさ! ただみんな思い出しちゃっただけだよな?」
 為井の言葉に周りはうなずいた。ノブは内心ほっとする。
「いやあ……俺たちは雪乃先生には本当にお世話になったんだよ。美人だったなあ。今でも会いたいよ」間宮の言葉に一瞬だけ周りの会話が止まる。「あ、変な空気にしてごめんごめん」
「今のはちょっと笑えないよ。間宮君ったら」
 間宮はノブと同じく両手を合わせて頭を上下していた。

 加賀美雪乃は殺された。一九七八年、入江水ダム建設が本格的に開始され、退去せずに入江水村に残っていた十三世帯も、水没地となる場所に住み続けるわけにはいかないため退去の準備を進めていた。そんな中、加賀美雪乃は殺された。当然小学校は閉鎖になるため、先生たちは少しずつ減っていった。そんな終末の雰囲気の中、殺されたのだ。
 犯人はすぐに捕まった。体育教師の塚本だ。動機は痴情のもつれらしい。とはいっても、塚本が一方的に雪乃先生に好意を寄せていたことは生徒の間では周知の事実だったから、告白してフラれた腹いせに殺したのだろうと、当時の生徒たちのあいだで意見が一致した。

ページ: 1 2 3