第19回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み 本能寺の変オブ・ザ・デッド

「おそろしくにおいまするぞ。くさった鮒か蝦のような……ん、しょうしょうお待ちを」
 ひとり勝手にまくしたてた亀は、するどくかわいた健康そうな屁をはなつ。
「失敬。厠でございますゆえ、おゆるしを。ずっといきんでいたのですが、おかげさまで、そろそろやっと出番の様子。あくびとおなじく、大便も伝染するのですな」
 雑魚丸、ベラベラうるさい――口に出したはずの文句が、声にならない。
「ざふぉふぃふぃふぉぶんふぁい」
 さきほどまでうごいていた舌の根がしびれ、まともに言葉を発することができない。
「なにかおっしゃりましたか。とおくてよく聞こえないのです」
 返答がわりにはげしい下痢音がひびき、亀がケタケタ笑う。
「ずいぶんと、わるいものを食べましたな。ところで弥助の調査はいかがでした。やはり裏切り者でしたか」
 亀の声はとどかず、角蔵の意識は朦朧と宇宙をさまよっていた。おのれがおのれでなくなっていく気配――一瞬は永遠、永劫は一秒と夢幻の感覚である。
 なんだ、これは。どうなっているんだ、俺のからだは――角蔵の腹は妊婦のごとくふくれ、赤黒い軟便がとめどなくあふれでる。
「いやはや、失礼。いまはそれどころではありませんな」
 亀は懐紙を取りだし、丁寧に尻を拭く。
「今宵も切れ味よし。それではおさきに。のちほどお聞かせください」
「ま」助けを求めようとしたところで、角蔵は咳きこむ。手のひらに粘着性の血汁がくろぐろと糸をひく。ひとかぎで頭がクラクラする、一昼夜にこんだ糞のごとき臭気である。
「ところで、お虎どのがさがしてましたよ。酒宴で興がのったおり、弥助の怪力をためそうと、北門の予備鍵をわたしたら、あのうつけ、ねじりきったそうでして。とにもかくにも、北門の鍵、おはやめに御返却ください」
 まってくれ――全身全霊の発声は、うなり声にしかならない。手も足も、うごかない。
「もちろん、だすもの出してからでよいですから。のちほど」
 引戸がひらき、とじる音がひびく。足音がとおざかる。
 たのむ、だれか、助けてくれ――意思とは関係なく、縦横無尽に臓腑がうごめく。食道を這いあがってくる、かたくトゲトゲしたなにか。躰がビクンと跳ねあがったかと思えば、歯がガチガチ鳴りはじめ、全身がブルブル痙攣する。
 これは、毒を、もられたのか――大河に落とした墨滴ほどのかすかで朦朧とした意識を、強靭な意志でつなぎとおす。父ゆずりの体力と気力をふりしぼる。
 よもや、四ツ目にふるまわれた、花の香りのした蜂蜜酒か。それとも甘すぎて舌が莫迦になりかけたカステラか。毒だ。弥助と、共謀しての、ことだな。上様に、乱に、虎に、知らせね、ば。上様に、ご報告。時香盤、当番。北門、鍵、返さ、ネば。
 角蔵の思考は支離滅裂に暴走し、停滞する。量のへった臓腑のかわり、おなじ体積のうごめくナニカが、しきりにうったえる――ハラ、スイタ。
 角蔵の顔が、どどめ色にそまってゆく。蟹股をふんばり腹のなかのナニカに必死に抵抗する。腹のなかに大蛇がいるがごとく皮膚が盛りあがり、波をはげしくうつ。
 ハラ、スイタ。クイ、モノ。シヌ、シヌ――肚からこころに直接はなしかけてくる感覚。腹にだれかいる――角蔵は気力をふりしぼり、おのれの拳を腹にたたきつける。激痛とともに皮膚がさける。血肉の海をかきわけてうごめく蟲の背がみえる。蟲はすぐさま血肉のなかへと消えてゆく。
「ヤヤヤヤヤヤ、イヤ、ナンゾ、コレ」
 声にならない声で角蔵は絶叫する。なにも出てこなくなるまで赤黒い体液を嘔吐しつづけ、やがてはげしく痙攣すると、
「イアイアッ」
 名状しがたい叫び声をのこし、うごきをとめた。蟹股ずわりのまま角蔵の躰はゆっくりかたむき、ドン、と漆喰の壁に頭をめりこませ、うつぶせに土間につっぷす。
「どうされましたか」
 東浄の戸をひらいて駆けつけたのは魚住勝七。桶狭間より織田家に仕える魚住隼人正の親族で、齢は十二、最年少の小姓である。東浄ちかくの井戸の周辺警護をしていたところ、異音を聞きつやってきた。鼻をつまみ、手燭で角蔵のいる個室を照らす。
「おふ……これはひどい……あとで掃除がたいへんですな」
 吐瀉物まみれの土間のなか、角蔵がうつぶせにたおれている。
「お角どの、またひどく酒を飲んだのですね。汚いですよ、おきてください」
 勝七は手をのばすが、すぐにひっこめる。
「なんぞ」角蔵の口から長い舌がのび、ピチピチ音を立てている。
「ずいぶんと舌がふといんですね。そしてながい」
 手燭をよせれば、体液にヌメる巨蟲が浮かびあがる。
「うえっ……なんぞ、これ……きしょくわるっ……」
 幅十センチほどの百足のような蟲が、角蔵の唇のあいだから舌のごとくのびている。蟲の背にはブツブツ穴のあるイボが無数に隆起し、腹部にはこまかな脚が幾百幾千、ゾワゾワうごめいている。
「お、お角どの、無事ですか。どうか御返事を」
 蟲はピャッと血汁をまき散らし、口蓋へとシュルリ、ひっこむ。今度は尻穴から虫があらわれ、猿の尾のように縦横無尽に活動し、着物をもちあげる。
「尻尾」勝七が手燭を下半身にむければ、着物の盛りあがりはすでに消えている。
「巨大な蟲が体内にいるご様子……もしや寄生虫、寸白ではありませんか」
 人の臓腑で十メートルにもそだつ条虫、すなわちサナダムシの知見を勝七はゆうしていた。永楽衆に選抜されるだけあって好奇心にとみ博学である。
「なにごとかと思いましたが、どうやら寸白が臓腑に棲みついたのでしょう。命に別状はないと聞いておりますが、医にあかるい針阿弥様に相談しましょう」
 勝七が立ちあがれば、遠雷が聞こえる。うごきをとめ、耳をすます。音の根をたどれば、遠雷はどうやら角蔵からきこえてくる。
 ィイァアィイァァア――奇奇怪怪、この世のものとは思えぬ不快不吉なうなり声である。
「さきほどから、なんといっているのですか。聞きとれません」
 突如――たおれていた角蔵が、ふいに起立した。首は横にかたむき、手足の関節は不自然な角度で固定されている。角蔵は立ちあがったきり、勝七に背をみせ壁にむかってたたずんでいる。足元はおぼつかなく、躰はフラフラ左右にゆれている。汚れたふんどしは土間にちらばり、着物の前ははだけ、ほとんど全裸である。

つづく

通過作品一覧に戻る

ページ: 1 2 3