第19回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み 静かに眠るドリュアデスの森で

 外に出て黒板スタンドを店先に置き、大樹は道路を見渡した。
 道路を挟んで斜向かいにある洋裁店は、錆の浮き出たシャッターが下りている。老夫婦が営んでいたその店は、時代にそぐわず数年前に閉店してそのままだ。シャッター表面に浮き出た赤錆も、色褪せた看板も、数年前と変わらない。
 枝打ちされた街路樹、隙間から雑草が生えてきている石畳の歩道、塗料の剥げかかった郵便ポスト、継ぎ接ぎだらけのアスファルト、遠目にある雨ざらしのバス停標識――、久方ぶりに戻った故郷、あすな町のくたびれた風景は、あまり変わっていなかった。
 いや、町並みは変わらないが、人通りは減ったとするべきか。商店街入り口にある園芸生花店《ドリユアデス》から足を延ばせば点在する農家からも、農繁期の人手が減ったように見える。
 それは、以前から徐々に進行していたのだろう。小学校、中学、高校と過ごすうちは気づかなかったが、数年ぶりに戻ってきて実感した。確実に人が少なくなった。園芸生花店《ドリユアデス》の客足も遠のき、客層は常連が中心となりつつある。
 一見客は減ったが、いないことはない。黒板スタンドに『新生活応援フェア』と書き込んでいた大樹の手元を後ろから覗いた女の子も、見慣れない顔だった。
 年の頃は小学生か、今年中学に上がるくらいか。春らしいフレアスカートに薄手のパーカーを羽織った女の子は、大樹の視線が絡むと目を逸らし、プランターに植えてあるガザニアの葉を指で撫でた。
 平日の朝からうろついている小学生を訝ったが、よくよく考えれば学校が始まるのは明日からだ。春休み最後の日を惜しむように散策でもしているのだろう。大樹は少女の気楽な一日を羨ましく思いながら、そろそろ廃棄時期になりそうなスイートピーのブリキバケツを抱えて店内に戻った。
 作業台に置いたスイートピーの茎を鋏で切り、エタノールを流し込んだ容器に浸す。
「綺麗にしてやるからな」
 生花に声をかけるのは、いまだ祖父の影響が残る大樹の癖だった。
 話しかければ花がより美しくなると、今も心のどこかで信じている。指で触れて直接刺激を与えるのとは違い、言葉、音による植物への影響は深く解明されていないのだが、そうあって欲しいと思う。
「よし、次はおまえ」
 花冠の形が崩れないよう、丁寧に茎を切っていく。何本目かのスイートピーをエタノールに浸したところで、先ほどの少女が店のなかに入ってきた。
「いらっしゃいませ」
 こちらには目もくれず、少女はフラワーキーパーに近づいていく。
 目的はないようだ。後ろ手を組んでキーパー内の生花を眺めているのを見るに、冷やかしでの入店らしい。
 しばらく作業に没頭して、十五分ほど経った頃。
「それは、何をしているんですか?」
 少女が抑揚のない声でそう言った。
 竹治は奥の事務所に引っ込んでいる。大樹の手元を見ての質問だった。
「これ? プリザードフラワーを作ってるんだよ」
「プリザード?」
「ああ、切り花はすぐ萎れちゃうよね。勿体ないから、こうして保存するんだよ」
 切り花を消毒用エタノールに浸して脱水する。一日も置けば水分が抜け、花の色も抜け落ちるのでグリセリンに浸けてインクで着色、乾燥させると。
 商品棚から、できあがったプリザードフラワーを持ってくる。
「完成品が、こいつ」
 興味深げに説明を聞いていた女の子は、受け取ったプリザードフラワーをしげしげと見つめている。その背丈はかなり低く、一八〇ある大樹とは身長差が四〇センチ以上あった。肩にかからない程度に伸びた黒髪が柔らかそうで、見下ろしていると思わず撫でてやりたくなる。
「萎れそうな花は、みんなこれに?」
「全部は無理だよ。残った花は安く売るか、無料で配るか、でもなきゃ捨てちゃうかな」
 切り花の品質保持期間は短い。環境を整えれば菊類は二十日近く保つが、花のなかには五日程度で萎れるものもある。
「花は好き?」
 頷く少女に、作業台に重ねてあった種袋を渡す。
「あげる。それね、ラベンダーの種で、一週間くらい冷蔵庫に入れてから蒔くといいよ。冷やしてから急に暖かくすると、春だと思った種が発芽しやすいんだよ。冬の寒さと春の暖かさを覚えてるんだね」
 少女は不思議そうに小首を傾げた。
 小動物のような仕草が愛らしい。内心に微笑ましさを覚え、祖父に教わった子供向けの解説を付け加える。
「花には記憶力があるし、心だってあるよ」
「心があるんですか?」
「そう。芽が出たらね、優しく話しかけて撫でてあげるといいよ。花だって冷たくされるより、優しくされたほうが嬉しいからね。毎日水をやって優しくしてあげると、ぐんぐん成長して早く花が咲くから試してみて」
 少女は一言一句逃すまいとでもするように、真剣に聞き入っている。
「種から育てるのはちょっと難しいけど、お母さんに手伝ってもらってさ。優しく接してあげれば、そのうち花のほうから話しかけてくるかも」
 ラベンダーの種は二百円もしない。投資だと思えば安いものだ。あとで園芸用品を買いに親が来店するかもしれない。
 お辞儀をした少女は大切なものでももらったようにラベンダーの種袋を胸に抱き、店外に出ようとしてから振り向いて、もう一度ぺこりと頭を下げた。
 おとなしかったが、やけに印象を残す女の子だった。

つづく

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