第19回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み クロウ・ブレイン

「いや、ちょっと、ねえ。新聞社が正式に取材に来ているのに、データ的な裏付けもない単なる感想をいっても無責任だし、不正確だしねえ」
「公式なデータってないんですか? カラスで怪我をした人の統計とか?」
「ない。僕も気になって、いろいろ探したんだけどね」
「あ、つまり、狂暴になったという感じは、しているんですね」怜一は身を乗り出した。
「困ったなあ。感じとしては、あるんだよなあ。昨年からね。だから、権執印さんのデータとも合うから、実はさっき、ちょっとビックリしてたんだよ。心の中で」
「もっと具体的にお話しくださいますか。例えば、狂暴化を最初に感じたのはいつ頃で、場所はどこでしたか?」
「だから、狂暴化とか、そういう言葉じゃなくってさあ。ちょっと不自然に荒っぽい個体がいるな、と感じたのは、去年の秋に、この近くの公園でね。秋ごろになると、その年に巣立った若いハシボソガラスが集団をつくることがあるんだけど、そんな集団がいたわけ。それを観察していたら、僕も体当たりされてさあ。肩を……どっちだっけ、ああ、右肩を怪我した。僕は学生時代からもう20年もカラスを観察しているのだけどね、そんなの初めてだった。その集団は15、6羽の集団だったんだけど、怖かったね」
「秋って、何月でした?」
「確か9月だね。後輩の吉池の結婚式のとき、まだ怪我してたから。しかし、あいつすぐに離婚しちゃったけど」
「9月の上旬、中旬、下旬?」
「中旬だったな」
「日は憶えてます?」
「いやあ」
「襲われたのは、朝、昼、夕方?」
「朝だよ」
「どんな風に怪我したのですか?」
「頭から突っ込んできたんだ。僕に向かって」
「嘴で刺された?」
「うん。こんなこと、あるわけないんだけど……。僕の長い観察経験で初めてで……」
「何針か縫いました?」
「3針」
「どこの公園ですか?」
「新宿御苑だよ」
「御苑のどのあたり?」
「あなた、とことん詰めて来ますねえ。『母と子の森』のあたり。でも、これは単なる偶然の事故かもしれないし、記事にはならないよ」
「そんなことありませんよ、烏丸先生」と、言ったのは、またしても箕輪教授だった。「だって、この記者の方のデータがある。報道ベースにしろ、カラスが人を襲ったという事案が昨年から増えている。そして、毎日のようにカラスを観察している烏丸先生の印象としても、昨年あたりから、狂暴になっている。これは、何かが変わってきている、ということだと思いますよ。先生も堂々と言っていい」
 小さい声だが、毅然としている。怜一は、箕輪教授にちょっと好感をもった。
「いやあ、まあ……」
 烏丸はいいよどんだ。箕輪の方が10歳以上は年上のようだし、烏丸はまだ准教授だから、教室が違うにしろ、逆らえないのかもしれない。
「記事にする場合は、どんな風に記事にするか、ちゃんと連絡しますから」と怜一。
「まあ、ねえ。そこまで言うのならねえ」
「ところで、カラスが狂暴化してきたのは何が原因だと思いますか?」
「わかんないよ、そんなこと。まだ、狂暴化したっていう事実すら確定してないんだからね……。だから、断定的に書かれると困るよ」
「ええ、わかっています」
「ウイルスが原因、と考えられませんかな」
と、箕輪教授が言うと、烏丸が露骨に嫌な顔をした。
「えっ、ウイルスですか?」怜一も驚いた。これは面白い。記事になる。箕輪を見つめる。
「いや……」
 怜一の食いつきぶりに箕輪も気圧されたようだった。
「これは仮説ですらないですよ。全くの思い付きだ。記事になるものじゃない。が、例えばバキュロウイルスというウイルスが、カイコなどの蛾の幼虫の脳を操ることはよく知られている。カラスたちの行動が突然変容したとしたら、何らかのウイルスに感染した可能性はゼロではない、と思うよ。もちろん他の原因も考えられるけどね」
「なるほど」
「うわあ、もう、すごい展開になってきたなあ。箕輪先生、きょうはちょっと変ですよ。八つ橋にバキュロウイルスでも混入してました?」と烏丸。
「全然」
 烏丸の皮肉めいた冗談を、一蹴した箕輪教授は、たぶん真面目な人なのだろうが、座が白けてしまった。
「では、私は失礼します」
 怜一はタブレット端末をトートバッグに放り込んだ。これ以上いくら聞いていても確証は取れないし、記事にはならないと思った。別の証拠を探し、別の学者に当たるほうがいい。その前に、自分自身でカラスを見に行くべきなのだ。
「きょうは初めてカラスについて取材しました。これからカラスについて勉強してみます。カラスって、とても頭がいい鳥だそうですね。テレビでゴリラより賢いって言ってましたし……」
 最後にカラスをヨイショして、烏丸の機嫌を直そうと思っただけだったが、烏丸は予想外に大喜びした。
「そう、そう、そうなんだ。とても頭がいい。類人猿並みなんだね。でも、カラスを含めて鳥類の脳は、類人猿の脳というか哺乳類の脳と、違う構造をしているんだ」
「へえ、そうなんですか」
「哺乳類と鳥類とは3億年も前に進化が枝分かれしちゃったからね。脳の構造だって異なるさ。鳥は、昔は恐竜だったわけだ。ほとんど滅んだ恐竜の生き残りが鳥。恐竜が滅びずに進化していたら、人間並みか、それ以上に賢くなっていただろうなあ。まあ、妄想だけど、僕はそう思うわけ。6600万年前に巨大隕石が地球に落ちて、繁栄していた恐竜たちがいっぺんに滅んじゃうんだけどさ。隕石落下がなければ、今ごろ地球は、人間とは異なる知性を持つ恐竜が支配していただろうなあ。だって、脳の構造が根本的に哺乳類と違うんだからね。この地球上にまったく別の世界を構築しただろうな。考えるだけでも、面白いでしょう」
「はい。でも、鳥の脳って人間とどう違うんですか?」
「鳥には、高度な判断とか認知とかを行う大脳皮質がないんだね。正直言うと、そこらへんになると、私の専門じゃない。興味があるなら、章夏大学の但馬先生に取材するといい。その道の専門家だから」
「鳥の脳の研究をしている先生ですか?」と言いながら、黒いトートバッグからタブレットを取り出し、大学名と名前を手書きでメモした。
「そう」
「変わった研究をする先生もいらっしゃるんですね」
「いや、鳥の脳は一大研究領域だよ。19世紀に遡る古い学問だし」
「そうですか」
「そうさ。最近は遺伝子レベルで生物を分析できる分子生物学が発達したから、いろんなことがわかってきた」
「但馬先生ってどんな人ですか」
「但馬先生はね、富豪刑事ならぬ、富豪教授なんだ」
「お金持ち」
「そう。資産家でね。金に飽かして好きな研究をしている」
 烏丸はそう言って、出涸らしのお茶をすすった。

つづく

通過作品一覧に戻る

ページ: 1 2 3