第19回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み クロウ・ブレイン

『クロウ・ブレイン』

東一眞(ひがし・かずまさ)59歳
1961年生まれ。
筑波大卒、同大学院経営政策科学研究科中退。会社員。



「この言葉を別れの印とせよ、鳥か魔か――。」と私は立上り、叫んだ――
「お前はかえれ、狂嵐と夜の冥府の磯にかえれ、
お前の魂が語ったまどわしの名残に、いささかも黒羽を残すなよ、
私の寂寥を乱すな、――私の戸の上の胸像を去れ、
私の心からお前の嘴をぬけ、そしてこの戸からお前の姿を消してくれ。」
    大鴉はいらえた、「またとない。」

かくして大鴉は、飛びたたず、じっと止まっている――じっと止まっている、
私の部屋の戸の真上のパラスの青ざめた胸像の上に、
彼の瞳はさながらに夢みている悪魔のよう、
そして灯影は大鴉の上に流れその影を床に投げている。
そして私の魂が床に浮んでいる影から、
    脱れることも――またとあるまい。

エドガー・アラン・ポー「大鴉」より

阿部保訳

第1章 警告

 太陽がまぶしい。
 空は抜けるように青い。
 ゴールデンウイークが明けた5月7日午前11時過ぎ、東京・日本橋室町には涼やかな初夏の風が吹いていた。三越前の中央通りは、ジャケットにノーネクタイのビジネスマンや、鮮やかな夏色の服の女性たちで満ちていた。
 中央通りから旧日光街道を少し入った場所に、まだ新しい地上40階建ての白いビルがあった。日本新聞東京本社ビルである。
「だめだ、そんなネタ。よくて夕刊の2社面の囲み記事だろ」
 本社ビル5階の廊下を歩きながら、社会部デスクの吉田拓はそっけない。
「そうですか? 作り方次第で、夕刊の1社のアタマになると思います。それにネットで相当PVが稼げるネタだと思います」
 タブレット端末を片手に、吉田デスクにピタリとついて追うのは社会部記者の通称ゴン、権執印怜一(ごんしゅういん・りょういち)だ。吉田デスクがガマガエルのようなずんぐりむっくりなのに対して、怜一は、上背はそれほどでもないがスラリと痩せている。
「なんだ? 作り方次第って? 俺になにか指示したいわけ? こんなネタ、アタマにならねえって。それより、温暖化でなんかネタ出せよ。環境班の本道はそっちだろう?」
 吉田デスクは社会部の自席にどかんと腰を下ろした。振動で、突き出たワイシャツの腹が揺れる。話は終わりというように、横を向いた。
「言い方がまずかったです。すみません。でも、データはちゃんとあります。事実としてこういう現象があるわけです」
「ダメだよ」
「なんで、ダメなんですか?」
 怜一は横に立って問い詰める。南方系を思わせる浅黒い肌、縄文人のような太い眉、その下のドングリの目が、猫背の上司を見下ろしている。
「お前、しつこい!」
「それって、ダメな理由になってませんよ」
「なんで俺がお前に理由を説明しなきゃいけない?」
「ダメだ、といったのは吉田デスクでしょう。理由くらい聞かせてください」
「もぉ、お前しつこ過ぎ。ダメなもんはダメ。以上。話は終わり。終わり。終わり」
「……」
「終わり。終わりだ。終わり」
 吉田は追い払うように手を振る。
 怜一は吉田を横目でにらみながら、社会部を去る。
 怜一の後ろ姿を見送る吉田はヤレヤレという表情だ。権執印怜一が時々見せる頑固さには辟易させられる。
 日本新聞ビル5階のフロアには政治部、経済部、社会部など編集主要各部が入る。怜一は、階段を駆け上がって、7階にある自分のデスクに戻り、タブレット端末を机に投げ出した。怜一が属する環境班は、社会部のなかで、温暖化など環境問題を取材する部署で、怜一も入れて記者3人の小さなユニットだ。社会部本体とは別のフロアにいる。
「どうしたの、ゴンちゃん?」
 光が漏れるブラインドを背にノートパソコンを打っていた環境班キャップの飯島麻子が目を上げて聞いた。飯島は怜一より10歳くらい年上だから、42、3歳だろうか。眼鼻の小さい小柄で地味な女性だが、頭の良さには定評がある。
「いえ、ネタを吉田デスクに売り込んだら、拒否られちゃって……」
「なんでわざわざ吉田さん? 穴場狙い?」
「まあ、そうです」
「じゃあ、自信のあるネタじゃあ、なかったんだ」
「ええ、まあ」
 こう言われると、怜一も頭をかくしかない。
 社会部に限らず経済部にも、政治部にも、記者の書いた原稿を直したり編集したりする「デスク」が5、6人いて、朝刊、夕刊をローテーションで交代し、その時間帯はネットニュースも担当する。
 記者は自分が温めていた原稿は、自分と相性が良いデスクか、実力のあるデスクが当番の日に出したがる。相性の悪いデスクに出すと、原稿が不当に小さな扱いにされてしまう。実力のない下手なデスクに当たったら、原稿に滅茶苦茶な直しを入れられて、本来の趣旨とは違う記事にされかねない。その日に起こった事件・事故などのナマのニュースは別として、温めていたネタは、愛称の悪い、ダメなデスクには出さない。
 逆に言えば、人気も実力もないデスクが当番の日は、記者からの売り込み原稿がないから、記事がひっ迫する。そこそこのネタをもっていけば、大きく扱ってもらえる可能性もある。飯島キャップは、それを「穴場狙い」と言った。社会部で今、最も人気のないのは吉田デスクだからだ。ニュース価値の判断がピント外れなのに、文章のテニヲハだけやたら煩いから、若い記者たちからは「ヲハー」とあだ名をつけられている。
「で、どんなネタなの?」
「すみません。キャップを通さずに、勝手にデスクに売り込んで」
「それ、全然いいけど、どんなネタ?」
「カラスなんです」
「カラス?」
「これ見てください。ウチの新聞の地域版の記事ですけど、最近カラスに襲われてケガをした、という記事が、増えているんです」
 怜一はタブレット端末を開いて、データベースの検索結果の記事一覧を表示してみせた。
「増えているって、どのくらい?」
「3年前まで、人がカラスに襲われた記事ってないんです。ゼロ。それが、一昨年が5件、昨年は8件、今年は先月4月までで、もう13件あるんです。全部、首都圏です。東京、千葉、埼玉、神奈川」
「面白いじゃない」
「でしょう。カラスに襲われても、ちょっとケガするくらいだから、大きなニュースになりませんよね。せいぜい、地域版のベタ記事です。ネットにも拾われない。だから、全体的に増えていることが分かりにくい。偶然、調べて分かったんです。夕刊の社会面のアタマは取れるでしょう」
 アタマとはトップ記事のことだ。
「う~ん、まあね。それには二つ、必要だと思うなあ。一つはきちんとした数字ね。うちの報道した件数をデータベースで調べただけでは説得力に欠けるよ。公的な数字を探さないと。保健所なのか、環境省なのか、警察なのか知らないけど、公的な数字で、ヒトがカラスに襲われる被害が確かに増えている、と断言できればいいね」
「はい」
「もっと重要なのが、原因・理由ね。なぜ、カラスが人を襲うようになったのか? その裏に、例えば、温暖化があるとか、都市環境の変化があるとか、ゴミ出しのやり方が変わったとか、『なるほど』と読者がわかるような原因・理由が欲しいわね。そうなれば、単にカラスの話じゃなくなって、社会的な意味も出てくるし。ニュースの格が一つ上がるでしょう。まず、専門の学者にあたってみれば? 仮説でもいいから、原因・理由を引き出せれば、社面トップの道が開けるかも」
「あ、そうですね。ありがとうございます」
「きちんと取材できたら『ヲハー』じゃなくて、別のデスクに売り込めば」
「飯島さん、売り込んでくださいよ」
「……自分でやってね」
 飯島はパソコンに目を落とす。
 怜一は、飯島キャップの見識を尊敬している。ただ、気の弱さと消極性が玉に瑕だ。部下の原稿をデスクに売り込む気概もない。それどころか自分で書いた原稿ですら、あまりアピールできない。だから、扱いが悪い。環境班という、花形でもない部署にいるのも、アピールの下手さが原因だと怜一は思っている。怜一もできれば環境班からは出たい。以前、1年だけ担当した警視庁担当に返り咲きたいと思っている。この人の下にいると、いつまでたっても大きな仕事はできないような気がする。
「ところで、明日の環境省のSDGsシンポジウムだけどさ、榎君が、都合がわるくなったってさ。ゴンちゃん、取材してくれない?」
「えっ? ああ、はい。わかりました」
 まったく榎のヤツ!
 怜一は榎を呪った。榎という記者は、同じ環境班の3年後輩だ。環境班は、飯島、怜一、榎の3人で成り立つ。榎は、小太りでよく笑い人畜無害といった風だが、実はかなりの野心家だ。社内的に注目されるような仕事なら必死にやるが、地味な仕事はしたがらない。理由をつけてうまく他人に押し付ける、ずる賢いタイプだ。生真面目な怜一とはソリが合わない。

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