第19回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み 常山蛇勢

『常山蛇勢』

高山佳樹(たかやま・よしき)59歳
1961年生まれ。岐阜県内公立高校卒業後、公務員として勤務。
その後、法政大学文学部日本文学科卒業。現在は早期退職して無職。


 1 端緒

 四月五日、日曜の朝。
 ぽつぽつと小雨が降るなか、俺は愛車のフィアット五〇〇に乗って仕事場に出かけた。二年落ちの中古だが、今のところ故障もなく順調に走ってくれる。
 購入したのは一週間前だ。知り合いのディーラーを通したが、まだ走行数千キロしか走ってない上モノだというので現物を見に行き、即決で購入を決めた。塗装はホワイト。色は気に食わないが、もともとこの車は赤か白、または現行モデルだと薄緑くらいしか選択の余地はないらしい。
 ディーラーは五十過ぎのおっさんだ。今どき時代遅れのパンチパーマをかけ、下腹がぶよぶよにたるんでいるのが服の上からでもわかる。車両価格は税込みで二百万円となっていたが、事務所からマジックを持ってこさせ、〝2〟を〝1〟に書き換えてやったら、さすがに眉を垂れて困り顔を見せた。
「だんなぁ、ちょっと勘弁してくださいよ」
 相変わらず軽薄な口調で男が懇願する。
「おまえの小指がちょん切れるのを助けてやったんだ。これくらいの価値はあるだろう」
「そりゃそうですけど……」
「もう一回、喜多山(きたやま)組の事務所へ行くか? ん?」
「うーっ、参りましたよ」
 口を〝へ〟の字に結んで項垂れる。
 男の名は田中一郎(たなか・いちろう)、暴力団喜多山組の元組員である。元来喜多山組は弱小組織だったが、田中はそこで金庫番を任されていた。ふだんの収入は組長が妾にやらせていたスナックとカラオケ店、それにラーメン屋の上がりだったが、数年前組長が恐喝で逮捕された折、この組もそう長くないと踏んだ田中は、売り上げを懐に入れて逃亡を図った。最後は北海道の稚内まで逃げたが、あろうことか女に電話して居所がばれ、追ってきた組内の者に捕らえられたのである。
 さんざんヤキが入ってから名古屋の組事務所に連れ戻された田中は、組長指示で指を落とす算段となりかけたが、そこで組長の正妻から俺のところに電話が入った。
「今どき指なんか落としたところで、だぁれも儲からないからねぇ。かと言って、ウチの人はトン箱の中でけじめ取れってうるさいのよ。今さら横領なんかで訴えるのも面倒だし、どうしたもんかと思ってねぇ」
 やくざ者との付き合いなどごめんだと思っていたが、喜多山組は地元に根を張った昔気質の的屋だ。よく縁日とかで見かける露天を業とし、消えものと呼ばれるたこ焼きや焼きそばを売っている。以前、その縁日の出店の場所取りで他組織と揉めかけたとき仲立ちをしてやったことがあり、それ以来、ちょくちょくこうしたトラブルの相談を受けるようになった。
 正妻の明美(あけみ)さんは、昔懐かしい〝極妻〟女優そのものだ。きりりとした顔立ちに目力強い眼差し、これでひと睨みされると若い衆はたちまち直立不動になるらしい。しかし怪しげなのは、その年齢がまるで読めないところだ。会って話をすると狐に化かされたというか煙に巻かれた感覚を覚える。女性の年齢といえば、普通は顔や手に出ると言われるが、明美さんに関してはあるはずの皺がない。どうせ皺取りの施術でもしているのだろうと思っていたが、彼女の場合はオールインワンの化粧品だけで、あとは必要ないらしい。生まれ持ってそういう体質だという。手の甲を見てもつるりとしていて、まるで二十代の生娘のようだ。誰が見ても今年還暦を迎えることを言い当てられはしないだろう。
 若い衆がこっそり陰で漏らしたところによれば、どうやら彼女は若い男が好きで、夜な夜な精気を吸い取っているらしい。その意味では、俺も彼女の眼鏡にかなったのかもしれない。独身だしまだ三十になったばかりなので、彼女から見ればご馳走のたぐいだろう。自分の半分しか生きていない男なら生き餌としては十分だ。
 明美さんからの連絡に、俺が「商売でもやらせて毎月上がりを上納させたらどうです?」と提案すると彼女は電話の向こうで大笑いしていた。
「こんな男に商売が勤まるかねぇ。でも悪くないか。あなたの提案だと言えば、ウチの人もとやかく言わないだろうし」
 その蔑んだ口調で、眼前に顔中血だらけで椅子に縛り付けられた田中の姿が想像できる。彼女はハイバックの自席に座り、これ見よがしにスタイルのいい細身の足を組んで話をしていることだろう。
「今はスナックとかカラオケの上がりも厳しくなってるんでしょ? それならそいつに上がりを補填させたらどうです。取り立てを厳しくして、逃げたら横領で被害届出せばいい。指名手配すればすぐ捕まるだろうし」
「ひどい男ねぇ、ほんとに。とても正義の味方とは思えないセリフだわ」
「ちょうどいいです。あまり正義の味方は好きじゃないし」
「でもそういうダークな男、好きよ」
 受話器の向こうで舌なめずりしている明美さんの口元が思い浮かぶ。
 トン箱の組長は喜多山豪(たけし)、年は六十五である。名は体を表すとよく言うが、しかし残念なことにこの男には当てはまらない。豪気なのは名前のみで、ふだんは明美さんの尻に敷かれている。ただ、どの組織にも激昂症で猛り狂う人間の一人や二人はいるが、喜多山もその一人だ。瞬間湯沸かし器と言われ、若い衆から恐れられているが、数分もすれば湯気は冷める。いつぞや場所取りで揉めた相手組織は全国規模の反社会的集団だった。本気で戦争をしたら、喜多山組などものの五分で潰されただろう。相手はそういう巨大組織であり、そこと仲立ちしてやったのだから文句もあろうはずがない。俺に惚れ込んだ喜多山はどうしても連絡先を交換してくれと言って粘った。携帯の番号を記した名刺を差し出すと、横からそれを取り上げたのは明美さんだった。
「またゆっくり寄ってね」
 話が終わると明美さんはそう言って電話を切った。
 こうして商売を任されて田中がやり始めたのが『オートショップイチロー』だ。もともと組内でそろばん勘定だけはできる男であり、だからこそ金庫番を任されていたのである。国産高級車から外車を扱い、二束三文で買い叩いては高額で売りつける。ただし最寄りの工場と連携し、整備を含めたアフターサービスだけは評判は良かった。中古車販売のネット評価でも、星3・5でまずまずである。これもネットの恩恵といっていいだろう。星の評価はほとんど組員が自作自演で投票したものだった。ところがこうした評判は瞬く間に広がって客はついた。今や店は喜多山組のフロント企業として立派に役割を果たしている。そうは言っても、社長の田中は行くたびに薄茶のくたびれた作業着上下で出てきて、まるでうだつが上がらない。儲けてるんだから、もうちょっとマシな恰好をしろとからかうと、ウチは客筋が悪いと言って憚らない。
「俺のことか?」
「いえいえ、めっそうもない」
 田中は毎度のように手を顔の前でひらひらさせて言う。こんな会話がいつしか予定調和になっていた。この男が下を俯きながらこうするときは、だいたい嘘をついている。今回はその上でのマジックペン修正だ。日々喜多山組の取り立てが厳しい中、「なんてことするんですか!」と言わんばかりに涙目となったのがその証拠だ。
 一週間前のそんな様子を思い出しながら、一人笑みを浮かべて車を走らせた。
 今日は助手席には誰も乗っていない。これが本来は普通なのだが、じつを言うと俺は、とある事件で大失態を犯し、期限付きで同僚の女性警官と行動をともにするよう上司から命令を受けている。いわゆるお目付け役というやつだ。朝迎えに来て、仕事が終わると家まで送られる。これがまた若くてとんでもなく優秀なのだが、今日は日曜出勤なのでそれもない。監視があるのとないのとでは大違いだ。事件での失態は今も重く引きずっているが、それも少しずつは回復している。
 車は快調だ。わずか900CCのターボチャージャー付だが、エンジンは今日も機嫌がいい。早々に仕事場に着いて二十台ほど停められる駐車場の一角に車を停めた。車から降りて代わり映えのしない庁舎に目をやる。鉄筋五階建ての庁舎。出入り口にはプラスチック製の看板で〈堀北(ほりきた)警察署〉の文字が見えた。
 さて、戦闘開始だ――。

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