第19回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み 虐待鑑定 ~秘密基地の亡霊~

『虐待鑑定 ~秘密基地の亡霊~』

高野ゆう(たかの・ゆう)40歳
1979年、北海道函館市生まれ。
映画制作スタッフを経て、テレビ・イベントの企画構成を手掛ける。


 序章

 行くな、引き返せ──。
 いくら言い聞かせても脚は勝手に歩き続ける。
「テン! 帰りに寄ればいいんじゃねえの?」
 背後をついてくるハルが面倒そうに引き止める。
 獣道のように細い茂みの道。
「お兄ちゃん、また先生に怒られるよ!」
 マユがランドセルを引っ張る。
 なぜ、あの時、二人の言う通り、通学路に戻らなかったんだろう──。
 前日に秘密基地が荒らされていた。その怒りと不安が一夜明けても収まらず、登校中、秘密基地に立ち寄るというイレギュラーな行動を促した。
 秘密基地は林の中。木々に板を打ちつけて作ってある。林道から丸見えだが、普段誰も通らないので一応、秘密基地の体裁を守っていた。
 そこへ誰かが侵入した。持ち込んでいた漫画雑誌が動かされ、プラモデルが棚から落ちていた。風で落ちることはないから、誰かが踏み入ったのだ。神聖なホームを汚された気がした。
 秘密基地を一緒に作っている同級生のハルと妹のマユも犯人に怒っていた。しかし、さすがに遅刻のリスクを冒すことは避けたいようだ。
「大丈夫。ちょっと見るだけだから」
 気休めを言う。
 実際、林道を抜けて学校に行くことは可能だったし、下校時は林道を通り、秘密基地で遊んでから帰っていた。
「動物かもしれないぞ。熊とか」
 ハルが欠伸をこらえながら言った。
 両脇の茂みは小学生の背丈より高く、突然、熊が飛び出して来てもおかしくない雰囲気だ。でも、ヒグマが出るのは、もっと山に入ったところだ。この辺りに出没したなんて聞いたことがない。
「熊なんているかよ。人間だ。学校の奴だったら……秘密基地がバレたのかも」
 緊急事態だと言い聞かせ、恐怖を打ち消す。
 後ろの二人はブツブツ言い続けたが、基地が近づくにつれ、黙り込んだ。緊張しているのか、呆れているか。
 茂みの細道が直角に折れる。ここを曲がれば、基地だ。
 ガサガサ──茂みの擦れる音。全身に鳥肌が立った。何かがすぐ前方にいる。秘密基地の中で動いている。
 隣でハルも立ち止まった。顔を見なくても怖がっているのが伝わってきた。
 見えたのは──老いた女。
 基地の板切れや漫画雑誌を踏み台にし、頭上の木の枝に手を伸ばしている。掴んでいるのは、枝にくくられたロープだった。
 首吊り──。老婆はロープの輪に頭を入れようとしている最中だった。
 マユがしがみついてきた。
 その音で老婆がこちらに気づいた。白髪の隙間から覗く眼は暗く濁っている。
「あっちに行け!」
 ハルが叫んだ。
 老婆は身をひるがえし、茂みの向こうに消えた。
 しばしの沈黙の後、何とか声をひねり出す。
「あれ……首吊り婆か?」
 数日前から学校で噂になっていた。首を吊る場所を探す老婆が出没している。口裂け女や人面犬と同じような怪談話だと取り合わなかったが、大人の目撃者も出たことで、現実味を増していた。
「……お兄ちゃん、聞こえる」
 しがみつくマユの手が力んだ。
 耳を澄ますと、草の擦れる音がかすかにする。距離感は掴めない。
「お前、聞こえる?」
 と、ハルに振り向いた刹那──茂みから老婆が飛び出してきた。
 咄嗟にマユを背中に隠す。
 老婆が向かったのはハルだった。そのままハルを押し倒し、馬乗りで首を絞め始めた。
「かはっ……!」
 ハルは呻くことしかできない。
 助けないと。
 しかし、身体が動かない。まるで神経が全て死んだかのようだ。
「お兄ちゃん!」
 マユが泣き叫ぶ。
「……やめろ」やっと声が出せた。「やめろ!」
 老婆に体当たりをする。想像よりも軽かった。倒れた老婆から咳き込むハルを引き離す。顔を上げると、老婆の姿はすでに消え、茂みを走り去る音が小さくなっていった。
 
 まだやり直せる。今ならまだ──。
 六年二組の教室はお祭り状態だった。噂の首吊り婆にクラスメイトが遭遇し、殺されそうになったのだ。老婆の力は弱かったようで、ハルは保健室で手当てされるとすぐ元気になった。興味津々のクラスメイトに武勇伝を語っている。
 ダメだ。このままじゃ──。
 放課後になり、例によって一人教室に残っている。
 もう嫌だ。あの道を通りたくない──。
 しかし、足は林道に向かう。秘密基地に向かう。首吊り婆はまだ捕まっていない。恐怖に潰されそうだ。それでも胸騒ぎに急かされるように基地へと急ぐ。
 ハル──なぜ、あそこに行ったんだ? なぜ、俺を待たなかった?
 秘密基地に着く。またあれを見ることになる。首吊り婆が残したロープ。そこにハルの死体がぶら下がっていた。

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