第19回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み 死神の二律背反

「とにかく、こっちは貴方に危害を加える意図はないから。自分のためだと思って、今は言う通りにして。ここで中途半端に何かを言ったところで、余計、混乱するだけだから」
 まるで、駄々っ子を冷たく突き放すような物言い。少女は腕を組み、やや憤慨したように唇を尖らせる。態度はともかく、返答、それ自体には誠実さめいたものも垣間見える。
 だが現状、その言葉を真に受けるわけにはいかない。危害を加えるつもりはないと相手はのたまうものの、それでは先の一件と整合性が取れない。身体に異常こそないものの、危害というなら、とうに加えられているのだから。
「余計、混乱する? こっちはもう十分すぎるくらいに混乱してる。俺には連絡を――状況を確認したい奴だっているんだ。で、お前の要件は? 俺に用があるなら、その旨を答えろ。返答次第じゃ――」
「……返答次第じゃ?」
「ここでお別れだ。元から、お前に従う謂れもないしな」
 先程のお返しとばかり、辛辣な言葉を投げつけてやる。同時に意識的に鋭い視線をぶつけると、気丈にも少女は、無言のまま真っ向からそれを受け止めた。想定だにしない相手の反応。やや戸惑うも、ここで怯むわけにはいかない。ここが勝負どころと、俺はさらに目元にぐぐと力を込めて相対する。
 そうして、しばし。
 一念、岩をも通したか。少女は根負けしたように目を逸らすと、「ああ、もうメンドくさいなぁ……」と唇の端を歪めて吐き捨てる。そのまま俯き、何度か首を横に振った後――再度、真っ直ぐに俺の姿を捉えた。
「さっきも言ったように、貴方はもう死んでるの。だから、もう帰る場所も無い。少なくとも、元いた場所には戻れない」
「死んでるって……。いや、どう見たって生きてるだろ? さっきもンナこと言ってたが、俺を担ごうとしてるのか?」
 その場で大げさに身振り手振り、俺は出来うる限りの全力で「生きている」アピールを試みる。肩をぐるぐると回してみたり、調子を確かめるよう、太腿を軽く拳の裏で叩いてみたり。挙句にはその場で二、三度、垂直に跳躍してみせたりもして。
 そんな様子を見るにつけ、最早直視に耐えないとばかり、少女は盛大に頭を抱え込む。言外に「貴方、馬鹿なの?」とでも匂わすよう、またしても頭を振りながら。
 人を虚仮にするような態度に、俺の中でにわかに怒りがぶりかえす。
 が、それが確かな形となって奔出するより先、噛んで含めるような声が場にもたらされた。
「種も仕掛けもない、って言ったのに……。いい? さっきので信じられないなら、車に飛び込んでみてもいい。高いビルの屋上から飛び降りてみてもいい。そこらの電信柱に登って、高圧電線でビリリとやられてみたっていい。でも、さっき言った事実は変わらないから」
 ほんとうに、どうしようもなく――。
 少女が最後に付け足したその台詞が、やけに真に迫って聞こえた。荒唐無稽にしか思えない話が、はからずも、心のどこかにストンと着地する。言いながら、少女が俺から逸らした目線、その中に言いようのない翳りの気配を感じて。
 自分でも言い得ぬ感覚に、胸の中で涌いた怒りがたちまち消失していく。
 そのまま呆けたようにその場に佇んで、しばし。
 こちらの間隙をつくよう、「あ、そうだ」と、珍しくも明るい声音が耳に飛び込んでくる。それを訝しげに見ていれば、相手は出し抜けに俺のスーツの裾をぐいと引っ張ってきた。さして強い力でもなかったが、咄嗟のことに抵抗は叶わず。そのまま少女に牽引される形、俺はたたらを踏みながらよろよろと数歩ほど前進して、それから。
「何だってんだ、いったい……?」
 いまだ意図のわからぬ相手の行動にほとほと辟易し、思わず愚痴をこぼす。見れば、今の数歩で小路は終わり、大通りへと差し掛かっていた。
 近くに競馬場でもあるのか。手持ちの競馬新聞をくしゃくしゃにした、どこか殺気だった一団が目の前を抜けていく。と、セットアップジャージに身をやつしつつも、仄かに夜の匂いを纏わせた女とぶつかりかけて盛大な舌打ちを喰らう。さらにそのまま立ち止まっていると、遠くから拡声器の大音声が徐々に近づいてきた。どうやら選挙活動のようだ。奇天烈な公約を掲げながら、無所属とされる議員候補の選挙カーが、二車線の道をゆっくりと通り過ぎていった。
 往来の最中、俺は状況も忘れて、ほっと息を吐く。やや濃度が濃い気がしたものの、名も無き雑踏の中にやっと日常を見れた気がして。けれど、そう考えるのはまだ早計だったらしい。
「影に注目」
 いつの間にか隣にと立っていた少女が、端的な指示を出す。俺は「は、影?」と戸惑いながらも、言われたままに周囲の影を目で追ってみた。いま、陽は西の空に。通り過ぎる人、車、自転車、頭上を掠めた鳥、車道を挟んで向かい側、よくあるブラックボードを店先に掲げたレトロな喫茶店の入ったビルにも、等しく影が落ちている。当たり前だ。あらためて確認するでもなく、そこに何の変哲も見られない。見られるはずがない。
「で、今度は自分の足元」
 ひとしきり辺りを見回す俺に、頃合で再び、少女がきびきびと指示を出す。意図が不明瞭なのは、今に始まったことではない。余計な問答を挟まず、素直に俺は真下へと目を向けてみた。やはり、何もない。あるのは規則正しく並べられた、クリーム色の敷石くらいだ。それ以外は、何もない――?
「……あ、れ……?」
 一拍ほどぽかんとした間を空けたあと、俺は小さく呟く。そこに、何か目を惹くものがあったわけではない。むしろ、「ない」ことが問題なのだ。そう――そこにあって然るべき、俺の影法師がどこにも見当たらない。至近にあるのは細身の電灯や、痩せた街路樹くらいのものだ。夕陽を丸ごと遮るものなど、どこにも存在しないというのに。
「これで、少しは信憑性が出たでしょ? 私が言ってきたことに」

つづく

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