第19回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み 死神の二律背反

 第一話 死神のシェアハウス

 けばけばしい色調の玄関マットを越え、内枠に金色の装飾があしらわれたドアを抜ける。すぐさま視界に飛び込むのは、やけに幅員の狭い通路だ。先の室内はそれなりに豪奢な印象も窺えたが、それとは対照的、この場所はやけに薄汚れている。いっそ、うらぶれている、と言った方がよりしっくりくるほどだ。足元には、割れや欠けの目立つタイル。漆喰の壁には当たり前の顔をして、年季の入った大小のシミが居座っている。照明は落ち、ここもまた薄暗いとはいえ、お世辞にも綺麗とは言い難い風情だ。
 先ほど、少女にいきなり死の宣告めいたものをされた、その後。
 彼女は、「とにかく、ついてきて」と俺を促すと、颯爽と身を翻した。そんな少女の後を追う形、俺はあの部屋を抜け出していた。依然、あらゆる不可解が、牡丹雪のように重く纏わりついたままで。
 そんなこんな、しきりに辺りを窺い、俺はせめてもの情報収集に勤しむ。対し、先を行く少女は黙々と先へ先へと進んでいく。どうやら、通路の先にあるわずかな灯りを目指しているようだ。まるで正の走光性を持つ虫にでもなったような心地、俺もまた、その頼りない光を目指して歩みを進める。
 やがて猫の額ほどの踊り場が見え、少女は当然のごとく階段を下りて行く。一定の間隔を維持して付いて行くと、やがて階下に。似たような通路の先、派手な電飾の看板が否応無く目に飛び込んでくる。美魔女カフェ。先のピンクチラシに、図らずも答え合わせが出来たような気持ちになるも、現状打破の一助にはまるでならない。さらに下へと行く少女に付き従い、陰気臭い急勾配の階段を足元に気を払いながら下りて行く。
 そのままもう1フロアを下りると、滞留する空気にわずかに変化を感じた。少女の背中ごしに先を覗えば、通路の前方から朱色の光が漏れている。どうやら、この建物の出口があるらしい。と、そう思った矢先、長方形のドア枠に不意に影が落ちた。
 出口の辺り、間もなく姿を現したのはよれよれの作業着に身をやつした初老の男だった。目前に向かい来る少女に気がつくや、「おぉ?」と不躾なまでにねっとりとした視線を注いでくる。が、件の少女は、なんら男に構う風はなかった。珍しげに立ち止まった男の脇を、柳めいてするりと抜けていく。
 続き、俺も彼女の後を追う。その最中、ふと男の方をちらりと見ると、やけに下卑た表情でこちらを覗っていることに気づく。大方、俺と少女との関係にあらぬ想像を逞しくしているのだろう。
 ともかくこの状況に追い込まれて、少女以外にはじめて出会う人物だ。同時に俺は、少女と男、どちらにより信を置けるものかと考える。だが、熟考の価値も無く黒髪の少女に軍配が上がった。寄る辺ない状況とはいえ、男の風体や態度なりから、頼れるだけの信望はそこに見当たらず。通り過ぎた際にぷぅんと感じた酒臭さからも、俺はそんな思いを確かにする。
 ひとしきりそんなことを勘案しながら、俺は建物を抜けていく。外に出た途端、橙色の眩しい光が、薄暗さに慣れた目に射し込んでくる。やがて薄目を開けたその先、逆光に溶け入るような少女の姿が映った。風に乱れる髪を手で押さえながら、チラとこちらを振り返っている。おそらく、俺が付いて来ているか確認したのだろう。こちらの姿を一瞥するなり、そのまま声をかけるでもなく歩き出してしまった。
 俺は選択に失敗しただろうか。究極の二択だったとはいえ、あまりに素っ気無い態度に、我が決断を再度疑いたくなる。が、すでに賽は投げられた後だ。俺はほんの少し肩をすくめると、いましばらく、あの頼りない道標を辿ることにした。
 道すがら、いましがた出た建物を振り返る。脇にぽかりと開いた暗渠めいた入り口に、その上には何ともいかがわしい部類の看板がでんと居座っている。さらに、俺がいたと思しき上階にと目をやるが、そこに見えたのは横長の窓と、締め切られたカーテンだけ。テナント募集の貼り紙さえない。結果、外観からわかったのは、あの建物がいわゆる雑居ビルと呼ばれる類のものであることぐらいだった。
 後ろを気にしながら歩いていると、いつのまにか、件の少女と距離が開いていたことに気づく。俺は歩調を早め、黒髪なびく後ろ姿を追う。辺りは、あまり人気のない入り組んだ小路が続いていた。雑居ビル内の気配を引き継ぐように、どこかしら陰気な雰囲気が漂っている。ここは繁華街の片隅なのだろうか。時折、風俗店らしきが散見できるものの、ピーク時にはまだ少し早いのかもしれない。目に止まるのは、店員らしきが気だるそうに立て看板を表に設置するくらいのものだ。目立った人の動きといえばそれ位、界隈は奇妙な静謐さを保っている。
 それにしても、ここは何処なのか。見覚えのない街並みに異邦人めいた心地を味わいながら、俺は唯一といっていい寄る辺に縋ることにした。それが藁に縋るのにも等しい行為と、薄々は感じ取りながらも。
「おい、あの場所はなんだったんだ? どうして、俺はあそこにいた? で、そのことに、お前はどう関わってる?」
 先を行く少女の背中と距離を詰めると、俺はやや強い語気にて畳みかける。それに、少女はぴくんとわずかに肩を震わせた後、おもむろに口を開いた。
「そういうのは後で説明するから。今は、黙ってついてきて」 
 にべもない、とはこのことか。まっすぐに前を向いたまま語る少女は、やはり具体的な情報をもたらすことを良しとはせず。だが、これが何の駆け引きにしろ、ギブアンドテイクが原則だ。こちらはこれ以上、唯々諾々と従うわけにはいかない。
「さすがに、それはないだろう? せめて、もう少し説明してくれ。こっちは、本当に何が何だか……」
 続け、強い口調で言い縋る。が、何処かに無意識の心細さが干渉したのだろうか。言葉尻に向け、語勢は知らず衰えていく。
 そこまで来てやっと、少しはこちらの窮状を慮ったか。
 少女は「ふぅ」と一つ大きな溜息を。その場で足を止めると、くるりとこちらに向き直った。

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