第19回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み 砂中遺物

『砂中遺物』

龜野仁(かめの・じん)47歳
1973年生まれ。会社役員。


プロローグ

 一二月 東京

 師走も終盤を迎え、かつての黄金時代ほどではないもののそれなりの賑わいを見せる〈サラリーマンの聖地〉は、今年最後の飲み会に向かう人々でごった返していた。冬物のコートやダウンジャケットで着膨れをしたその誰もが、不安を押し殺す事だけが目的の、空虚でどこか必死な笑い声を上げている。この十年近くですっかりこの地に定着してしまった笑い方だ。
 佐野由佳は広場の端に展示されたC11292蒸気機関車の前に立ち、行き交う人々が寒さに強張った口元から不織布のマスク越しに吐き出す白く凍った息を見ていた。果たして終わる時が来るのか心配になるほど長かった夏がようやく姿を消し去ったと思うと、とたんに頭痛を起こすほどの寒さが襲ってきた。どうやらこの列島は四季から秋を捨てる事に決めたらしい。
 陽が落ちてからの時間が過ぎるにつれ、気温が更に下がってきた。じっと立っている身体を徐々に包み始める冷気。体温を足元からゆっくりと吸い取っていく底冷えしたアスファルト。由佳は軽く足踏みをしながら、目から下を覆うマスクの位置を直した。
 電飾が施されたC11292の前に観光客らしい家族連れが駆け寄ってくると、スマートフォンと自撮り棒を駆使して大騒ぎしながら写真を撮り始める。明らかに内地人だが、巻き舌を多用した方言はどこのものか判然としない。皆色白で、男性の体格が良いところを見ると大連あたりの東北人だろうか。何しろ東北の訛りはきつすぎて、標準語である普通話を話しても南方の出身者とは満足な意思疎通が出来ない。
 由佳は再びマスクの位置を直し──警戒した時の癖だ──観光客たちのスマートフォンカメラから顔を背けると、逃げるようにSLの前からそのすぐ横にある大型ビジョンの脇に移動する。観光客たちは、長い髪を後ろにまとめたその長身の女性が気を遣って自分たちのフレームから退いてくれたと思っただろうが、実際のところ由佳にとってそんな観光客の写真など知った事ではない。自分がこの時間ここにいたという証拠が写真で残ると、困るのは由佳自身なのだ。

 由佳の周囲で同じように立っている人々はそれぞれの待ち合わせ相手と落ち合い、次々に入れ替わっていく。
 あまり早く来ないよう、そしてあまり長時間同じところにいないようチームリーダーから言われてはいたものの、初めての〈ミッション〉に緊張し、じっとしていられなかった由佳は、結局待ち合わせ時間の三十分前には到着し、ボンバージャケットにブラックジーンズ、そしてスニーカーという軽装で、爪先を冷やさない為の運動も兼ねて軽く足踏みをしていたのだ。
 広場の反対側、高架線に入線する山手線の車体が見える。チームリーダーの樋本保雄がそろそろこの時間に新橋駅に到着するはずだった。あれに乗っているのではないだろうか。由佳は、高まってくる緊張に胃の底が少し引き攣るのを感じながら、新橋駅の日比谷口を凝視していた。
 樋本は本当に先ほどの山手線に乗っていたらしく、数分後にその長身が姿を現す。黒いレザージャケットに焦げ茶のコットンパンツ。周囲に比べてやや薄着に見えるが、防寒よりも機動性を重視し、街中で目立たない格好となるとどうしてもこうなる。
 由佳も樋本に向かって歩き出し、二人は広場の中央で出会って立ち止まった。樋本は何も言わず、付いて来いと言うように頭を軽く傾け、身体を翻すと外堀通りに向かい歩き始める。ボンバージャケットに両手を突っ込んだ由佳は、何も言わず後に続いた。
 二人は無言のまま、銀座方面に抜ける高架下をくぐった。
「緊張しているか」
 銀座八丁目に入り、笑っているのか喚いているのか判別のつかないサラリーマンの群れとすれ違ってから初めて樋本が口を開く。言いながら由佳の方を振り向くと、由佳は黙って首を横に振り、肩を竦めた。いつもは相手の眉間に突き刺さるような視線を放出している樋本の目に、一瞬だけ優し気な光がよぎる。やや強面のきつい顔も、少しだけ緩んだ。かぶりを振った由佳がその実、樋本の顔も真っ直ぐに見られないほど緊張しているのを看破したのだ。
「リハーサル通り進める事だけに注力しろ。計画は完璧だ。うまくいく」
 修業時代に努力して身に付けた、目の前にいる相手にしか届かない特殊な話法で樋本は由佳にそう言うと、外堀通りの信号が青に変わるのを待った。
外堀通りを渡る。このあたりからは、法的に線引きはされていないものの、フレンチ・コンセッションと呼ばれるエリアとなる。二つ目の角を左に曲がると早速、大柄なフランス人兵士が二人、通りの向こうから歩いてくるのが見えた。兵士がこれ見よがしに身体の正面で抱えているのは、近未来的なフォルムを持つPDW(パーソナル・ディフェンス・ウェポン)、FN P90だった。銃本体の全長は263mmだが、サプレッサーを装着すると500mmほどになる。刺さっているマガジンは、5.7mm弾を五十発装弾するタイプ。この種の弾丸は拳銃弾より大威力で近距離での貫通力には優れるが、目標に命中後はすぐにエネルギーを失う為、二時被害を及ぼしにくいとされている。銃自体の特徴的な外観は、何百年も前に行われた刀狩の伝統を未だに引きずるこの島の人間にとって奇異に映りこそすれ、脅威は与えない。旧東京都に派遣される国連緊急軍の武装としては最適といえる。
 兵士たちをやり過ごした樋本と由佳は歩く速度を少し早め、ワイヤレスイヤフォンマイクを片耳に突っ込むと各々のスマートフォンを操作してグループ通話アプリを起動した。
「Test」樋口が通話チェックをする。骨伝導タイプのイヤフォンマイクなので小声での通話が可能で、周囲の風や騒音による妨害も受けない。
『RM、良好』
『TP、良好』
 ラジオマンとトランスポーターからすぐに返答があった。〈現場〉で樋本たちのターゲット、つまり拉致対象者のすぐ横にいるポイントマンからの返答は当然ながら、無い。

ページ: 1 2 3