第22回『このミス』大賞 最終選考選評
大森望
まれに見る激闘を制したのは、魅力的な謎に正面から挑んだ古代エジプトミステリー
もう二十二回目だというのにいまさら……って感じですが、今回に限っては、最終候補の六作が決まってから選考会当日まで、どの作品を大賞に推すべきか、迷いに迷った。候補作はそれぞれ一長一短、選ぶべき理由も落とすべき理由もある。作品が持つさまざまな特徴の中で、新しさをとるか、売りやすさをとるか、インパクトをとるか、リーダビリティをとるか、一般性をとるか、珍しさをとるか。重視すべきはトリックかプロットかキャラクターかロジックか。ああでもないこうでもないとさんざん悩んだ挙げ句、最終的に『このミステリーがすごい!』大賞の原点に立ち返ることにした。すなわち、「このミステリーがすごい!」と自信を持って言える作品はどれか?
その結果(自分の中で)浮上したのが、大賞受賞作となった白川尚史『ミイラの仮面と欠けのある心臓』だった。日本人も現代人もひとりも出てこない、古代エジプトを舞台にした歴史小説であると同時に、(ありえないことが起こるという意味で)一種の異世界ファンタジーでもある。その時点ですでに、万人向けのミステリーとは呼べないかもしれない。しかしこの作品は、死者が甦る世界でなければ書けない魅惑的な謎に正面から挑んでいる。
主人公は、死んでミイラにされたにもかかわらず、心臓の一部に欠落があるため冥界の審判を受けられず、地上に舞い戻った神官書記セティ。冥界に赴く(=めでたく成仏する)ためには、欠けた心臓を三日のうちにとり戻さなければならない。遺体が損傷していたのか、セティのミイラの下半身は木製の義肢と義体に変わっているが、なぜかその体でふつうに歩いたりしゃべったりできる――というのがこの小説のミソ。「おまえ、死んだはずじゃ?」と会う人ごとに驚かれながら、自分が死んだ事件の捜査を進める、活動的な〝ミイラ男〟(本物)。やがてセティの前に、もうひとつのもっと大きな謎が浮上する。棺に収められた先王のミイラが、葬送の儀のさなか、ピラミッドの玄室から忽然と消失し、外の大神殿で発見されたのである。この奇跡は、唯一神アテン以外の信仰を禁じた先王が葬送の儀を否定した事実を物語るのか? タイムリミットが刻々と迫るなか、セティはエジプトを救うため、この遺体消失事件に挑むことになる。
……というふうに要約すれば王道の特殊設定ミステリーに見えるが、なにしろ舞台が古代エジプトなので、ミステリー用語は使えない。神話的な世界観と物理的なトリックをいかに両立させるかが作者の腕の見せ所になる。正直、導入はすんなり読者を引き込めているとは言いがたいし、メインの謎解きについては不満が残る。しかし、これだけ野心的な設定を用意して、壮大な物語をきちんと着地させた点は高く評価できる。しかも、特筆すべきことに、読後感がたいへん爽やかなのである。いろいろ考え合わせると、マイナスポイントを差し引いても、このミステリーはたしかにすごい。と見解が一致して、意外とすんなりこれが大賞受賞作に決まった。
文庫グランプリに選ばれた二本に関しても、面白さだけで言えば大賞受賞作と遜色ない。
海底明『箱庭の小さき賢人たち』は、架空の商科大学を舞台に、学内だけで通用するポイント稼ぎに熱中する主人公(ポイントが足りないと卒業できないという事情がある)を描く仮想経済小説というかギャンブル小説。他人からの評価を可視化するアイデアには前例があるが(「ブラックミラー」シーズン3の『ランク社会』とか、コリー・ドクトロウ『マジックキングダムで落ちぶれて』とか)、それをコンゲームのネタに使っているところがうまい。ミステリー度は低めながら、エンターテインメントとしてはたいへんよくできている。
遠藤遺書『溺れる星くず』は、大阪を拠点に活動する三人組の地下アイドルを主役に据えたノンストップ・サスペンス。所属事務所の社長を殺して山に埋めた彼女たちを襲う危機また危機! いきなりこんなところから語り始めて、結末はどうするつもり? と心配しながら読んでいるうちにその心配を忘れてしまうくらいの加速っぷりと、テンポのいい女の子たちの大阪弁のやりとりがすばらしく、あっという間に読み終えた。この先のことを考えると、いいのかそれで――という気がしなくもないが、このドライブ感は貴重。ただし、地下アイドルのリアリティはもう少し補強したほうがいいかもしれない。
惜しくも選に漏れた他の三作も、それぞれ推しポイントがあって、埋もれさせるには惜しい。
長瀬遼『あなたの事件、高く売ります。』は、意表をつくストーリー展開が最大の特徴。沖縄の信用金庫を襲撃して立てこもった若い女性の四人組が日本政府に十億の身代金を要求する。劇場型犯罪をフィーチャーしたサスペンスかと思いきや、本番はそこから先。思いがけない方向にジャンプした小説は、まさかの結末を迎える。最後の最後の大オチがやや滑った感じなのが惜しかった。しかしまあ、この点はわりあい簡単に修正できるのでは。
新藤元気『龍と熊の捜査線』は、神奈川県警刑事部特殊班捜査係に所属する〝僕〟こと熊谷(身長一八五センチの弱気な巨漢)が、〝科捜研のリトル・ドラゴン〟の異名をとる、小柄で気の強い科捜研の女性職員・久龍とタッグを組んで捜査する警察小説。キャラはやや類型的に見えるものの、科捜研物理係の捜査のディテールがリアルに描かれ、テンポよく読ませる。すぐにもシリーズ化やドラマ化が想像できそうなところが長所でもあり短所でもあるが、即戦力として期待できる。じゅうぶん商業出版可能なレベルだろう。
阿波野秀汰『空港を遊泳する怪人の話』は、東京の(羽田っぽい)国際空港で起きた奇妙な誘拐事件から始まる非常にユニークなミステリー。主人公は、事件現場となる空港のカフェでアルバイトする学生。妙な男から事件に関する情報を伝えられ、真偽を疑いながらもなんとなく気にしているうち、だんだん深く関わることに。空港のカフェという舞台設定やバイト仲間との関係が絶妙で、次の展開が読めない前半は上々の出来。惜しむらくは真相が明らかになる後半、物語が失速気味になること。しかしこれも、うまく改稿できれば可能性はありそう。
というわけで、どれが受賞してもおかしくないまれに見る激闘を制した〝ミイラ男〟(本物)こと『ミイラの仮面と欠けのある心臓』と、文庫グランプリの二作、海底明『箱庭の小さき賢人たち』、遠藤遺書『溺れる星くず』にあらためて拍手を送りたい。
香山ニ三郎
奇想天外な謎作りといい友情溢れる人間関係劇といい大賞の価値あり
今年は六本に落ち着いて一安心。いつもの通り応募番号順にいくと、海底明『箱庭の小さき賢人たち』は学内でのみ利用できる通貨が流通している大学を舞台にしたコンゲームもの。学生たちは様々な面でポイント稼ぎにしのぎを削っていたが、バイト学生の降町はほとんど稼げておらず、父親の入院もあって追い詰められていた。先輩・黒河の勧めで不正な手段でポイントを稼ぐ学生やサークルを摘発する監査ゼミに所属、まずは家庭教師サークルと見せかけその実態はキャバクラといわれる数理塾に潜入するが……。
軽妙なライトノベルタッチで展開するキャンパス・サスペンスで、のちに降町たちが立ち向かうことになる学内の三賢人などキャラも立っているし、そこで呈示されるタイムマシン設定などもユニークなのだが、個人的には通貨の流通する大学という設定からして裏に何かありそうで突っ込みを入れたくなった。せっかく個性的な人物を配しているのに、背景の世界作りが最後まで気にかかって今一つその面白さに乗り切れず。
新藤元気『龍と熊の捜査線』は警察捜査小説。神奈川県海老名市で養護施設が全焼、県警特殊捜査班の熊谷は科捜研物理係の久龍小春と調査することに。現場では行方不明の少年がおり、その少年のものと思われる自殺する旨書かれた遺書が見つかっていた。
物語は他に、その行方不明の少年をめぐるエピソードや、同じ頃、突然証券取引等監視委員会の面々にインサイダー取引違反の容疑で自宅に押し入られた製薬会社の開発部長のエピソードが並行して描かれていく。主役のコンビは川瀬七緒の法医昆虫学捜査官シリーズの二人を髣髴させる。童顔とは裏腹のヒロインの伝法な口調は面白いが、捜査の主役を張るわけでもないし、数学の天才たるくだんの少年の方が印象的だったりする。リーダブルだが、大賞候補とするには、独自性という点において今一つ推しに欠ける。
阿波野秀汰『空港を遊泳する怪人の話』は、東京空港内のカフェで働く青年、外崎快人が見知らぬ男に、空港で誘拐事件がありこの店で明日身代金の受け渡しが行われる、と話しかけられるところから始まる。誘拐されたのは国内の航空会社の社長で、犯人は男の友人だといい、拉致動画まで見せられる。快人は警察に通報すべきと主張するが、男は計画が遂行されることを望み、通報したら人質が殺されるかもしれないと脅してきた。男はそのまま立ち去る。翌日、事情を話した同僚たちと店の客をチェックしているとやがて白いリュックを持った男が来店するが、身代金の受け渡しが行われた様子はなかった……。
出だしこそ奇抜なアイデアに富んでいるが、事件が大掛かりになる割には主人公の仲間内を中心にした話作り、ありがちな因縁話にとどまってしまう感あり。「くうこうのかいじん」も今一つ怪しさに乏しく、もっとキッチュな魅力がほしかった。
白川尚史『ミイラの仮面と欠けのある心臓』は古代エジプトを舞台にした日本人が出てこない本格ミステリー。神官書記のセティは半年前、先王の葬送の儀の準備中に王墓の崩落に巻き込まれて死んだが、冥界で死の審判を受け心臓に欠けがあるので審判を受ける資格なしとされ、現世で心臓のありかを探すことに。セティの死体にはナイフが刺さっており、容疑者は元同僚のアシェリとジェドと思われた。セティは幼馴染のミイラ職人タレクに捜査の協力を求める。やがて取り押さえられた犯人はセティ暗殺の依頼人の正体を明かすが……。
古代信仰に基づく大枠の謎作りなど独自の設定、造形に最初はついていけるか不安だったが、思いのほか読みやすいしわかりやすかった。特に現世によみがえったミイラのセティがかつての仲間に何の違和感もなく受け入れられちゃうあたり、落語にも似たとぼけた味わいがあって、思わず吹き出しそうになった。一般受けするとは思えないが、奇想天外な謎作りといい、友情溢れる人間関係劇といい、大賞の価値はありと見た。
長瀬遼『あなたの事件、高く売ります。』は沖縄が舞台。桃原カリン、運天遥、喜屋武さゆり、仲吉萌奈の個性あふれる四人娘が信金を襲撃、立てこもる。彼女たちはコロナで困窮した県民を救うためと称して身代金一〇億円を要求。県知事はそれを呑み、大金が県内各所で撒布され、その様子は瞬く間に世に報じられた。義賊として称賛を浴びた四人は、あの手この手で信金からの脱出を計るが……。ご都合主義といってしまえばそれまでだが、四人の先の読めない襲撃計画がテンポよく描かれ、全篇沖縄言葉に貫かれているところも個人的には買い。今年はこれかもと思わせられたが、結末があっと驚く○○落ちで、一気に興ざめ。そこを直せば、授賞の可能性もありということで。
最後も駆け足になるが、遠藤遺書『溺れる星くず』は三人組グループの地下アイドルが災難に直面する。最古参のルイとテルマは嫌々接待仕事に駆り出され、事務所の社長兼マネージャーの羽浦と大喧嘩。いよいよグループの危機かと思われたとき、さらなるトラブルに。センターのイズミがDVを振るっていた秘密の恋人を殺してしまったのだ。一言でいえば、桐野夏生『OUT』の地下アイドル版。三人のヒロインのキャラ付けといい、紋切り型ではあるのだが、キレのある文章、ハイテンポの展開でくいくい読ませるノワールだ。
今年は大本命はなしだが、選考会には後半の三本の中から大賞が出せたらいいなというスタンスで臨んだ。案の定、票は割れたが、日本人が一人も出てこないハンデを除けばそのセンスの高さが評価された『ミイラ――』が見事大賞をゲット。筆者は今一つその面白さがわからなかったぶん瀧井さんが高い評価を与えた『箱庭――』と、その逆に瀧井さんは今二つ楽しめなかったぶん筆者と大森委員が快作評価を与えた『溺れる――』に文庫グランプリが授与されることに。受賞者は皆さん即戦力の実力の持ち主と察します。頑張って!
瀧井朝世
古代エジプトと聞いて「興味ないかも」と思った方々にもぜひ読んでほしい作品
今回の応募作は良作が多く、みなさんこの先プロになれると確信できる方ばかり。ただしどれも優れた点と同時に難点もあり、選考はかなり悩みました。
海底明さん『箱庭の小さき賢人たち』は、校内のみで使える事業ポイントが流通する大学というユニークな設定と、学生たちのポイントを稼ぐための試みのバリエーションやコンゲームっぷりが楽しかったです。システムについての説明も分かりやすく文章力もある。起承転結の「転」が生じるテンポもよくて一気読み。三賢人の一人、大学内で引き籠っている岩内天音などキャラクターが魅力的で、さまざまな人物が有機的に連なっていく過程も面白かった。発想も構築力も文章力も魅せられた一作でした。文庫ブランプリおめでとうございます。
新藤元気さん『龍と熊の捜査線』は刑事の青年と科捜研の女性のコンビが難事件に挑むという、充分楽しく読ませる話ではありますが、キャラクターが類型的でちょっと白ける部分があり、かつ、科捜研の知識よりも、終盤に重要性が増す数学にまつわるあれこれの情報のほうがインパクト大で科捜研ものとしての印象が薄まった気が。また、甥っ子が誰なのか読者はすぐに気づくのにその情報がなかなか出てこなくてもったいぶっているように感じさせるなど、謎と情報の出し方のテンポが少し惜しかった。
阿波野秀汰さん『空港を遊泳する怪人の話』も好感を持ちました。警察でも事件の関係者でもない空港のカフェバイトの青年が誘拐事件の謎に迫っていく設定が新鮮。しかもこの方、文章も書けているし、場面転換がむちゃくちゃ上手い。ただ、怪人の存在が中途半端であることと、身近なところに事件関係者がわらわら出てくる後半はある程度予測できてしまい、それが悪いわけではないけれど、もうちょっと驚きが欲しかったかも。
白川尚史さん『ミイラの仮面と欠けのある心臓』は正直、最初は世界観に入っていけるか不安だったのにいつの間にかのめり込んでいました。非常に分かりやすく描写されているうえ、探偵役がミイラだったりタイムリミットがあったり不可能犯罪のほか小さな謎がちりばめられてあったり、読ませるポイントが随所に用意されている。奴隷の話も切実でした。しかもそれらが破綻なくちゃんとまとめられている。他の候補作と比べてもオリジナリティ、整合性、魔術のある世界でミステリをまとめあげた手腕を評価しました。古代エジプトと聞いて「興味ないかも…」と思った方々もぜひ読んでください。大賞受賞おめでとうございます。
長瀬遼さん『あなたの事件、高く売ります。』は前半素晴らしかった。沖縄という舞台、女性グループの強盗団、二転三転する事態。強盗団の沖縄言葉でのテンポのよい会話も活き活きしていて読ませる。そこに小説教室のエピソードがどう絡むかの興味でも読ませます。ただ、後半がとっても、とーーっても惜しかったです。もっと痛快な、納得のいく結末だったら激推ししてました。
遠藤遺書さん『溺れる星くず』は地下アイドル版『OUT』といえるサスペンスで、殺人を犯してしまったアイドルたちがその隠ぺいに走る過程で読ませるエピソードがたくさんありました。ただ地下アイドルの裏側の世界はややステレオタイプに感じるうえ、自分がアイドルに詳しくないせいか、なぜ彼女たちが突然団結したのか、なぜそこまでアイドルをやり続けたいのかは伝わりにくかった。そこは加筆すれば問題ないと思います。ということで文庫グランプリに異論はありません。
さて、入選作はもちろん入選しなかった作品も「隠し玉」として発表される可能性があるため、以下はネタバレ回避のため作品を特定せずに指摘したいことを記しておきます。
・プロローグや序章が効果的でないものがいくつかありました。いきなり生理的に嫌悪感をもよおすグロテスクな描写が続いたり、読者が世界観にすっと入っていけない導入部は、かえってそこだけ読んで本を閉じる人が出てきてしまうのでは?
・もちろん物語運びにも寄るのですが、難病を都合よく使う設定は白けます。余命わずかな人物が残される人々のために自己犠牲的な行動を起こしての事件でした、ということが終盤に明かされ突如お涙頂戴になるのはあまりにベタすぎ。かつ、あまりに独善的すぎる印象です。
・多視点の群像劇風作品で、出番が多い上に事件解決後この人どうなっちゃうのと思わせる視点人物がフェイドアウトして後日譚が分からないのは消化不良感を残します。
・明らかにシリーズ化を狙っている作品で、未回収の謎があったり、余分と思われる脇役やエピソードが盛り込まれていると、その思わせっぷりがひっかかるうえ、「この方、一作だけで物語を完成させる力はあるのかな」と疑問を持ちます。絶対やるなとは言いませんが、まずは投稿作だけで読者を満足させることを目指してくれると嬉しいです。