第15回『このミス』大賞 1次通過作品立読み 『縁見屋の娘』

『縁見屋の娘』

三好昌子(みよし・まさこ)57歳
1958年生まれ。主婦。


其の一 
 子供の頃、お輪はよく夢を見た。夜空が赤い。京の町が炎を上げて燃えているのだ。炎は町ばかりか、天空の星々や月まで燃やし尽くしてしまいそうだった。
 お輪は川の西側にいた。多分、堀川なのだろう。腕に幼児を抱いている。お輪は大人の女で、恐ろしさよりも子が無事でいることに、ただ安堵していた。
 その後、何があったのか。気がつけば子供はいなくなり、深い悲しみだけが、お輪の胸一杯に広がっていた。そこでお輪は目覚め、母親の志麻の胸にしがみついて大泣きしたものだ。確か、五歳か六歳の頃だったろうか。
 京都はかつて大火に見舞われたことがある。宝永五年(一七〇八年)の三月の大火事は、今でも人々の間で語り継がれていた。昼頃、油小路通り姉小路下ルの銭屋から出火し、風に煽られた勢いで、翌日未明まで燃え続けたと言う。  
 この大火は、北は今出川通り、南は四条通り、東は鴨川、西は堀川までの一帯を焼き払った。被害は禁裏にまで及んでいる。
 投火にしろ失火にせよ、洛中に火事は多々あったが、これほどの大火災は、治承元年(一一七七年)の四月に起こった「太郎(たろう)焼亡(しょうもう)」以来であった。
 「太郎」とは、愛宕山(あたごやま)に棲む天狗の頭領、「愛宕山太郎坊」のことである。火事は、愛宕山の天狗が起こしたものだ、と、洛中の陰陽師や占術師等が触れ回ったことから、そう呼ばれるようになった。
 宝永の大火の折も、西陣を中心に京の北方を焼いた享保十五年(一七三〇年)の「西陣焼け」の折も、そのような噂は流れてはいない。
 考えてみれば、愛宕山の山頂にある愛宕神社には、火の神「迦倶槌命」や、天狗とも言われる愛宕権現が祀られていた。天狗は火事を起こすと言うよりは、むしろ火防ぎの神として信仰されている。「太郎焼亡」の流説は、明らかに占い師等が広めた話なのだろう。
 当時のお輪は、火事に遭ったことも見たこともなかった。それなのに、火の中を逃げまどう夢を見る。周囲の者は不思議がったが、きっと大人たちの昔話でも聞いたのだろう、と言うことで落ち着いた。
 実際、十歳になる頃には、火事の夢はほとんど見なくなっていた。
 それでも、時々お輪は不安になる。夢の中で、お輪は幼児をしっかりと胸に抱きしめていた。お輪の年齢は二十歳くらいだったろうか。
 (あれが、いずれうちの身に起こることやとしたら?)
 自分が所帯を持ち、子を産んだ後に起こる出来事だとしたら……。都の大半を燃やす大火で生き延びても、子を失うのだとしたら……。
 考えるのも恐ろしく、お輪は、そんな日が来ないことをただ祈るしかなかった。

 その日の夕刻、お輪は埃っぽい道に打ち水をしていた。天明七年(一七七九年)の八月半ばの頃だった。昼間の暑さは相変わらずだが、朝晩は幾分過ごしやすくなっていた。
 あれほど煩かった蝉の声も、いつしか聞こえなくなっている。
 ここしばらく、雨はほとんど降ってはいない。八年ほど前から、冷夏や旱魃が続き、飢饉による打ち壊しが、各地で起こっていた。今年の五月には、伏見でも米蔵が襲われたと聞いている。
 堀川の水位も低くなり、川端にずらりと植えられた柳の緑も、熱気で色褪せていた。
 お輪の家は口入業を営んでいる。店の名を、「縁見屋」と言った。
――人と仕事を結びつけるのも、夫婦の縁を結ぶのと同じや。せやさかい、人を見る目を持たなあかん――
 それが、お輪の父、呉兵衛の口癖だった。
――正しく人を見るには、己が正しゅうないとあかんのや――
 呉兵衛はひどく信心深かった。仏も祈れば、神にも祈ると言う徹底ぶりだ。困っている人がいれば必ず助けようとした。食べ物が欲しい者には食べ物を、仕事が必要な者には、熱心に働き口を世話してやった。
 七月には京の町衆の有志が集まり、豊穣祈願の千度参りを行ったが、これにも率先して加わっている。
 「縁見屋」は堀川通りを南に下がり、東西を貫く四条通りとの角地にあった。ここで堀川の流れも二手に別れ、西へと続く四条川が、三条台村と西院村の間を流れる紙屋川へと注いでいる。

ページ: 1 2 3