第14回『このミス』大賞 1次選考通過作品 立ち読み 『飼育瓶』

『飼育瓶』

堤リュウカ(つつみ・りゅうか)27歳
現在は学生。


 ああ、最悪だ。猛暑という名をとるのにふさわしい一日に、こんな予定が入るとは……。
 昼下がり、全景から生み出される様な眼もくらむ熱と明りがまぶしい炎天下。一人の男がみずみずしい若緑の木々の合間を歩いていた。男は真夏だというのに妙に日焼けしないその手で太陽光を遮りながら、生ぬるくなり始めたペットボトルの茶をほんの少しだけ口にした。とにかく暑い、そしてもう大分歩いた、ただ目的地までにはもう少しかかるだろう。そうだ、どうせ辺りには人影もないのだから、くだらぬ偏見を受ける事も無い。日傘でもさそうではないか、それに最早(もはや)それ無しでは肌が痛みだすのを防げない……。
 やや不格好にたたまれた黒い傘を鞄から出すとすっと天に向かって掲げた。滑らかに金具が滑り、ぱっと円形の天井の枠組みの様に傘の骨が開いた。陰った髪がすっと熱の受け取りを遮断されて首筋に涼しさが形成されたのが分かった。山中を歩くというのに帽子すらも用意していない程、男は比較的軽装だった。真夏であるがゆえに当たり前だが、薄手の服にまた、小さな鞄一つでここまで来たのだ。こんな山奥に踏み入った経験もなかったから、それにふさわしい服装が分かっていなかったという事もあるのだが。それにしても呼び出しは急だった……。
 道のりは長いものだ、その間も容赦なく何処(どこ)か田舎っぽく、途方もない新緑を透過して光がいっそう照りつける。その広漠とした風景にもかかわらず、目的地はすぐに分かった。目の前にあるこの自然風景に不釣り合いに見える無機質な建物だ。それを目で確認し、男は一枚の地図の入った「ご案内の手紙」の様なものを広げた。地図によれば建物は、それこそ平たいのが群生していたが、それはまだこの位置からは肉眼では確認できなかった。しかし、中心には一際目立ったのがあったから、それをこの目で確認する事は出来た。太すぎる煙突の様な灰色のくすんだ建造物だ。その飾り付けを排した造形はどこか廃墟(はいきょ)を思わせた。だが、無論そんなに古いものではないだろう。そして、廃墟だなどというには必要以上に頑丈に見える。廃墟じゃない、しかし廃墟を装っている、そう言った印象だ。
 傘で日を遮りながらさらにゆっくりと奥に進んだ。木々が水を飲み過ぎたせいか、乾燥した土が舞っているのか、空気には妙に粉っぽいものが含まれているように感じる。むせるような思いになりながら、それでも仕方なくあの化け物まがいの建物に向かった。何の用かは定かではないが、とにかくあれに呼び出しを受けた。数日前男の元に一通の手紙が来たのだ。その内容と言うのは言ってみれば意味不明のものだったと言えるのだが、男はなぜか本意でなくともそこにいかねばならぬとそう思ったのだ。選択の余地はなかったと言えるかもしれない、手紙の内容はそれだけ男の心を拘束しうるものだった。傘からちらりとまたあの建物を覗(のぞ)くと、新しく気がついた事があった。その屋上に立って作業をしている人がポツリポツリと見えるのだ。この暑い中、作業服にヘルメットをつけて、何だか重たそうなものを運んでいる。ミニチュアみたいに小さく見えたが、そこには確かに人がいた。何をしているのだろうか?工事でもしているのか……何かを運んでは収納している様だった。男はひとまず人の影を見たことで安心した。実のところは少し不安だったのだ。何しろもう数時間ぐらいは歩いているというのにこの辺りではまだ誰とも会っていない。少しの用事と侮っていた、こんなに大変な事ならば、あんな怪しげな手紙など無視すればよかったのではないか、そう思った。
 ちらりと足元に目を移すと、比較的大きな足跡が幾らかあった。勿論(もちろん)靴の跡だ、男の足と比べると、平均的に言えば3センチはおおきい。それも複数の靴の種類がある様だった。こんな場所にこれほどの人の出入りがあるという事を不思議に思ったが、男はとにかくその足跡が山奥に消えていったのを見送り、自分は目的地に急いだのだった。
 コンクリートで覆われた円筒状の大きな建物を横目に回り道をする。なかにはどうせまた、何かの燃料か何かが入っているんだろう。それがいくつかある。ここは一体どういった場所なのだろうか……。辺りは緑がはびこっていて、それでも建物の周りに来ると手入れがされているのだろう、人工的な印象を受ける。やっと、見えてきた。もうすぐだ。

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