第14回『このミス』大賞 1次選考通過作品 立ち読み 『ネットカフェ・チルドレン』

『ネットカフェ・チルドレン』

井塚智宏(いづか・ともひろ)40歳
1974年生まれ。大阪府出身。
早稲田大学卒業。現在は不動産管理業。


第一話「サイドエフェクト」

      

 腕に針がブスリと突き立てられ、採血管が赤黒い血で満たされていく。
 ショータは何の感情も交えずにそれを見つめた。採血管がいっぱいになったのを確認して、まだハタチそこそこの愛くるしい顔をした女性看護師が、ショータの腕から採血針を引き抜く。
 さすがにホッとして、ショータは自分の右腕を眺めた。そこには無数の針の痕が残っていた。この十日間に、いったいどれだけの血を採られただろうか。 
「はい、いいですよ。これですべて終わりです。十日間、お疲れ様でした」
 看護師は笑顔でそう言うと、ショータの腕に止血バンドを巻きつけた。椅子から立ち上がりながら、ショータは軽い口調で彼女に言った。
「よかったら、この後、一緒にメシでも食わない?」
 採血管をクーラーボックスにしまっていた看護師が顔をあげる。彼女は細い首をかしげて、いたずらっぽい目つきになった。
「えー、どうしようかな」
「何か他に予定でもあるの?」
 実は……と彼女がもったいぶった口調で言う。
「合コンの約束が入ってて。相手は脳外科医のタマゴたち」
 ショータは思わず苦笑いを浮かべた。
「じゃあ、迷うことないじゃん。おれなんかとつきあってる場合じゃないだろ」
 看護師が値踏みするような目でショータを見つめる。
「でも、ショータくんって意外と大金持ちのボンボンかもしれないし」
「金持ちだったら、こんなことやってないって」
 ショータは「じゃ」と看護師に片手をあげ、検査室の出口へと向かった。部屋を出るときに振り返ると、室内ではまだ五、六人の男たちが他の看護師に採血をしてもらっていた。その誰もが疲労の色を顔ににじませている。もしかしたら自分も同じような顔をしているのかもしれない。
 病室に戻って、ベッドのかたわらに置いてあったボストンバッグを手に取り、エレベーターで一階へと降りた。受付の窓口で、自分の名前が記載された用紙と引き換えに、白い封筒を受け取る。中をあらためると、一万円札が十八枚入っていた。十日間の報酬としては悪くない。
 ショータは封筒をボストンバッグの内ポケットにしまうと、消毒薬のにおいが漂うロビーを後にした。

 ショータが治験に参加したのは、これで七回目だった。
 治験――。
 製薬会社が開発した新薬を、実際に商品として売り出す前におこなう臨床試験のことだ。
何回かの動物実験を経たあと、実際に人間に投薬してみて重篤な副作用が出ないかどうか、その安全性を確認するためにおこなわれる。
 被験者となるのは通常、ネットなどで募集されたボランティアだ。もちろんボランティアと言っても、きちんと報酬は支払われる。それもかなり高額の報酬が。
 通常の治験では、被験者は病院に一定期間入院して、投薬を受けながら、その間に採血検査を受けることになる。この採血がけっこう大変で、多い時には一日に十数回も血を取られる。だが、それ以外の時間は、病院の中であれば自由に過ごすことができる。ゲームをしたり、マンガを読んだり、ベッドでゴロゴロしたりとやりたい放題だ。それでいて牛丼屋のバイトよりはるかに高額の報酬を受け取ることができるのだから、なまけ者にとってこれほどおいしい仕事はないだろう。
 ショータは病院を出ると、射るような陽射(ひざ)しに目を細めた。すでに陽は落ちかかっているのに、まだ地面からはうだるような熱気が立ち昇っている。ずっと冷房の効いた病室にいたので、暑さに体が慣れていなかった。
 短期間に大量の血を抜かれたせいか、少しめまいがする。ショータはコンビニで買ったトマトジュースを気休めに飲みながら。最寄り駅に向かってぶらぶらと歩いた。そこから山手線に乗り、高田馬場の駅に降り立った時には、すっかりあたりは暗くなっていた。
 改札を抜けて、裏通りを歩いて行く。汗でTシャツが背中にべっとりと貼りつくのを感じながら、うす汚れた雑居ビルにたどり着いた。建物を見上げると、風俗店の派手な電飾看板がいくつも輝いている。
 ショータは小さなエレベーターでガタガタと揺られ、三階まで上がった。エレベーターを降りると、すぐそこがネットカフェの入り口になっていた。
 ここがショータの「家」だった。

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