最終選考講評


大森望(おおもり・のぞみ)

将来有望な新人弁護士探偵、登場

 『このミス』大賞も早いもので10回目。これまでに30人近い新人作家を送り出し、エンターテインメント系の公募新人賞として、それなりに定着したんじゃないでしょうか。
 というわけで、節目にふさわしい受賞作を送り出そうと、勢い込んで最終候補作を読みはじめたわけですが……。いやはや、今回はむずかしい。どれをイチ押しにするか当日まで決めきれなかったのは、10回目にして初めてのこと。どれも面白くは読めるんだけど、一長一短。結局、3本に○、1本に△、2本に×をつけて選考会に臨んだ。
 “一長一短”のうち短所のほうが目立ったのが、本格ミステリ系の2作。設定的にはいちばん好みだった2本に×をつける結果になった。
 『Sのための覚え書き かごめ荘事件のこと』は、小林泰三風の奇矯な“名探偵+助手”コンビに横溝正史風の舞台(異様な因習が残る村)を接合した本格ミステリ。導入は抜群に面白いし、窃視症の名探偵と気弱な語り手というキャラクター配置もすばらしい。問題は、肝心のミステリ部分。ある物理トリックのために風呂に入れたという塩化カルシウムが次の場面では塩化カリウムと表記され、最後は塩化ナトリウムに変わる。これではとても犯行が成り立たない(というか、そもそもそのトリックは物理的にムリです)。事件については全とっかえしないと、まともな本格ミステリにならないだろう。
 京都を舞台にした『また会えたなら、あなたの淹れた珈琲を』も、同様に、設定とキャラクターは悪くないのにミステリ部分に難がある。美少女バリスタが探偵役をつとめるラブロマンス入りの“日常の謎”連作ミステリ——という枠組みはたいへん魅力的なんですが、後半、話がどんどん深刻化するにつれ、寓話じみた設定との齟齬が大きくなる。あと、喫茶店を舞台にするなら、肝心のコーヒーおよび喫茶店経営についてはもうちょっとちゃんと書いてくれないと……。いろいろ要素が入ってるけど、すべてが中途半端です。
 場合によっては授賞もあるかも——という意味で△をつけたのが、『空と大地と陽気な死体』。乙一『夏と花火と私の死体』をあからさまに下敷きにしたタイトルが示すとおり、語り手(のひとり)は死者。というか霊体なので、だれにも見とがめられずにあちこちに侵入して事件の背景を調べられるが、生者の世界に影響を与えてはならないという死後のルールに縛られているため、肝心のことはしゃべれない。この秀逸な設定をもっとうまく使えば面白いミステリになりそうだが、陰惨な真相と登場人物の犯行動機に説得力が感じられず、”道尾秀介の少年ものの(あまり出来がよくない)亜流”というイメージを最後まで払拭できなかった。
 残る3本は、どれがとってもおかしくないと思った(だれか推す人がいれば反対しないつもりだった)作品。
 『鋼鉄の密林』は、東京タワー版『ダイ・ハード』。今回の候補作のうち文章はもっとも素人っぽく、警察・武器関係のディテールも(いまどきの冒険小説としては)どうかと思うほど甘い。しかし、シンプルな娯楽性ではこれが一番。欠陥すべてを認めたうえでなお、うまく手直しして出せば、東京タワー惜別サスペンスとしてけっこう評判になるんじゃないかと主張したが、「文章のセンスはそう簡単に修整できる欠陥ではない」という意見に反対しきれなかった。1年ぐらいかけてじっくり直してください。
 『僕がお父さんを訴えた理由』は、中学1年生の主人公が父親を裁判で訴える話。いかにも無理があるストーリーをなんとかギリギリ成立させてラストまで一気に持っていく手腕は大いに買える。オチは途中で予想がつくが、それでもクライマックスの法廷シーンは手に汗握る迫力だし、評価の分かれるサプライズも(良くも悪くも)一定の効果を上げている。なにより、こういう少年小説はいままで読んだことがない。優秀賞は順当なところでしょう。
 この小説と争い、最後に茶木委員の強力なプッシュで大賞を勝ちとったのが、福岡を舞台にした酔いどれ弁護士ハードボイルド『エンジェルズ・シェア』。いかにも私立探偵小説のパロディという雰囲気の一人称文体(やりすぎ)をどう評価するかで意見が大きく割れたが、好き嫌いは別にして、この文体が板についているのはまちがいない。ワイズクラックが滑る箇所も含め、くすくす笑いながら楽しく読むことができた。
 最大の問題は、ラストの解決シーン。主人公が饒舌なのはともかく、犯人まで犯行計画の一部始終を滔々と語るのはいかがなものか。とはいえ、この欠陥は比較的簡単に修整できるし、なによりこの主人公が活躍する話がもっと読みたいという気にさせてくる。ススキノに名無しの探偵の“俺”あれば、博多には弁護士探偵の“私”あり——と、将来言われるようになるかどうかはともかく、新人私立探偵のデビュー戦としては上々の仕上がりだ。茶木委員の熱弁にほだされてではなく、作家としての将来性を見込んで、大賞授賞に賛成した。ぜひともどんどん続きを書いてください。


香山ニ三郎

ワタクシを見返していただきたい

 今回の最終候補は6作。まず塚本和浩『鋼鉄の密林』は元鳶職の老人が6歳の孫娘と一緒にかつて建設に携わった東京タワーに遊びにいくが、テロリストの襲撃にあい、他の客ともども人質になってしまう。語りがいささか粗っぽく、アマチュアのテロリストに対する警察側の対応も無様すぎてリアリティに疑問を感じるところも散見されたが、ハリウッド映画スタイルの大活劇演出にはわくわくさせられたし、東京タワーに関わった元鳶とスカイツリーに関わった元鳶が敵味方に分かれて闘うという着想にも感心。文章の手入れも充分可能と見て、イチオシ候補とした。
 矢樹純『Sのための覚え書き かごめ荘事件のこと』は大学助教授の「私」が同僚の頼みを受け、ともに東北の山村にある縁切り寺を訪ねようとするが、「私」の故郷であるその村にはおぞましい風習があった……。横溝正史というか三津田信三的な秘境の舞台が呈示され、胡散臭い探偵役も登場、さらに事件が発生し驚愕の事実も明かされるといった具合にサプライズを畳み掛けてくる前半は素晴らしいが、後半、村の風習は炸裂せず、ありがちな謎解きものに転じてしまう。謎解きそれ自体はがっちり作り込まれているが、前半の畳み掛けが凄すぎて竜頭蛇尾の感は否めず、とても勿体ない気が。
 友井羊『僕がお父さんを訴えた理由』は愛犬を殺された中学生男子が同級生女子にけしかけられ犯人探しに乗り出すが、手を下したのが自分の父親であることが判明、彼は実父を裁判に訴えようとする。ショッキングな出だしから家庭劇へとつながっていく展開に目新しさはないけど、そこから裁判小説に転じるところがユニーク極まりない。道尾秀介調の痛い青春もの系には既視感があるし、話作りもちょっとこじんまりしているが、完成度は高く、こちらは優秀賞候補か。
 保坂晃一『エンジェルズ・シェア』は3年前のある事件で懲戒処分を受け休業中の福岡の弁護士が美熟女の依頼で夫の素行調査を引き受ける。時を同じくして3年前の被害者の夫が現れたことから、過去の事件にも再び足を突っ込む羽目になる。主人公の一人称ハードボイルド語りはこなれていて、これが初めての小説とはとても思えないが、減らず口のたたきまくりは逆効果、読み進むにつれ閉口させられた。名作ハードボイルドのパロディ仕立てとしてはよく出来ているけど、この人の実力はもう1、2作読んでから判断しても遅くはないと思い、今回の結論はスルーとした。
 田中圭介『空と大地と陽気な死体』は空と大地という幼馴染の男女の半生を追ったクライムストーリーで、小学生の空がいきなり自分の父親を殺すと宣言してその通りになったり、年の離れた空の兄も殺されてその幽霊が大地の周辺に出没したりと、奇抜というかライトノベル的なファンタジー趣向交じりのタッチが面白かった。もっともこちらも乙一や東野圭吾の既作を髣髴させるし、大地と空の周辺で起きる犯罪事件の顛末が都合よく省略されていたりする。いいかえれば、独自の魅力に溢れてはいるけど、プラス面とマイナス面がはっきりしているので、メッタ斬られる可能性もあり。いちおう推しだが、賛同を得られなければあっさり降りるかも。
 最後の岡崎琢磨『また会えたなら、あなたの淹れた珈琲を』は京都が舞台。珈琲好きの若男子がふと入った河原町の店の珈琲にひと呑み惚れ、通い始める。可愛い娘バリスタは探偵能力にも恵まれ、店で起きる不可解な出来事も解き明かしてみせる。こなれた連作スタイルの“日常の謎”もので、心地よく読ませてくれるが、エンディングは予定調和的、『Sのための覚え書き かごめ荘事件のこと』と同様、失速してしまう。この書き手もブレイク間近だろうが、今回は見送ることに。
 というわけで、一長一短はあるもののどれも楽しく読めたし、評価も下しやすかった。今回はすんなり決まるかもと油断したのがしかし大間違いで、いざフタを開けたら、各選考委員のイチオシがバラバラ、受賞作ナシなんて声も上がって、着地点が見えなくなってしまった。取りあえず受賞作は出すこととして、総合的に評価の低かった『Sのための覚え書き かごめ荘事件のこと』と『また会えたなら、あなたの淹れた珈琲を』の2作が外れたものの、残りについてはどれもプラスマイナス双方の意見がぶつかりあって決着つかず、結局プラス評価がより高く、なおかつ直しも少なくてすみそうな作品ということで、『エンジェルズ・シェア』に落ち着いた。消極的な理由で受賞者にはすまぬが、2作目以降に奮起してワタクシを見返していただきたい。ワタクシの推した塚本さんにはまた活劇ものを期待したいが、次は文章にもきっちり磨きをかけて。受賞を逃した他の皆さんも、今回は僅差の惜敗だと思って、ぜひ再チャレンジを望みたい。


茶木則雄

新機軸とも言うべき《リーガル・ハードボイルド》の誕生を、大いに寿ぎたい

 これまで選考会が揉めたことはいくらでもあったが、これほど紛糾したのは初めてではないか。結論を導き出すまでに要した時間は、おそらく歴代最長だろう。
 最大の要因は、候補作にそれぞれ一長一短があり、いずれも決め手に欠けていたことだ。加えて、選考委員の推す作品がばらばらで、2名以上から高い評価を得る作品がなかった。たとえ支持が重なっても、2人のうち1人は消極的推挙に留まり、残りの2人は強烈な否定派に回る、とった具合で、落としどころが見つからなかったのである。
 出口が見えないときは、原点に立ち返るしかない。減点法ではなく加点法を旨とし、たとえ瑕があっても大いなる可能性を秘めた《原石》を掬い出そう、というのが『このミス』大賞創設の目的である。だとすれば、一番、将来性を感じさせる作品を選ぶのが道理だろう。
 私の見るところ、磨けば光る原石の魅力を最も感じさせてくれたのは、現役弁護士の手による『エンジェルズ・シェア』であった。
 瑕は少なくない。1次選考で古山委員が評しているように、今や絶滅危惧種とも言える私立探偵小説のスタイルを頑なに踏襲し、これでもかとワイズクラックを散りばめたこの作品の結構に、なるほど斬新性はない。吉野委員が指摘する通り、事件の背景にアクチュアリティを感じるかと問われれば、否と答える他ないだろう。大森委員が苦言を呈する、犯人の独白によるラストの解決シーンは、要改稿の一番手だ。一人称の「私」文体は堂に入っており、思わずにやりとするワイズクラックもあるが、スベって“痛い”減らず口も少なくない。香山委員同様、読みながら閉口することもしばしばだった。ハードボイルド・ファンであっても、今どき流行らない古典芸能の様式美をあえて追求する稚気を買うかどうかは(たとえそれがパロディであっても)、人それぞれだろう。
 しかしそれでも、この作品の根底には、瑕をものともしない強靭な意志がある。それを感じさせてくれたのは、弁護士の「私」が懲戒処分を受けるに至った過去の回想部分だ。現役弁護士の強みを存分に生かした、法曹関係の圧倒的ディテールと迫真性は、第一級のリアリティを構築してさすがと言わざるを得ない。それよりも何よりも、刑事事件における司法と検察、弁護の馴れ合いを糾弾する作者の筆致が、実に素晴らしい。筆は活き活きと躍動し、お得意のワイズクラックも、ここはぴたりと決まっている。
 海堂尊がAiの必要性を物語に仮託したように、おそらく作者は、法曹界の抱える今日的問題を俎上に載せるため、この小説を書いたのだろう。そう思わせるだけの意気込みが、行間から如実に伝わってくる。書きたいテーマを持ち、それを書かずにはいられないという作者の気概が、瑕だらけの原石の隙間から、仄見える。
 磨けば光る——と、確信した次第だ。新機軸とも言うべき《リーガル・ハードボイルド》の誕生を、大いに寿ぎたい。
 優秀賞を受賞した『僕がお父さんを訴えた理由』は、減点法でいけば最も瑕の少ない作品だった。内包するテーマは手垢のついたものだが、それを物語のクライマックスまで巧みに隠し通したプロットが見事。なるほど、こうくるのか、という新鮮な展開にページを繰る手が止まらなかった。導入部のぎこちなさと、クライマックスからラストにかけての処理の仕方に問題を感じたが、これは充分、改稿可能だろう。容易に類似作品を想起させないオリジナリティが、この作品の最大の強味だ。
 逆に、容易に既存作家の影響を指摘されそうなのが『空と大地と陽気な死体』だ。良くも悪くも乙一や伊坂幸太郎、東野圭吾や道尾秀介の寄せ集めで、書き手の独創性が感じられなかった。筆力はある。既存作家の殻を、ぜひ打ち破っていただきたい。
 東京タワーを舞台にした老人版「ダイ・ハード」の『鋼鉄の密林』は、一言で言えば直し甲斐のある作品だ。文章、プロット、ディテール、ほぼ全てに大幅なブラッシュ・アップが必要だろう。大胆な着想とアクティブな展開は評価できても、如何せん、直しに時間がかかりすぎる。新作を一から書いた方が早い、というのが私の率直な感想だ。
 残念ながら賞は逸したが、『Sのための覚え書き かごめ荘事件のこと』『また会えたなら、あなたの淹れた珈琲を』は、個人的には出版レベルに達していると感じた。前者の導入部の仕掛けには、久しぶりに「およよ」とのけぞり、作者の《語り=騙り》のテクニックに感嘆したものだ。後者はキャラクター造形と会話が魅力的で、恋愛模様を巧みに絡めたストーリーは終始、心地よく読めた。が、他の選考委員のミステリー的に弱いという意見も頷けるので、強く推すことを躊躇った次第だ。両者ともいずれ、世に出る才能だと思う。気を落とさず精進していただきたい。


吉野仁

ただただデビュー後の活躍を期待するのみ

 こんな結果になるとは予想もしなかった。最低点をつけたものが受賞作となったのだ。
 残念ながら最終候補作に「文句なしに受賞はこれだ」という1作が欠けていたのである。
 そんななかで、もっとも高い点をつけたのは、田中圭介『空と大地と陽気な死体』だった。おそらくこのまま本にしても遜色のない内容だろう。とくに会話をふくめた文章力や人物造形、そして作品から伝わる人物の感情の動きの描き方などは、今回の最終選考6作のなかで群を抜いていたと思う。ただ、さまざまな基本設定がどこか近年の人気作家の傑作に類似していた。読み進めながら、この部分は流行作家の××、この設定は若手の△△とあからさまにパクった感じがしてならない。なにかひとつ、作者ならではのオリジナルで抜きんでいた部分を含んでいたならば、もっと強く推したであろう。残念だ。しかし、どんなミステリー新人賞でも二次選考まであがる筆力は充分に持っている。ぜひ独自性を押し出して新たなチャレンジをしてほしい。
 残りの5作品は、いずれも欠点が大きく目立っていた。その中で比較的好感を持ったのが優秀賞の『僕がお父さんを訴えた理由』、『Sのための覚え書き かごめ荘事件のこと』『また会えたなら、あなたの淹れた珈琲を』の3作。
 まず、友井羊『僕がお父さんを訴えた理由』。実は親を訴えるという前代未聞のアイデアを扱い、全体に過不足なくまとめあげた力量は充分評価に値するだろう。優秀賞としてまったく問題はない。だた、そつなくまとまっている分、裏をかえすとどこかインパクトに欠けている感じがした。物語にあわせて作られたかのような、不自然さが目立つ人物造形を直してくれれば、もっと完成度はあがるだろう。
 矢樹純『Sのための覚え書き かごめ荘事件のこと』は、冗長でわざとらしい部分が多すぎると感じた。多重人格の設定も心理カウンセラーとの出会いもかなり無理がある。書き手のひとりよがりが目立っているのだ。直接ストーリーと関係ない部分を短くまとめ構成のバランスを考慮すれば、もっと面白い作品に仕上がったはず。もっともこれらの欠点は、おそらく作品を次々と書いていくうちに上手くこなれていくと思う。
 岡崎琢磨『また会えたなら、あなたの淹れた珈琲を』は、キャラクターに魅力があり、前半の展開まではすごくよかった。ただし日常の謎をめぐる連作ミステリーとしてはあまりに凡庸。また、珈琲およびコーヒーショップに関するディテールがお粗末。しかも京都を舞台にしながら、だれも土地の言葉を話さないのは不自然ではないか。と欠点が多いのに加え、後半の展開で面白さが半減していった。読み心地のいいドラマを書ける力を持っているのは確かなので、もったいない。
 残る2作のうち、塚本和浩『鋼鉄の密林』は、とにかく文章が拙い。そのせいか登場人物のエピソードやアクション場面などことごとく安っぽく見える。類型どおりの部分があっても構わないが、それを支えるリアリティやディテールに欠けているのだ。現実に素人が爆弾などそう簡単につくれないだろうし、それが可能なメンバーを容易には集められないはず。物語上、どうしても必要ならば、読み手に納得させるだけの細部をしっかりと構築してほしい。
 さて、冒頭で述べたとおり、受賞した保坂晃一『エンジェルズ・シェア』は、わたしにとって最終選考の6作のなかでも『鋼鉄の密林』と並ぶ最低の作品だった。ほめるべき点がどこにも見当たらない。チャンドラーのパロディだとしても、あまりに稚拙。減らず口は連発すればいいというものではない。下手な空振りをいくら繰り返してもホームランはおろかヒットさえ生まれないのである。見事な比喩や言い得て妙な言葉がふさわしい場面でさりげなく使われるからこそ、チャンドラー作品がいまもなお人々を魅了するのだ。
 それ以外の内容も、ハードボイルド探偵もの、それもふた世代前のスタイルの下手な見本といっていいだろう。たとえば扱われている事件だが、別に病院でなくとも、どこかの企業でも役所でもいいような犯罪である。極端にいえば何でもいい事件。これがたとえば現在の日本の負の部分を切り取ったような、なにか時代の象徴を感じさせる事件ならば、少しは評価しただろう。さらに主人公以外の脇役の魅力も福岡という土地の魅力もいっさい見当たらない。おそらく他の新人賞の予備選考でまわってきたら、確実に落としていただろうレベルの作品といえる。
 それでも、他の選考委員の推薦により、この作品を大賞受賞にすることとなってしまった。本賞のひとつの特徴は、選考委員や編集者のアドバイスを受け、受賞後に徹底して書き直しが行われる点にあるとするならば、これから刊行まで、作品が見事に生まれ変わることを望んでやまない。そして394作という応募作の中から見事大賞を仕留めた作者の恐るべき強運とデビュー後の変貌に期待したい。