第20回『このミス』大賞 1次通過作品立ち読み 妻が人を殺しています

『妻が人を殺しています』

秋野三明(あきの・みあけ)38歳
1982年生まれ。2008年医学部卒業、同年医師免許取得。2015年医学博士号取得。現在は非常勤医師を続けながら、小説家を目指し執筆中。


第一章

 幸せの定義なんてものは巷に溢れているが、その実、一つしかない。それは美女に愛されることだ。
 開いた弁当箱を眺めながら、吉良信幸(キラ ノブユキ)はニンマリと笑みを浮かべた。
「だらしない顔だな」 
 その様子を見ていた会社の先輩が野次を飛ばす。次いで「これが愛妻弁当ってやつか」と覗き込んできた。
「ハハ、まだ『妻(サイ)』じゃないですけど」
「知ってるよ、婚約者だろ。つい最近、プロポーズしたんだっけ?」
「3ヶ月くらい前ですね」
 先輩は買ったばかりの缶コーヒーを飲み、「しっかし、なんでおまえみたいなモブ顔に女ができて、俺にはできないんだろうな」とぼやく。
 厭味に聞こえるが、おそらく本人にその気はないのだろう。先輩の言うことはもっともで、吉良なんて比べものにならないほど、彼の顔は整っている。モテ具合でいえば、社内でも一、二位を争うイケメンだ。
「選り好みし過ぎなんじゃないですか」
「なに?」先輩がコーヒー臭い息を吹きかけてくる。「じゃあ、おまえは妥協して嫁さんを選んだのか」
「え」
 吉良が固まり、その様子を不思議に思ったのか、「なんだよ、図星か?」と先輩が的外れな問いかけを繰り返した。
 そうか、このひとはまだ知らないのだ。
 吉良は悟り、「いや、まあ、僕の話はいいじゃないですか」と強引に話を戻した。
「モテる人ほど選り好みしがちなんです。だから、決まった恋人ができないんですよ」 
 吉良の言葉に眉をひそめつつ、先輩は満更でも無さそうに頬を緩めた。モテると褒められたのが嬉しかったのかもしれない。
「そんなつもりもないんだけどなあ」
 首を傾げながら、先輩は休憩室を出ていった。おそらく喫煙室に向かうのだろう。
 独りになった吉良は、先ほど先輩が言った「おまえは妥協して嫁さんを選んだのか」という問いを思い返し、噴き出した。『あの話』は部署内でも有名なのに、先輩はまだ知らないんだな。
 自分で言うのもなんだが、俺はなんの特徴も持ち合わせていない男だ。
 イケメンでもなければブサイクでもない。長身でも短身でもないし、太ってはいないがマッチョでもガリガリでもない。
 天才でもなければ馬鹿でもない。貧乏じゃないけど金持ちでもない。
 全人類の平均を取ればアンタになるんじゃない、と実の母親に言われたことがあるほど、俺はザ一般人だ。
 そんな俺に唯一優れた部分ができた。恒灯春(ツネトウ ハル)、一年ほど付き合っている恋人であり、三ヶ月前からは俺の婚約者だ。
 顔、スタイル、声色に香り、全てが群を抜いて美しい。そのうえ、頭も切れる。俺が全人類の平均ならば、彼女は世界中の非凡を一つに凝縮したような女性だ。
 吉良と並んで街を歩けば、通行人は皆、ポカンとしてしまう。言いたいことは分かるよ。
なぜこんな美人があんなモブ顔と、って信じられないんだろ?
 まあ、こちらの為人も知らないような他人にどう思われようが、吉良は気にしない。
 問題は知り合いや友人、家族までが似たようなコメントを寄せてくることだ。中には「弱みでも握ってんのか」なんて、失礼なことを言うやつまでいる。まあ、実の父親なのだが。
 そこまでコテンパンに言われても、吉良はムカつかない。むしろ、彼らに合意さえしていた。
 鏡に映った自分を見れば、何故こんな奴を、と思ってしまう。2人で自撮り写真を撮れば、そのあまりの出来の違いに吐き気を覚える。しかも、吉良が言い寄られて付き合ったのだから、さらに意味がわからない。
 吉良は再び弁当に視線を下ろした。二色のパプリカに彩られた酢豚に、ひじきの黒、ポテトサラダの白。実に色彩鮮やかな手作り弁当だ。
 じゃあ二段目の米はシンプルかと言えば、そうじゃない。上にギニリンと海苔と炒り玉子が乗っていて、架空の国の国旗みたいになっている。ギニリンというのはミンチ肉をトマトと炒ったフィリピン料理のことで、米とよく合うのだ。春に教えてもらって、今では吉良の好物となっている。
 さあ、見た目は100点だ。味はどうかな。酢豚を頬張り、米をかき込む。うん、味は120点だ。
 豚肉の脂と甘酢が良く絡み、パプリカのシャキシャキとした歯ごたえが良い。吉良の好きな濃いめの味付けで、米とおかずのループが止まらなかった。
 間に挟むひじきの苦味やポテサラの甘みのせいで、まったく飽きがこない。ギニリンから微かに香るナンプラーの臭みも良いアクセントとなっている。
 一心不乱に箸を動かし、気付いた時には完食していた。
 ああ、幸せだ。不安なんて、一欠片も残っていない。春の弁当を食べれば、どんなにバランスの崩れた心も安定してしまう。
 別に良いじゃないか、モブ顔が天性の美女と結婚したって。こんな弁当を手作りしてくれるんだ、愛されているに決まってる。それさえあれば、他にはなにも要らない。
 早々と昼食を終えた吉良は、ペットボトルの緑茶を自販機で買い、自分のデスクに戻った。パソコンを立ち上げ、ふと周りを見る。
 まだ昼休憩から戻っていない者も多く、オフィスは閑散としていた。
「やれやれ」と吉良は溜め息を吐く。休憩時間はもうすぐ終わりだというのに、相変わらずダラしない連中だ。
 まあ、しようがないか。会社に規定されている時間制限なんて、うちの部署で守っているのは俺くらいだ。
 この宮坂商事において、吉良の部署は他と毛色が違う。投資や金融商品をメインの業務としている他部署は、常に何かと戦っているような気迫を放っており、日頃から目を血走らせて仕事に当たっている。
 翻って、うちの部署はどうかと聞かれれば、まったく違う。特に忙しくもなく、だれ一人として気迫なんてものは放っていない。真っ白な目で、のらりくらりと日々の業務を行っていた。
 その理由は二つある。一つは、部署の主な業務がIT関係、正確には投資用システムのプログラミングであること。つまり、営業や法務と業種が根本から違うのだ。
 もう一つは、部長の名字が『宮坂』であること。比重としては、むしろこっちの理由の方がでかいだろう。
 宮坂公珹(ミヤサカ ヒロナリ)、創業者の曾孫にあたる人物で、現社長の息子でもある。性格は傲慢で横柄、口を開く度に罵詈雑言が飛び出してくると社内でも有名な男だ。
 勤務態度も悪いため、入社以来、色々な部署をたらい回しにされている。厄介者だがクビにもできない、そんな典型的などら息子が、唯一、長居をしているのがうちの部署だったりする。
 なので、周りからは貧乏くじでも引いたかのような目で見られるのだが、部署内の宮坂の評価は意外に悪くない。相変わらず口は悪いけど、何かを為出来すわけでもないので部下に実害はないし、上司としていい面もあった。
 宮坂は理系の大学を出ていて、コード関係の知識にも明るい。ブラインドタッチもできないような化石上司が来ることを考えれば、宮坂が居座ることは部署のみんなにとっても、ありがたかった。
 その一方で、部長の不真面目さは確実に部下へと浸透している。必死になろうがダラダラやろうが、給料は変わらないのだ。そのうえ、上司もサボりがちとくれば、真面目に取り組むほうがアホらしいというものだろう。
 かく言う吉良だって例外じゃない。ちゃんと与えられた仕事はこなしているが、それ以上のガッツを見せるなどということはしない。周りと同じように、日々ダラダラと職務を全うしていた。
 ぞろぞろとオフィスに人が戻り始める。昼食を食べたせいか、みんな眠そうな顔をしていた。気怠そうに、それぞれの業務を再開させていく。
 その光景を眺めながら、吉良は微笑んだ。
 ああ、今日も職場は平和だな。

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