第8回『このミス』大賞 1次通過作品 立読み

『銀色の牙』

月村日音(つきむら・ひおん) 16歳
高校2年生


プロローグ

アフリカの大地は、日本の夏とはまた違い、体の中で焚き火をされているかのような暑さだった。
 陽炎でぼやけて見える太陽は、乾いた大地、アフリカを照らす。私は、その地に一歩一歩足を踏み入れていく―――。
 窓もない今にも崩壊しそうなバスにのり、揺られること六時間。私の体に疲れがたまると同時に、生物の楽園の地が見えてきた。
 マサイマラ国立保護区。―――一般的に、サバンナと呼ばれているこの地はまさに動物の楽園だった。さまざまな動植物が人の手をうけず、人に守られ、その生命の営みを展開している。
 管理事務所の頑丈な鉄の扉をノックする。中から美しい白い歯をもつ、大柄の黒人の男が出てきた。服装は、インディー・ジョーンズと言ったところである。
「ようこそ。あなたがおととい連絡してきた方?」
流暢なスワヒリ語が飛んでくる。私は、彼の言ったことを、英語で聞きなおした。彼は快く了承し、先ほどの言葉を英語に変換してくれた。私はつぎはぎだらけの英語で対処する。
「ああ、そうだ」
「そうか。では、早速行きますか?」
「ああ、そうしてくれ」
私は水筒に手を伸ばしながら言った。
 ケニアという国は、昔、イギリスの植民地であった。そのため、国語であるスワヒリ語以外に英語も通じる。これが私にとって大いに助かっていることである。
 ケニアのインディーは野性味あふれるジープを私の前に停めた。私はそのジープの荷台に乗り込んだ。
「急な予約だったので、パトロール用のジープしか空いてなくて。これで我慢してください。―――最初は、どこに行きますか」
「どこでもいい。適当に走り回ってくれ。この地を見つめたい」
それが私の素直な気持ちだった。まるで迷路と化し、どこを見てもストレスしか返ってこない現代の世間から離れ、動物達がつくる単純かつ美しく、生々しい世間がみたい。それがわざわざアフリカという大地まで足を伸ばした結果だった。その口実となった、サバンナの生態系保護の視察という目的もこれで同時に事足りることだろう。
「わかりました」
 ジープが空回りしているかのようなエンジン音を出し、走り出していく。私はジープにしっかりとしがみつきながら、腰をあげた。
 そこはまさに生命の生まれた土地であった。
 夕日に照らされ、茜色に染まるマサイマラ国立保護区は、私の心のどこかに深い感動とざわめきを刻んでくれた。
「おい、あんた。あそこ見てみろ」
 ケニアのインディーがぽんと私の足を叩いた。私が目を向けると、彼は遠くのほうを指差していた。
「ライオンが狩りをしているぞ」
 そこには、一頭の雌ライオンが群れからはぐれたトムソンガゼルの喉元に自慢の牙をつきたてていたところであった。
「あいつらはああやって、餌をとるんだ」
「残酷だな……」
「そうか?俺達だって、食べるために鶏を飼って、殺すだろ。それといっしょさ。いや、俺達のほうが食べるために育てて、殺すから、残酷なのかもしれないな」
ケニアのインディーは上機嫌に舌を動かす。
 この若者の言葉は、私の心に深く刻まれてきている。私より年下の人間なのに、この男の言葉には重みがある。それは、命のやり取りを間近で常にみているから発せられる言葉なのかもしれない。
「そうかもしれないな……」
「狩りが終わったみたいだ。少し、ついていってみよう」
「ああ、そうしてくれ」
 我々は、ライオンが悠然とガゼルを銜えて、戻っていくのを尾行した。
 ライオンが向かった先は、もちろん、子供がいる場所である。数匹の子供ライオンが母の銜えてきたガゼルをむさぼっている。そして、そのはるか上空を見つめると、おこぼれをもらおうとハゲタカが旋回していた。
「ハゲタカもああやって、生きようとしている。誰かが生きるためには、誰かが死ななくちゃならない」
 ガイドがライオンの食事から目を離さず言った。
「これが生命の営み……」
 生命の営みは、感動ばかり与えてくれるわけではない。時には、残酷な場面もある。そう、それは、時には残酷に制裁をくわえなければいけないというのといっしょである。私は、この生命の縮図を目に焼き付けようと目を見開いた。

第一章

八月二日、午前八時十分。葛城翔太は寝ぼけ眼でバス停に立っていた。
ふわりとあくびを空に向かって放つ。鮮やかすぎる青を放ちながら、柔らかな刺激を与えてくれる夏空はお返しとばかりにぬるい夏風を葛城の頬にぶつける。その風が余計に睡魔を増やした。
そんなことをしていると、清潔感のある白のTシャツのなかが汗ばんでくる。葛城は苛立ちを何とか抑えながら、Tシャツ内に空気を送った。
 しばらくして、緑と肌色のこの地区独特の色をもつ路線バスがやってきた。もう何年とこの色に変更はない。葛城が子供の頃から慣れ親しんだこの色合いは、家と同じ安心感さえ与えてくれるようにさえなっていた。
バスはバス停の目の前ぴったりで停車し、扉がゆっくりと開いた。
 中に乗り込み、葛城はバスの一番後ろの席の窓際に陣取った。ここが葛城のお気に入りだった。ここだけは誰にも譲るものかと心に決めていた。
 バスがゆっくりと発進する。独特のエンジン音が腹の底に響いてくる。バスはゆっくりとスピードを上げ、風景が前から後ろへすっ飛んていく。この窓からは、葛城の母校、三津川第三小学校の砂色の校舎の姿を拝むこともできる。
 葛城は参考書を開き、じっと見つめる。だが、これは自分が必死に勉強しているから席は譲れないというアピールにすぎなかった。実際は余白を見つめ、そこに意味不明な文字を書くことしかしていなかった。いや、できなかったのほうがこの場合あっているだろう。
 バスが、だんと揺れる。この路線のバスに乗ると必ず聞く音。三津川橋と大地のつなぎ目を通った音だ。この橋の真下は緑色の川になっておりこの川の名前は、三津川という。このあたりではとても大きな川で、昔は少しの雨でも氾濫することで有名な暴れ川だった。葛城が子供のころはまだ透明で美しく、気持ちよさそうに泳ぐ魚の姿を拝めたのに、改めて見直すととても汚く、葛城は肩を落とした。
 三津川の川岸には、三津川工業地帯という大規模な工場の固まりがある。石油製品、電気製品、化学製品と手広く製造しており、この三津川市の潤滑油として欠かせない存在となっている。また人材をほしがっており、中卒の人間でも関係なく採用するので、フリーター、就職活動者からは『最後のブラックホール』と呼ばれている。
 しばらくすると、静かな車内に機械的な女性のアナウンスが流れる。
「次は、三津川大学前。三津川大学前」
 葛城は待っていたかとばかりに、バスのボタンを押した。ブー、とブザーが鳴る。このボタンを押すスピードだけは誰にも負けないと自負していた。
 それからしばらくして、前方に八階建ての白い建物が見えてきた。三津川大学を象徴するC棟が見えてきた。最近、新設された校舎でとてもきれいなのが特徴だ。まさにキャンパスライフという言葉がぴったりの空間になっていた。
 バスが三津川大学正門前で力なく停まる。葛城は席を立ち上がり、バスを降りた。外に出ると、むっとした暑さが葛城の体を覆ったが、それにもめげず葛城は正門をくぐった。
大学内は、深緑を身にまとった樹木たちが道を彩っている。葛城はその中をずかずかと進んでいった。
 きれいなC棟を通り越し、その奥にあるB棟も通り越し、葛城はA棟に入った。
 A棟は他の美しいモダンな感じな建物とは違い、どこか昔の西洋を匂わせるような建物だった。そうみせるのはうっそうとはえた樹木の葉の間からこぼれるやわらかな陽光と西洋建築の窓のせいだと葛城は思い始めていた。
 A棟内はその外観と違い、中はしっかりと整備されており、空調がかかっていた。葛城の体から出ていた汗はゆっくりと冷え、また体に溶け込んでいった。
 A棟の四階にあがる。そこは文学部の研究室が並んでいた。日本文学科、外国語学科、心理学科と色々と並んでいる。そこは世間から取り残されたかのように静まり返っていた。
 そもそも、三津川大学は理数で有名な国立大学である。入学してくるものは大抵、理工学部などに入っていく。その理由はいたって明確である。就職に有利だからだ。文学部などは、そんな就職などに無縁な酔狂が集まる学科である。
 その中でも一番の酔狂が今、このとおりを通っているぞ、と心の中で名乗りをあげながら葛城は三津川大学総合心理学科の研究室の扉に手をかけた。

つづく

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