第5回『このミス』大賞 1次通過作品

『月光と猟犬のサーガ』 川口世文

 主人公が“絶対嗅覚の男”である、というところに惹かれました。通常の人間では退化してしまった器官が機能していて、嗅覚から残留思念や人間の感情などを読み取ることができるという設定。「もしかすると浅暮三文さんの五感小説に匹敵する新たな感覚小説なのかも」と意気込んで読み始めたのだけど、残念ながらそこまでの斬新さは無かったですね。主人公の視点に時たま〈嗅覚の意識〉が入りこむという書きぶりはおもしろいけど、描かれていることが嗅覚でしか感じ取ることのできない意識だとはどうしても思えないのです。たとえば浅暮さんの『石の中の蜘蛛』は、その点に果敢に挑み聴覚情報というものを視覚的に文章化していった作品でした。そこまでの徹底がなされればさらによかったのだけど。

 でも別の魅力がある。この小説の舞台は東シナ海に浮かぶ〈月光〉という島国で、そこには千人近い日本人が不法残留者として暮らしているのです。この国では非合法ドラッグが解禁になっていて(でもカフェインは一切禁止というのがおもしろい)、日本人たちはドラッグの楽園を求めてこの国に不法入国し、帰るに帰れなくなってしまったのですね。その日本人残留者のコミュニティに潜入するために主人公はやって来るわけです。この治外法権の島国が、無法な感じに描かれていてなかなかよろしい。銃撃戦なども日常茶飯事で起きるのだけど、場面ごとに活劇が巧く書き分けられていて、作者の筆力を感じさせる。風物や地名、施設もエキゾチックな感じに命名されていて魅力的であります。なのだけど、うーん、なのだけど、一点留保をつけるとするならば、なぜわざわざ架空の国を設定する必要があったのか、ということですね。そこの部分の説得力には疑問符をつけざるを得ませんでした。現実への取材を怠って仮想に逃げたととられても仕方のないところだからです。その点で少し悩みましたが、2次には上げるべき作品であると判断致しました。

(杉江松恋)

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