第2回『このミス』大賞 1次通過作品 立読み

 こちらに横腹をみせて通過するフェリー・ボートは、亜矢の乗ったぼろ船よりもふた廻りも大きく、明るい照明と電色に彩られている。船内は隅々まで清潔で、快適な設備だっていろいろ整っているだろう。バーのフロアでは、スロー・バラードの生演奏に合わせて頬をくっつけ踊ることだってできるだろうし、温かい最上階の展望室からは、遠のいてゆくウォール・シティの夜景を臨みながら、ブランデーのグラスを傾け、身体の芯に燃え残る快楽の余韻に浸ることだってできるだろう。金を持っていて、人前では容易に口に出せない遊に、行儀よく耽る積もりのある人間には、観光客として、ウォール・シティは心尽くしのもてなしをしてくれる。
 WELCOME TO WALL CITY
 やがてあの有名な巨大イルミネーションがみえてくるだろう。
 それだけは、最初の一枚として絶対撮ろうと思っていた。ウォール・シティという街の偽善と人工性の象徴、政府に対するあからさまな挑発、反乱と革命の表明と、そのイルミネーションについてはさまざまにいわれてきたが、亜矢にとっての感想はもっと単純なものだった。すでに雑誌や写真集に掲載されたフィルムをみて、素直に美しいと思った。写真家として、その被写体としての魅力にとり憑かれたとでもいえばいいのか。それに、あの場所には長いあいだ暮らしたが、海のうえから街の様子を眺めたことはいちどもなかった。逆転した視線、異化された風景、その先にあるのは、世界一を誇る巨大イルミネーション。そうした構図に亜矢は魅惑されたのだった。

著者略歴
筆名 葉月 堅(はづき けん)
年齢 46歳
職業 大学教員

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